ハリチ・ヴォルィニ公国統一戦争
ミンダウガスは思う。
「軍事と徴税と神事だけやってりゃ良かった時は楽だったなあ」
彼はまだ、正式にリトアニアの筆頭公爵になった訳ではない。
事実上、そうなってはいる。
もう文句こそあれど、邪魔する者は存在しない。
事実上の筆頭公爵となったミンダウガスだが、やろうとしている事は、前任のジヴィンブダスのようなものではない。
昔の筆頭公爵は、公爵会議を開き、その議長を勤めて意見を纏め、対外的には条約の先頭に名を連ねるとか、事実上の司令官として戦場に赴く程度のものであった。
各地域、部族の内政に口出しはしない。
誰がどこと交易しようが、何を売って何かを買って来ようが、無関係だ。
まあ勝手にどこかと戦争を始めたとか、森や湖の資源を独占したとか、そういう場合は衆議を纏めて懲罰に乗り出したりする。
だが今のミンダウガスは、全員が認識する西のドイツ騎士団、北の帯剣騎士団という脅威に対策しなければならず、その為には公爵たちの自治に任せず、馬を飼ったり軍を集めて訓練したりという、これまでに無い権力を持つようになっていた。
そこまでならまだ良い。
戦争は勝たねば、いくら総司令官として威張っても意味が無い。
戦争に勝つ為には装備を揃えねばならない。
その装備は技術が上がり、高額化している為、リトアニアで自弁は出来ない。
そうなるとリトアニアの外を見る必要がある。
経済にも頭を使わなければならない。
次男坊として、兄の部将という役割しか考えていなかったミンダウガスにとって、知恵熱が出るようなものだ。
ただでさえそっち方面には頭が回らないミンダウガスなのに、周辺の情勢もまた混乱している。
西の脅威と戦う為に、東の商人国家と付き合わねばならないが、その国家も属する東一帯が抗争を繰り広げているし、その抗争に北の狂信者というか自称「騎士」の無頼どもが首を突っ込んでいる。
どこからどう、解きほぐしていけば良いものか。
「うーん、分からん!
頭が痛い!
ルアーナ、俺を慰めてくれ!!」
二十代も半ばに突入し、男盛りのミンダウガスは最近、ますます妻に溺れている節がある。
プリキエネという、気を張って付き合わねばならない女性に辛口な事を言われているせいか、無性に大人しくて「政治の事は分かりません」という女性が愛おしくてならない。
リトアニアがどうにか、ミンダウガスを代表として纏まりつつある中、隣国のハリチ・ヴォルィニ公国もまた、再統一に向けて歩みを進めていた。
この内乱は、ハリチ公国とヴォルィニ公国という2つの国が合併して出来た国ゆえの、貴族の問題から起きている。
ダニエルが4歳で当主となった時、ヴォルィニ公国に併合されていたハリチ公国の貴族たちが反乱を起こした。
一度は幼少過ぎてヴォルィニ公の座すら追われたダニエルだったが、ポーランド及びハンガリーの思惑により公爵に復帰する。
戦いは専ら、ハリチ公の座を巡ってのものとなり、ハリチの貴族たちはノヴゴロド公ムスチスラフを頼り、彼をハリチ公とした。
だがここにモンゴルの東征があった為、一旦抗争は停止となる。
モンゴルが去った後、貴族たちは再びノヴゴロド公ムスチスラフを呼び込み、また一部の貴族はダニエルの本拠地であるヴォルィニ公領に帯剣騎士団を招き入れ、統一戦争は長引く。
西暦1238年、ノヴゴロド公にしてハリチ公でもあったムスチスラフが病死する。
空位となったハリチ公位を奪うべく、今度はハンガリーがこの地に侵攻して来た。
ハリチの貴族たちも、こうなってはダニエルを頼り始める。
外国人よりはマシだと思ったのだ。
そんな中で、ダニエルも自国外の事に手を伸ばす。
いや、内戦に関わる事だから、内を無視して外に手を出したとは言い難い。
ハリチ・ヴォルィニ公国の内戦には、ノヴゴロド公国だけでなく、他のルーシ諸国も関わっていた。
その中には、オーヴルチ公ウラジーミルという男と、チェルニゴフ公ミハイルという男が居た。
両者とも、最初はノヴゴロド公ムスチスラフの働きかけによって、ダニエルと戦っている。
しかしノヴゴロド公死後、ウラジーミルはダニエルと和解した。
そして、ウラジミールとミハイルは、名ばかりとはいえ「キエフ大公」の座を巡って対立する。
ダニエルはウラジミールを支援した。
というのも、チェルニゴフ公ミハイルはノヴゴロドの公爵も兼任していて、ムスチスラフ死後もダニエルとの戦いを継続していたからだ。
ノヴゴロド公国を脱落させるには、ウラジミールをキエフ大公にするという大義名分の元、チェルニゴフ公国を攻めてミハイルの足元を崩せば良い、そういう戦略だった。
だが、足元を崩されたのはダニエルの方である。
キエフ大公にウラジミールを就けたものの、その直後にハンガリーがルーシに再侵攻。
これを見たウラジミールが、ダニエルに対して手切れを宣言して来たのだ。
ハンガリーはそのまま、王子であるアンドラーシュをハリチ公に就ける。
外に手を出していたら、またハリチ公の座を奪われてしまった。
ダニエルの国内における求心力は、この失敗から再度低下しつつある。
「という訳で、俺には何が何だか分かんないんだよー!」
「えーっと……旦那様、私にそう言われても、私の方こそ何が何だか分かりません。
申し訳ございません、頭が悪く、お役に立てず……」
ルアーナが涙ぐんでいた。
ミンダウガスはそんな妻の頭を撫でながら
「いいんだよ、もうボヤかせてくれよ。
何も言わなくていいんだ。
もう、ルーシの連中はどこが誰と繋がり、何をしたいんだか、さっぱり見えない。
あいつらに比べれば、北の狂信者どもの方が分かりやすい。
あいつらは欲に忠実なだけだからなあ。
でも、その北の連中と、もっとヤバい西の連中と戦うには、ルーシがどうにかなってくれないと困るんだ!
分かるか?
いや、ごめん、分かんなくて良いよ。
ああーーーーー、俺も頭が痛くてたまらんよーーーー!!!!」
と、またもチンプンカンプンな表情の妻に愚痴を零すのだった。
娘からこのやり取りを聞いた舅のビクシュイスは
(とても、夫婦が寝床で交わす会話じゃあらへんわな……)
と苦笑する。
ルアーナは、難しい話が全く頭に入って来ないので、言ってる内容のほとんどを聞き流しているから、ここまで詳しい話はしていない。
しかし、娘から
「旦那様は毎晩、難しい事ばかりお話しになって困ります」
と相談されたビクシュイスが、単語を出して確認してみたら、大体こんな事を言っているようだ。
「君が分からなくても良いから」
「難しい事言ってごめんな」
と言いながら、愚痴を繰り返しているそうだ。
(話す相手を間違ってまっせ。
我が娘ながら、その子は「自分の夫が悩んでいる」とか「難しい話をしている」以上の事を理解してないんやで。
誰かに話して発散するにしても、ちょっと相手を選んだ方がええがな……)
そう思って溜息を吐く。
一方でミンダウガスの苦痛も理解出来る。
政治的な苦労ではなく、内心を吐き出す相手が居ないという苦痛だ。
ダニエル公ではないが、基本的に失敗する君主は求心力を低下させる。
ミンダウガスもまた、配下の公爵たち、更には部下たちに弱みを見せられない。
彼の従兄弟ダウヨタスとヴィリガイラは、周囲に合わせてとりあえずミンダウガスを上に置いているが、決して認めた訳ではない。
家族同然のビクシュイスを含め、副将ヴェンブタス、そしてプリキエネという相談仲間はいるが、おそらくその誰もが現在の状況を上手く説明出来ない。
キレ者の女傑プリキエネにしても、おそらく
「私にだって分かる事と分からない事があるんだよ。
ルーシの事なんか、ルーシに聞くしか無いだろ。
何でもかんでも私に聞くんじゃないよ!」
と冷たく返して来るだろう。
確かに彼女とて何でも知っている訳ではないし、こうも状況がコロコロ変わるようなものを、先を見通して言い当てる事など不可能だろう。
「まあ、その、なんだ。
ミンダウガス殿はお前に甘えているんだ。
黙って付き合ってやりなはれ」
「そうなんですね。
私みたいな、何も分からない女でも、お役に立てているんですね?」
むしろミンダウガスからしたら
「だから良い」
と思っている事だろう。
遅々として進まない軍事改革、答えが出ない輸出に関する宿題、待ってはくれない北と西の騎士団。
そのストレスや、それ起因のモヤモヤそして性的情動、ミンダウガスはそれらをルアーナで発散して精神の均衡を保っていたのである。
ルアーナが3人目の子を身籠るのは、もうすぐの事だった。
おまけ:
ミンダウガスさんの状況を現在のサラリーマンに例えたら
・自分が望んだ事とはいえ、主任からいきなり代表取締役社長なってしまったよ、うん大変だ
・取引先が揉めて、毎回言う事変わってどうしたら良いか分からん、いい加減にしてくれ
・取引先と調印したらようやく融資を受けられるのに、待ち時間が長過ぎる、俺のせいじゃなんぞ!!
・そのくせ納期迫ってるし、どないせいっちゅーんじゃ!!
といった感じでしょうか。
もっとオッサンになれば、悠々と待って「私の責任じゃないからねえ」とすっとぼける胆力もつきますが、まだ三十歳にもなっていないとなると。
色々と溜まってます。
そりゃ夜に、奥さんなり恋人に対し(以下略)。
(バレンタインデー近いし、こっち系の話も書いてみました。
自分の小説、女性が何かするの極端に少ないし、たまにはこういうネタも……)




