兄との和解
結果から書くと、ミンダウガスもダウスプルンガスも助かった。
ドイツ騎士団の攻撃を受け、絶体絶命だった兄弟を助けたのは、義兄弟にあたるヴィーキンタスである。
天性の戦上手であるヴィーキンタスは、騎士団の突撃に対して残弾を気にしない投槍、投斧を行って足止めをする。
「なんでん良か!
持っちょっ武器は放り投げい!
あん奴輩の足バ止めっど」(ジェマイティア弁)
そして、統率が取れた軍ゆえに、一旦後退して全員で態勢を調える瞬間が有るのを看破し、その時まで耐えたら、隙を見て全軍を脱出させた。
壊滅こそしなかったが、このクールラントの戦いはリトアニアの惨敗である。
プルーセン人を助ける目的も果たせず、これまでは自由に立ち入っていたクールラントからは叩き出され、公爵の何人かが重傷を負った。
何よりも、戦って手も足も出なかった、完膚なきまで叩きのめされたという結果に、勇猛なリトアニア人も茫然自失となっている。
ミンダウガスもショックを受けていたが、他の者に比べれば冷静であった。
まず彼は、叩きのめされて自信を失うのは、カルカ河畔の戦いで経験済みである。
最初から今のリトアニアでは、強い敵には勝てないと理解していた。
そして、もたらされた情報から、ドイツ騎士団は帯剣騎士団とは比べ物にならない強さであると予習している。
そして、彼は兄を戦場から救出出来たという、敗戦の中にあってある種の達成感を得ていた。
よってミンダウガスは、ショックの余りどうしたら良いのか分からずにいる他の公爵たちと違って、むしろ自分が目指すリトアニアの在り方について、自信を深めていたくらいである。
もっとも、ミンダウガスにしてもこの結果は頭が痛いものとなっている。
(東のタタールに、西にもドイツ騎士団。
リトアニアは東西に厄介な敵を持ってしまった。
タタールが今、ルーシから姿を消しているのが救いだ。
あいつらが手を組んで、東西から挟み撃ちにされたらたまったものじゃない)
噂というか、確証が無い話だが、モンゴル(タタール)もまたキリスト教だと聞く。
実際のところ、モンゴル帝国内にはネストリウス派キリスト教徒が居るが、基本的に彼らは自然崇拝でリトアニア等バルト民族に近い。
しかし、そこまでは分からないミンダウガスからしたら、同じキリスト教同士でモンゴルとドイツ騎士団が手を組む最悪の状況が頭をよぎっている。
そんな中、兄ダウスプルンガスが呼んでいるという伝令が入った。
「お前に聞いておきたい事と、言っておきたい事がある」
ヴォルタ城の寝室で、寝込んでいるダウスプルンガスが、声だけは強く話しかける。
このヴォルタ城は、父のリムガウダスから引き継いだ城だ。
弟であるミンダウガスは別の城を与えられた為、ここが本家という感じである。
ダウスプルンガスは、クールラントの戦いにおいて重傷を負った。
馬上で指揮をしていた所に、ドイツ騎士の突撃を受ける。
槍先はかわしたものの、激しい体当たりを受けて落馬してしまった。
それだけならまだ良かったが、立ち上がった所を、近くに居た馬に蹴られてしまう。
甲冑をつけていてもかなりの衝撃だったようで、ダウスプルンガスは血を吐いて倒れた。
彼の部下が助けようとするも、それらはドイツ騎士に討たれてしまう。
急いで駆け付けたミンダウガスとその近習によって、どうにか撤退のタイミングまで守り切れたが、血を吐く程の負傷はもう治せない。
全世界似たようなものだが、医療は神に祈るのが最善という時代であった。
こうして帰城こそしたものの、ダウスプルンガスは寝たきり生活になってしまう。
ミンダウガスを呼び出したのは、最早公爵としての責務を果たせない事から代行を依頼するつもり、ミンダウガスも周囲もそう思っている。
「ミンダウガス、お前が恐れたのはタタールとやらの武器や残忍さか?」
ダウスプルンガスは意外な質問をした。
確かにそれも怖かった。
だが、ミンダウガスが警戒したのはそういう表面的な事ではない。
「いや、兄貴。
タタールの連中は一糸乱れぬ行動をしていた。
勝手気ままに行動する奴が居なかった。
戦場において、全軍が意思を合わせて行動していた。
俺はそっちの方が怖いと思ったし、勝てないと感じた」
ダウスプルンガスは何度も頷くと
「やはりそうだったか。
俺はお前の話を半分しか聞いていなかったし、公爵たちの裁量権を制限して筆頭の意のままに動かすという事には今も反対だが、クールラントでやっとお前の言った事が分かったかもしれない。
弓矢とか全員騎兵とか、そういう事で過剰反応していたなら、お前の事を見損なっただろう。
だが、やはりお前はその奥にあるものを見ていたんだな」
そう言って嘆息する。
ダウスプルンガスは保守的な人間で、自分の武勇や勇気に自信を持っていた。
弟がタタールを必要以上に恐れ、改革しようとしているのを「魔に魅入られた」としか思っていなかった。
今まで錯乱した弟の話を受け流していたのだが、自分も一糸乱れぬドイツ騎士団の戦争を見て、ようやく何度も弟が言っていた話を呑み込めて来た。
魔術で精神をコントロールするとか、独裁者となって絶対的な命令をするとか、そういうオカルトな話ではない。
戦争において、小部隊を指揮するかのように、大部隊も指揮統率されねばばらない。
騎乗の将と数人の歩兵たる従士によるユニットの格闘戦、声が届く範囲にいる味方との連携、そういうのを活かせる戦場の設定、それだけではドイツ騎士団には勝てない。
軍隊の在り方を変えないと、ああいう事は出来ない。
だから、今のリトアニアではダメなのだ。
ダウスプルンガスはそこまでは理解出来た。
しかし、納得はしていない。
やはりリトアニアは、自立した領主たちの緩やかな連合で、それぞれが互いに余り干渉せず、時に領土や利権の奪い合いという小競り合いこそ発生しても、それこそが自由なリトアニアの象徴として、共通の敵には一致団結して立ち向かう、そういう地域で良いと思う。
だが、幾ら自分がそう思っていても、最早自分は公爵として、政治家や軍人としては役に立たない体に成ってしまった。
自分がこのまま衰え、やがて死ぬならば、弟が危険なやり方を推し進めるだろう。
だから、弟の正しさは認めるが、少しでも自分の思いを伝えて、リトアニアの良い部分を残して貰いたい。
「ミンダウガスよ。
俺の所領を全て相続しろ。
それでお前はアウクシュタイティヤ地域のほとんど(7割弱)を支配出来る。
そこまで巨大になれば、俺のような抵抗勢力も黙らざるを得なくなる」
ダウスプルンガスは、声だけは力強く言った。
ミンダウガスは、兄にしては意外な言葉に驚くと共に、聞き直した。
「本当にそう言っているのか?
聞き間違いじゃないよな?
兄貴が俺に賛同し、協力するっていう事なんだよね?」
「賛同なんかしていない。
俺は今でも、今のままのリトアニアが最高だと思っている。
だが、賛同しなくても反対だとしても、もう俺は何も出来ない。
前にも言ったが、俺はお前がおかしいと思っていても、お前を嫌いにはなっていない。
リトアニアの伝統に従って、お前が俺の領地を相続する。
それ自体は何もおかしくないだろ?」
一旦そこで区切り、息を吐く。
どう話そうか、考えているようだ。
ミンダウガスもそこは敢えて急かさない。
「なあ、ミンダウガスよ。
バルトの神々は、主神が3柱、その他多くの神々が森や星々や運命を守ってくれている。
たった一柱しか神が居ないなんていう、キリスト教とやらより優れていると思わんか?」
「え?
あ、まあ、うん、そうだな」
意外な話題を振られて、ミンダウガスは返答に困った。
「神々もだし、公爵たちもだし、民もだし、これが我がリトアニアの良い所だ。
キリスト教とやらに追いやられた中、俺は世界で一番の楽園がここだと思っている」
「そうかもしれないな」
「そうなんだよ!
だから、俺はリトアニアらしさを無くして欲しくは無いんだ。
それが守れるなら、お前はお前のやりたいようにやれば良いんだ。
そうでないと、キリスト教の騎士団に勝てないし、結局はあいつらの流儀に染められてしまう」
「…………」
ミンダウガスにも、兄が何を言いたいか吞み込めて来た。
リトアニアらしいリトアニアを守る為には、リトアニアらしからぬミンダウガスの国家改造をしなければならない。
その時、完全にリトアニアらしさを無くしないよう、根っこの部分でリトアニアらしさを維持し続けよ。
ダウスプルンガスはそう考えたのだ。
頑固な彼にしては、大分彼の本心を捻じ曲げて、現実に落とし込んでいる。
彼は本来なら、何も変えなくて良いと思っている。
だがそれでは勝てない、征服されてリヴォニアのようになってしまう。
元気な内に、もしかしたら暴走するかもしれない弟に、それを伝えておきたかったのだ。
「兄貴の思う事、理解したと思う。
誤解しているかもしれないから、俺も言っておくぞ。
俺は何も、公爵たちや民たちを魔術とか恐怖とかで抑えつける気は無いぞ。
出来る訳がない。
俺は、タタールやドイツ騎士団に勝てる軍を作りたい、それが出来るリトアニアにしたいだけだ」
ダウスプルンガスは聞きながら頷き、
「以前は何を血迷った、と思ったものだが、今なら素直に聞ける。
お前に皆を縛り付ける気が無いなら、それで良い。
俺はもう何も出来ない。
お前のやりたいようにやれ」
「兄貴の思いも受け取ったから、それは忘れないようにするよ」
「そうか。
なら呼んだ意味があったな」
兄弟は握手を交わす。
そして、さっきまでとは違って弱弱しい声でダウスプルンガスが囁いた。
「これは俺個人の話だ。
俺が死んだ後、子供たちを頼む。
子らはまだ幼い。
あと、末の妹もだ。
一族全ての面倒を見て欲しい。
もう家長の責務の果たせなくなる俺の……心残りだ」
ミンダウガスは一言「分かった」と答える。
結局それがダウスプルンガスの遺言のようなものとなった。
おまけ:
景教ことネストリウス派キリスト教。
作者は以前、契丹・遼の遺物を企画展で見てまして、その頃からネストリウス派が北方民族にも広まっていたのだと記憶してます。
モンゴルの敵で、ナウマン部のタヤン・ハンがネストリウス派だったとか。
そして、期待込伝説なのか、既に接触があったのか、宣伝なのか、
「あいつらキリスト教徒らしいよ」
とは割と早い時期、物語冒頭の1219年には言われていたようです。
……その噂だけで「イスラム教徒挟撃出来るかも」と十字軍計画する教皇庁もどうかと思いますが。
まあカトリックからは異端とされた宗派なんですけどね。
(その後、モンゴルは地域別にチベット仏教・密教、イスラム系、正教会になっていきますし)




