クールラントでの戦い
アジアは皇帝や国王独裁になりやすいが、ヨーロッパは議会政治になりやすい。
参加出来る者は限られるが、それでも議会が開かれて、国王や皇帝は無視した政治を出来ない。
リトアニアでも公爵たちによる集会が開かれた。
ジヴィンブダスが死んだ為、まず誰が集会を仕切るか?
この場でミンダウガスが筆頭となり、議長となる事は猛反対に遭って阻止される。
反対派の代表は、兄のダウスプルンガスである。
数から言えば、ルシュカイチャイ家とデルトゥバ公たちを味方にしたミンダウガスの方が多いのだが、長幼の序から言えばダウスプルンガスが優先される。
更に独立勢力というか、連合民族であるジェマイティア公たちが賛同しない為、ミンダウガスの筆頭就任は流れた。
多数決でなく、全会一致をダウスプルンガスが訴え、それが認められたから、数で押し切れなかったのだ。
そして公爵会議は、議長も居ないまま、揉めに揉める。
ミンダウガスがジヴィンブダスの領地を全て収めた事は、散々非難された後に、どうにか認められる。
しかし筆頭就任失敗と、領地継承の非難で風向きが悪くなったミンダウガスは、以後意見を言っても潰されてしまう。
混乱しているルーシ諸国とどう付き合うかという議題は
「和約締結が既に成された。
それで十分。
ルーシはルーシ、我々は我々、関わり合うな」
という意見に押し切られた。
対モンゴル戦略も
「タタールなんていうのを見たのはミンダウガスだけだから、一人の意見には従えない。
大体、言ってる事が荒唐無稽だ。
そんな奴等がいる訳ないだろう。
万が一実在したとしても、実際にそいつらが来たら、その時考えよう」
と無視する事が総意となる。
軍事改革に至っては
「やりたいならやれ。
我々は付き合わん」
となっていた。
ミンダウガスが筆頭的立場になる事を認めているデルトゥバやシャウレイの公爵たちも、対ルーシ、対モンゴルといった話ではミンダウガスの言う事に賛成ではない。
ダウスプルンガスが、自由にミンダウガスに反対出来る空気を作ってしまった為、ちょっとでも意見が違う者はミンダウガスに抗弁する。
ある意味、諸公連合のリトアニアに相応しい議会であり、その自由な空気によってミンダウガスの提案は全て否定された。
「本当に、あんなに厄介な男に成長するとは思わなかったよ」
プリキエネが溜め息を吐く。
女性である為に、発言権は無いオブザーバー参加であった。
その知謀や度胸に一目置かれているから、聞かれたら答えられる。
しかし男同士の議論に口を挟む事は許されない。
彼女は、ダウスプルンガスが誘導する議会を、ただ眺めている他無かったのだ。
「巻き返したいところだけど、あんたの主張は弱いよ、ミンダウガス。
結局、タタールとやらをあんた以外知らないのが問題だ。
知らない以上、軍事改革も、あんたが指導者となる体制も、必要だとは思われない。
だから、別な面から突っついていくしか無いねえ」
プリキエネがミンダウガス独裁への道筋を考えている。
彼女には彼女の情報網があった。
ミンダウガスと違い、プリキエネの目は西を見ている。
その目が捉えたのは、新たな脅威の出現であった。
「プルーセン族が、新しい狂信者に蹂躙されてるのは知ってるかい?」
プリキエネの問いにミンダウガスは
「小耳には挟んでます」
としか答えられなかった。
ミンダウガスには、ジェマイティアの先の、クールラントの更に向こう側の話だった為、まだ危機感を持つに至ってない。
「いくら勝ってるからって、騎士団を甘く見るのは感心しないねえ。
プルーセンを攻めてるのは、北のゴロツキとは違う、本物の狂信者さね。
本物だから、神の名を利用するだけで、実際には現世での物欲に忠実な奴らとは物が違うよ」
ミンダウガスがモンゴルの真の怖さを肌で感じたように、プリキエネはドイツ騎士団の危険さを直感で認識していた。
ミンダウガスも、この未亡人の鋭さに一目置いている。
彼女が危険だと言う以上、彼も警戒せねばなるまい。
ミンダウガスがドイツ騎士団を知る機会は、それからすぐに訪れた。
「いつぞやの貸しを返して貰うぞ。
お前も兵を出せ」
ダウスプルンガスが前触れもなく訪ねて来てそう言う。
公爵会議での対立等、もう気にも留めていない兄の言い様に、ミンダウガスも苦笑を禁じ得ない。
(こういう人だからなぁ)
と呆れながら、何処と戦うのかを聞く。
「主将はジェマイティアのヴィーキンタスで、俺は援軍に過ぎん。
クールラントは知っているだろ?
あそこにやって来て居座った、新しい敵だ。
北の狂信者と同じ、十字架の旗印だ」
リトアニア(ジェマイティア地方)とプルーセン(現代のカリーニングラード)の間に在る沿岸の土地、そこがクールラント。
ジェマイティア族とプルーセン人がお互いに行き来していた自由立ち入りの地で、産物である琥珀を採取していた。
その地に、新しい十字軍が来たのだと言う。
(プリキエネ様が言っていた、ドイツ騎士団とやらか?)
ミンダウガスは警戒すると共に、どれだけの連中か確かめてみたくなった。
ダウスプルンガスの戦闘能力はミンダウガスよりも上であり、ミンダウガスが情報で知ったドイツ騎士団の事を、ダウスプルンガスは直感で感じ取っていたようだ。
「警戒した方が良いぞ、ミンダウガス。
どうにもそいつら、今まで戦って来た北の連中とは違うように思う。
何か、危険なものを感じる」
そう語り掛けた。
こうしてクールラントに逃げ込んだプルーセン人を助けるべく出動したジェマイティアの公爵2人と、更にその援軍であるリトアニアの公爵数人は、ドイツ騎士団と初対決を迎える。
顔まで覆った兜、脇に挟んで持って衝撃を加える騎兵槍、全身を覆う鎖帷子、そして前後に「橋」と呼ぶ衝立の着いた安定性のある鞍に、円形ではなく台形で踏ん張り易そうな鐙。
見るからに金が掛かっている。
そして、足並みの揃った方陣を組んでいた。
リトアニア軍が罵詈雑言を浴びせるも、名誉にこだわって怒り狂い、突出するような馬鹿はいない。
非常に統制が取れていた。
リトアニア、プルーセンの弓隊が遠距離から矢を放つ。
ヘロヘロな遠矢であり、挑発以上の意味は無い。
攻撃されたドイツ騎士団の方陣から、機械弓の射撃が開始された。
長弓部隊もいる。
狩猟用の短弓と違い、長射程で高威力。
挑発していた味方弓兵が射殺されていく。
焦れたリトアニア軍が、投槍を構えながら十字軍の陣に向かって突進していった。
「主よ、我等に恩寵を!」
その号令と共に、ドイツ騎士が一斉突撃して来る。
踏ん張りの効く鐙に、身体が安定する鞍、そして突撃に適した槍により、リトアニア騎兵が打ち負ける。
ドイツ騎士は、第一撃でリトアニア軍に大打撃を与えたが、同時に激しい衝突で槍を壊していた。
否、槍が壊れる程の凄まじい突撃を叩きつけたのだ。
騎士たちはすぐに馬首を返して後退する。
打撃を受けたリトアニア軍は、怒りながらその後を追う。
それを十字軍の弓隊が阻止。
その間に騎士たちは、交換用の槍を従士から受け取ると、再度突撃態勢に入った。
方陣の一部が開くと、ドイツ騎士の第二撃が繰り出された。
騎士たちは神への詞を口にしながら、生命を顧みずに突っ込んで来る。
神によって守られている、死んでも必ず天国に行ける、その信仰が騎士たちを恐れ知らずにしていた。
その上、彼らは当時の先進国であったイスラム教国と戦って来た精鋭であり、足並みを乱したり、挑発に乗ったりしない訓練の行き届いた戦士たちである。
正面からの衝突が二回、たったそれだけでリトアニア・プルーセン連合軍は戦闘力を失ってしまった。
(あれは、俺が死を覚悟したタタールと同じだ。
武器も戦い方も違うが、命令一下乱れの無い突撃、無駄の無い後退。
そして馬上での身体の安定。
ダメだ、今の我々では勝てない……)
ミンダウガスは、モンゴルに続いて別の脅威が身近に現れた事を理解した。
そして、今まで帯剣騎士団とやって来たのは、到底戦争と呼べるものでは無かったという事も。
リトアニアと帯剣騎士団が繰り返して来たのは、単なる戦闘であって、それは個人対個人、小集団と小集団の武技の競い合いであった。
今、ドイツ騎士団は、兵力を活かす形での布陣、防衛戦術、そして攻撃は最適なタイミングでの騎兵衝撃を指揮官が下令と、集団が勝つ為の「戦争」をしている。
リトアニア側の最高司令官は戦上手なヴィーキンタスではあるが、彼とてダウスプルンガスや自分への命令権を持っていない。
公爵たちが私兵を引き連れて集まり、それぞれが思うように戦うのがリトアニア軍。
これでは勝てない。
ミンダウガスはその他にも、ドイツ騎士団の装備、特に機械弓や予備の槍といったものを見て、戦争には経済力が必要だと、その用語こそ知らなくても気づいていた。
小領主に過ぎない公爵たちの領民が村の鍛冶屋に頼んで、装備を手作りで用意するやり方では、とてもじゃないが追いつかない。
金を掛けて、優れた装備を多数揃えないとダメだ。
ミンダウガスにとって学びが多かった戦いではあるが、それは生き残った後、落ち着いてからの話である。
今、ミンダウガスは必死でドイツ騎士団と戦っている。
自分が助かる為、無論それもある。
だが、彼が必死になっている一番の理由、それは負傷し討ち取られそうになっている兄・ダウスプルンガスを助ける為であった。
如何に議会で酷い目に遭わされ、やりたい事を邪魔され続けていても、ダウスプルンガスは血を分けた家族なのだ。
兄を助けるべく、ミンダウガスは生命を掛けて戦う!
おまけ:
鐙について。
鐙も、ただダランと吊り下げたものではなく、疾走しやすいよう前寄りに、短くするとか工夫はありました。
足を引っ掛けるだけでなく、スリッパ型(壺型)になっていたり、足を置くタイプの舌長型、半舌型と種類も多数。
ヨーロッパでは、吊るす上の金具は軽量、踏ん張る下側は金属を増やす
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三三
こんな形の鐙になっていったとか。
ただ、乗馬姿勢まで考えていたのはフランス騎兵で、ドイツ騎兵は19世紀でも足が真っ直ぐになり、馬腹を締めるような乗馬姿勢だったようで、本作でもそこまでは言及しませんでした。
モンゴル騎兵は、鐙は長くなく、そこに足を掛けて立ったり出来て、騎射により適したものでしょう。




