ミンダウガスの覚醒
目をリトアニア西方に向ける。
現代のカリーニングラードの地は、ソ連に奪われるまではケーニヒスベルクと呼び、後世のプロイセン王国時代は首都であった。
プロイセンは更に古くはプルーセンと言い、リトアニアやリヴォニア同様、バルト海沿岸の非キリスト教系民族が暮らす地であった。
ポーランド人は、当初プルーセン人に対して穏やかな布教活動をしていた。
プルーセン人もキリスト教に帰依し、教化は順調かと思われた。
しかし、リヴォニアにおける帯剣騎士団の悪行が、一気にこれを覆す。
異教徒は虐殺、帰依した者は奴隷化、同じキリスト教徒も攻撃、土地は私有化し、それを咎めるローマ教皇からの特使を叩き出す。
挙げ句にリガ大司教をローマ教皇同様の立場と言い張って祭り上げ、富をリガ大司教の名の元に集める。
反乱が頻発し、反乱したエストニア人やリヴォニア人には過酷な処刑を行う。
こんな様子を知ったプルーセン人たちは、キリスト教を棄教して反乱を起こす。
このプルーセン人の反乱には、同じ非キリスト教のリトアニア人、その中でも低地ジェマイティア人が加担していた。
というか、この辺りは隣人同士であり、まだプルーセンもジェマイティアもリトアニアも「国家」を持っていない以上、お互い様のような関係で手助けし合っていた。
プルーセン人の反乱に苦戦するポーランドのマゾフシェ公コンラート1世は、帯剣騎士団等の北方十字軍とは違う、本物の十字軍を呼ぶ。
エルサレムの近くのアッコンで結成され、本来は聖地防衛の戦士の為の病院を建てる修道会だったが、やがて十字軍としてイスラム教徒と戦う事になるチュートン騎士団である。
コンラート1世は、リトアニアとプルーセンの間に在る沿岸地域クールラントの領有をチュートン騎士団に認め、代わりにプルーセン、リトアニア両者と戦うよう依頼する。
これが「ドイツ騎士団」の始まりであった。
なお、チュートン騎士団の本隊は、まだ中東に在り、信仰の為に戦い続けている。
リトアニアには、北部の帯剣騎士団なんかより恐ろしい脅威が東西に出来つつあった。
だが、多くのリトアニア人は気づいていない。
ミンダウガスは、東の脅威を恐れていたが、西の脅威はまだ顕在化していない事もあり、気にしていない。
モンゴルだけでも十分な恐ろしさである。
そんな彼の元を、プリキエネ公爵未亡人が訪ねて来た。
「策を言っていいかい?」
前振り無しに女傑が言い出す。
「ジヴィンブダス公の遺領を、直ちに奪いな」
ミンダウガスは黙って聞いている。
彼にもその意思が、無くは無かった。
同族である為、相続を口実に領地、というか農地と人民と縄張りを掠め取れる。
彼の父親が死んだ時、まだ若いダウスプルンガスや、少年のミンダウガスには任せられないと、叔父たちが父の領地を奪っていったのだ。
相続を口実にして。
ジヴィンブダスもその時は加わっていた。
奪った部分は微々たるものだが。
今、同じ事を出来なくもない。
だから兄や、気に入らないが従兄弟たちと足並みを揃えてジヴィンブダスの遺領分割を……
「そんな間怠っこしい事をするんじゃないよ。
全部、根こそぎ奪ってしまうんだよ」
プリキエネはそう言って、ミンダウガスの甘い考えに冷や水を掛けた。
「全部ですか?」
「ああ?
耳でも悪いのかい?
全部と言ったら全部だよ!
そうでないと、あんたが第一人者にはなれないね」
確かに長老たるジヴィンブダス公領は多い。
リトアニア5公爵の内、4番目のミンダウガスが1番目のジヴィンブダス領を併合すれば、一気に指導的立場になれる。
だが、デメリットも大きい。
皆から警戒されるのだ。
それに、古来よりのやり方に反する。
リトアニアの土地は皆のものである。
例え親族の土地を奪っても、全部は奪わない。
遺児が生活していける程度には残してやる。
奪い奪われしつつも、いざという時は同族で結束するのだ。
だからこそ、リトアニアの貴族たちは数多く、同族や家系である程度は纏まりながらも、基本は独立した関係で割拠している。
全部奪い独占するのは、リトアニアのやり方ではないのだ。
「やるのかい?
やらないのかい?
やらないなら、私はもうこれ以上は言わないよ」
プリキエネが突き放したような言い方をする。
(何故この女は俺に拘るのだろう?)
という疑問を抱えつつも、ミンダウガスは答えた。
「やりますよ。
確かに貴方が言う通り、全部奪った方が良い。
俺にはやりたい事がある。
それには、強い力が必要だ。
しきたりを守らぬ不届者、同族の遺児を大事にしない悪人、何とでも言われよう。
俺は領地が欲しい」
プリキエネは一瞬驚いた表情になった。
しかし、すぐに満足そうに肉食獣的な笑みを浮かべると
「だったら、後は任せな!
うちは、ルシュカイチャイ家はあんたを支持する。
私はデルトゥヴァの公爵たちを説得してやるよ。
特にあんたの舅・ビクシュイス公は、娘婿を助ける事に異論はないだろう。
力になってくれようよ。
あと、シャウレイのブリオニス家。
あそこのヴィスマンタス公は、あんたの女を奪ったんだろ?
そこを突いて、弱みを握って、あんたの敵には回さない。
あの三兄弟、誰か一人を籠絡すれば、後は簡単さね。
そしてジェマイティアのヴィーキンタス公。
あんたの姉を妻としている義兄弟だねえ。
それも私が味方につけてやるよ。
なんせ、『貸し』が有るからねえ」
ミンダウガスはやはり不思議に思う。
自分に拘るだけでない、どうしてここまでしてくれるのだ?
リトアニアに公爵は他に18人も居るではないか?
ミンダウガスは思わず疑問を口にした。
この辺り、まだ若さが残っている。
プリキエネは自嘲気味に笑いながら、その理由を語り出した。
「私は女なんだよ。
多少戦争の心得はあっても、役になんか立たない。
だからねえ、常にどうやったら、亡き夫の領地を守れるか考えて、今まで生きて来たんだよ。
それには、汚れ仕事も必要。
私を敵に回したら厄介だと思われたら、勝ちなのさ。
それで、私はあちらこちらに策を売り、利益を得させて来た。
私はそうやって皆から侮られないようにしたのさ。
だからだろうね、あんたの父が死んだ時、領地を奪われた時、あんたの兄は私に助けを求めて来た。
私は策を授けたよ。
それは、あんたを殺すか追放し、あんたが相続する筈の領地も併せれば、ダウスプルンガスはまだ有理な立場に立てるというものだったんだよ。
あのボンクラは……勇者ではあっても、古いやり方に拘るカビ臭い奴は、それを断った、泣きながらね。
次に私は、張本人の叔父や従兄弟を皆殺しにしろと言った。
だがそれも断ったのさ、やっぱりだらしない怯えた顔でさ。
私を呼びつけて置きながら、私を古きやり方を破壊する魔女だと罵ったのさ。
頭に来たんで帰ろうとしたら、這いつくばって、それ以外の策を……なんて泣きついて来やがった。
だから第三の策で、あんたの姉をジェマイティアのヴィーキンタスに嫁がせる策を授け、仲立ちしてやったのさ。
丁度あの時、ヴィーキンタスも無理な出兵が祟って、領民に不満を持たれていたからねえ。
あんたの姉が持っていった手土産で、息を吹き返したってところさ。
それなのに、あの石頭どもは事が済んだら、お互い気が合わないとか言って反目していやがる。
全くもってお笑い草さね」
ここでミンダウガスは、かつて兄がこの女性に頭が上がらなかった理由と、過去に何があったのか
「知らない方が良い」
と言われた理由を知った。
この女性の策通りなら、自分は公爵になれなかったどころか、この世に居なかったかもしれない。
プリキエネは酒を飲み干すと、ミンダウガスを観察した。
「私を憎むかい?
あんたが居なければ、ダウスプルンガスはあんたの領地を併せてもっと強かった、そんな策を授けた私を殺したいかい?」
ミンダウガスは首を横に振る。
「数年前の俺なら、剣を取って貴女に突き付けていただろう。
だが、今は違う。
俺が思うに、俺を廃して相続分を増やすその策は正しい。
俺の領地も併せていた方が、兄貴は今よりもっと立場が上だった。
俺の生命を泣きながら救ってくれた兄貴には頭が下がるが、それとこれとは別に考える」
プリキエネは笑う。
「なんで私があんたの味方をするか?
今のが答えさね。
私は昔から思っていたんだよ。
リトアニアに統治者は多過ぎる。
男どもは、親族付き合いだ、同族の情けだ、古来よりそうして来た、等と理屈を並べる。
女の私からしたら、そんなの糞食らえだ!
四方を邪教徒に囲まれていながら、なんでうちらは分裂してるんだい?
敵が阿呆だから今は勝ってるが、それに付き合ってやる必要は無いんだよ」
いつかキリスト教騎士団が本格的な脅威になると見ているプリキエネの危惧と、ミンダウガスの思いは似ているが少し違う。
ミンダウガスはモンゴルを知った。
あれに比べれば、騎士団なんて大したことない。
いつか来るかもしれないモンゴルに対する為、リトアニアは纏まらないと。
「プリキエネ様、ご助力に感謝する。
俺もリトアニアを一つにし、脅威に立ち向かうという思いは同じです。
俺がやりますよ、どんなに悪く言われてもね」
プリキエネは満足そうである。
「あちこち回ったが、他の連中はどいつもこいつもボンクラだった。
マシなのはあんただけだ。
ボンクラでも人は良いから、あんたの部下なら丁度良いかもな。
……ミンダウガス、約束しろ。
私を失望させるなよ……」
そう言って差し出された手を、ミンダウガスは握った。
覚悟は決まったのだ。
おまけ:
ドイツ騎士団も中々香ばしいのですが、
リヴォニア帯剣騎士団は群を抜いて酷い。
同じキリスト教、ローマ教皇からもボロクソ言われてるので、作中の扱いも大体史実準拠です。
何となくそう思われてそうですが、作者はキリスト教嫌いじゃないですよ。
色々好きに書いても「書籍化するにはちょっと…」ってならないのと、史書をちょっと斜めから読むと、中々ヤバい面が見えるので、そういう面を敢えて書いてるのです!




