21人の公爵たち
「兄貴、なんで俺はこの場にいるんだ?」
若干16歳の若造・ミンダウガスは、兄のダウスプルンガスに尋ねる。
「数合わせに決まっているだろ」
ダウスプルンガスが弟の頭をひっぱたきながら答えた。
この2人、リトアニアに多数いる公爵であった。
バルト海沿岸の小国リトアニア、いや、まだこの地に「国家」は成立していない。
複数のバルト系民族やスラブ系民族の族長である「公爵」が割拠し、それぞれがバラバラに行動していた。
これより前、西暦1193年にローマ教皇クレメンス3世は、バルト海沿岸の異教徒に対して十字軍を派遣させた。
いわゆる「北方十字軍」であり、この時期までに現在のエストニアや、ラトビアに相当するリヴォニアと呼んだ地域が「帯剣騎士団」によって征服されている。
現在のロシアの飛び地・カリーニングラード辺りに住んでいた異教徒プルーセン族(プロイセンの名前の由来)は、キリスト教国のポーランド王国に幾度も攻撃を受けていた。
リトアニアの地も、帯剣騎士団、ポーランド王国といった国々から狙われ、度々侵略を……受けていたのは、まあ事実でなくはない。
現在の穏やかな、独立を「歌う革命」で成したリトアニア人を見て、この時期のリトアニア人を判断してはならない!
彼等は、リヴォニア、エストニア、ルーシ、ポーランドに対してしばしば逆に侵攻を行っていた。
彼等は強いのだ、それも結構かなり。
そして先に述べた事なのだが、この時期のリトアニアは統一国家ではない。
部族連合に過ぎない。
その部族の一部だけで、騎士団やルーシ諸国の一つで、キエフ大公国から分裂した国家の中では最大のハリチ・ヴォルィニ公国をも悩ます程に厄介だったのだ。
そのリトアニア人に頭を悩まされていたハリチ・ヴォルィニ公と、この度和平条約が結ばれる運びとなったのである。
繰り返しになるが、リトアニアは国家として成立していない。
そこで、各地に点在する公爵たちと、ハリチ・ヴォルィニ公との間で和平が成される。
……要は、全員と締結しておかないと、勝手に攻撃する部族が出てしまうのだ。
こうして21人の公爵が集められる。
ミンダウガスと兄のダウスプルンガスは、亡き父・ダンゲルティスの遺領を分割相続して公爵となっている。
このダンゲルティスは、リヴォニアやエストニアに何度も攻撃を仕掛けている、いわば「騎士団の強敵」であった。
ハリチ・ヴォルィニ公国と同じく、キエフ大公国から分裂して出来たノヴゴルド公国と同盟しようとして赴き、その帰路に騎士団によって捕らえられ、リガに幽閉されてしまった。
ダンゲルティス幽閉中に、他のリトアニアの公爵たちは相続という名目で彼の土地の一部を蚕食し、ミンダウガスとダウスプルンガスが受け継いだのは一部を失った領土に過ぎない。
その土地を奪って地域の代表的な公爵となったダンゲルティスの弟・ステクシュスも、リヴォニアに侵攻して戦争を行い、1214年に敵地で戦死してしまった。
今回の和平協定締結には、このステクシュスの子であるダウヨタスとヴィリガイラの兄弟も参加する。
二十歳にもならないミンダウガスが呼ばれたのは、父の領土を奪ったダウヨタスとヴィリガイラという従兄弟への対抗という意味もあった。
(これは一体どうした事か……)
ハリチ・ヴォルィニ公ダニエルは頭を抱えている。
和平条約締結の筈、だよな……。
しかし、リトアニア21人の公爵の中には、メンチを切って威嚇して来る者もいる。
リトアニアという一語で、この時期は説明出来ない。
リトアニアを構成する主要な民族には、低地人を意味する「ジェマイティア人」と、高地人を意味する「アウクシュタイティヤ人」がいる。
彼等は言葉が通じるようで、通じないような、それくらいには離れた民族だ。
とりあえず公用語はともかく、方言でもある日常会話は意思疎通困難である。
ミンダウガスは高地人の族長の一人だ。
高地と言っても、リトアニアの場合標高150~250m程度の場所なのだが。
以後、アウクシュタイティヤ人やその住まう地を「リトアニア」、ジェマイティアはそのままジェマイティアと称す。
このリトアニア人が、ルーシ方面にも侵略を行っている。
よってダニエル公にしたら、高地人たちと和議を結べば足りるのだが、彼自身の思惑によって全公爵を招待した。
低地人ことジェマイティアの公爵、ヴィーキンタス公とエルドヴィラス公にしたら、ミンダウガス以上に
「ないごて、おいどんらぁが呼ばれっとかい?」(ジェマイティア弁)
と不満たらたらなのである。
それが態度に現れ、格上のダニエル公に喧嘩でも売らんが如く威嚇をしている。
一方、ルーシ地方(現在のベラルーシのミンスク近辺)の侵略を諦め切れないダウスプルンガスやダウヨタスといった者たちも、相手側に対し挑発的な態度を取っている。
既に和約は代理人たちによって署名するだけになっており、後は全員批准して、固めの杯でも交わそうかという段階なのだが、侵略欲を諦められない者たちは、どうにか相手を怒らせて破約に持ち込もうと振る舞っていた。
場は次第に混沌になりかけていたのだが……
「あんたら、いい加減にしとくんだね」
ドスの効いた女性の声が轟く。
やはり講和の場に呼ばれていた、プリキエネという未亡人の声である。
彼女は亡き夫・プリキス公爵の代理としてやって来たのだが、いわゆる「女傑」であり、女ながら署名に欠かせない存在だったりする。
彼女が属するのはウピテ地方を支配するルシュカイチャイ家である。
この家系は、九州人と東北人程に気が合わない低地人と高地人を結びつける存在であり、ウピテ地方はまさに両地域の中間に位置していた。
部族連合の要とも言えるルシュカイチャイ家の女傑に一喝され、ジェマイティア人とリトアニア人も大人しくなる。
ダニエル公もホッと息を吐いた。
どうにか和約は全員が批准し、神の名において成立しそうだ。
「ハリチ・ヴォルィニ公、お騒がせしました。
和平は我々としても望む所なのですが、どうにも若い者は血の気が多いものでして……」
リトアニアの公爵の一人で筆頭にあたる、ジヴィンブダス公がダニエル公に謝罪する。
この人物が部族長の最年長な事もあるが、対立関係にあるダウスプルンガス・ミンダウガス兄弟とダウヨタス・ヴィリガイラ兄弟でどちらかを上位にするわけにもいかず、彼が和約の筆頭署名人となっていた。
「いやいや、和平が成れば、私はそれで十分ですよ」
ダニエル公は笑顔で応じるが、内心では
(いや、血の気が多いどころじゃないぞ。
なんだ、この不良の集団は)
と辟易していた。
現在のウクライナ西部からベラルーシにかけて領土を持っているハリチ・ヴォルィニ公国。
ハリチ公国とヴォルィニ公国が合併されて成立した国である。
故にダニエルは正確には「ハリチ公兼ヴォルィニ公」であった。
ダニエル公はすんなりと君主の座には着いておらず、貴族達の陰謀によってハリチ公領を現在は失った「ヴォルィニ公」のみの状態である。
やがて再統一を果たす英傑ではあるが、それでも国境が定まっていない為、リトアニア人の侵略を受けたり、対抗貴族に傭兵としてリトアニア人が参加している事に頭を悩ませていたのだ。
だから、何としてもリトアニア及びジェマイティアの全ての公爵たちと和平を成立させたい。
多少の不良どものオラオラな態度にも、笑って応じる他ない。
なお、ダニエル公この時18歳。
若造だと遠慮しているミンダウガスの僅か2歳年長なだけだが、彼は既に国を背負っていた。
西暦1219年時点で、まだ二十歳に満たないこの2人の若造が、やがて歴史を動かす事になるのだが、その事をここに居る誰もが予想だにしていない。
どうにか21人のリトアニアの公爵と、1人のハリチ・ヴォルィニ公との和平は成立。
やたら喧嘩を売るかのように絡んで来るリトアニア人との酒宴も無事に済ませ、ダニエル公は帰国の途に着いた。
「うざかったですね」
側近がダニエル公に不満を漏らすも、
「酔っ払いの相手は慣れているからね」
と、酒癖が悪いルーシ人たちの君主は笑って返す。
その笑いを引っ込めると、彼は部下に尋ねた。
「東方の蛮族たちは今、どうしている?」
東方の蛮族、それは大英雄チンギス汗が率いるモンゴル帝国の騎兵たちの事だ。
彼等が旧キエフ大公国に迫っているという情報は、ルーシ人たちを警戒させている。
本来は遺領を巡って内乱になるキエフ大公国分裂国家群、ハリチ・ヴォルィニ公国、ノヴゴロド公国、ウラジーミル・スーズダリ大公国、等等の国が、ここのところは争わずに共闘姿勢を取る程にモンゴルは脅威なのだ。
ダニエル公にしたら、一刻も早く自国を再統一したいし、一方で周囲と協調して東方の脅威に立ち向かわねばならない。
そうした苦労に比べれば、リトアニア人たちの態度なんかは問題にならないだろう。
「とにかく、連中から攻められないよう、異教の神にすら頭を下げた。
そして、連中の目をリヴォニア(現在のラトビア)とポーランドに向ける事に成功した。
北の脅威が無くなった以上、早く再統一をせねばならん」
ダニエル公は危機感を持って居城に急ぐ。
「兄貴~、ルーシの方を攻められなくなったけど、この後どうすんの?」
ダニエル公に比べ、ミンダウガスはまだ国を背負ってもいない、族長のボンボンであった。
彼の気の抜けた声に、兄ダウスプルンガスは頭突きを食らわす。
まあこれは挨拶のようなものだ。
「東や南に攻め込めない。
だったら北を攻めるしかなかろう!
キリスト教の騎士団とやらを、ぶっ殺すのだ~!!!!」
やがて統一リトアニアの初代にして唯一の国王となるミンダウガスの物語がこれより始まる。
最初に書いておきます。
この時代の事を具体的に書いた史料が、全く見当たりません。
なので、人物の性格描写は完全に創作です。
事績しか残っていないし、それも敵側の史料だったので、ジャンルは歴史ですが、史実通りなのは出来事と年表だけで、後はただの物語として解釈して下さい。
作者の大好物・蛮族風味満載ですが、文句はリトアニア人からのみ受け付けます!
ラトビア人、エストニア人、あとドイツ人も可。
その際、史料くれたら嬉しいなあ。
※本日と明日は3話ずつの更新となります。