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第18話 「鷹の構想」

 10分後、誠司が会議室に戻ってきた時、会議室の中にいる人数は8名に減っていた。桜庭慎司が退席していたのである。


 「すいません。桜庭は急用が入りまして、失礼ながらそのまま社に戻らせていただきました」


 申し訳なさそうに説明する冬川に、


 「あぁ、聞いてるよ。さっきちゃんと私に挨拶して帰っていった。気にすることはないよ」


 と誠司は落ち着いた口調で応じた。こういった場で担当者を残してその上長が席を外すのは、だいたい結果が既に決まっている時である。しかも敗北が濃厚な時だ。しかし、既に勝ちを確信している二晴は桜庭の退席など気にも留めなかった。というより、もう勝負はついた。追加融資の話も必要ない。そう思って桜庭は帰ったのだろう――と都合よく解釈していた。


 だが、冬川は違った。桜庭が帰る直前に「先に帰る。あとはよろしく頼むよ」と言われた。その言葉は、彼女には「後始末はしとけよ」と言われたように響いた。桜庭もこの案件は失敗したと見切りをつけてさっさと帰っていった――冬川にはそう思えた。勝ったと思っているのは、二晴ぐらいのものである。


 「では三鷹の番だ」


 誠司にの言葉に促されて、三鷹は秋葉と目を合わせ、軽く頷いた。いよいよだ。三鷹は椅子に深く腰をかけたまま、誠司の方へ身体を向けた。


 「30億のプランは……用意してない」


 三鷹のその言葉に、二晴がふっと鼻で笑った。この場にいる誰も、三鷹が30億円を本当に用意できるとは思っていなかった。だが、それを笑う場面ではない。誠司は無表情のまま黙っていた。そのまま三鷹の言葉を待った。三鷹は間を置かず言葉をつなげる。


 「用意してないと言うより、用意する必要がない。で、親父に一つ訊きたいんだが、もし相続税を30億円も払わずに済む方法があるとしたら、どうする?」


 「それはまぁ払う必要がないならそれに越したことはないが……そんなことは…」


 唐突な質問に誠司は怪訝な顔をした。


 (脱税でもしようと言うのか?もしそんな話をするようならがっかりだ。とんだ見込み違いだ)


 誠司の言葉を最後まで聞くことなく、三鷹は秋葉に目で合図を送った。


 「今日はそれを説明させて頂きたいと思います」

 「ちょっと待て。お前は誰だ?」


 秋葉が説明を始めようと立ち上がった瞬間、二晴が語気を強めて声を上げた。

 だがすかさず三鷹がその言葉を遮った。


 「この人は秋葉といって俺の腹心だ。彼が話すことは全て俺が話すことと同じだ」

 「ありがとうございます」


 三鷹の一言に秋葉はにこやかに礼を言った。三鷹にすれば二晴の横やりを封じる為の単なる一言だったが、秋葉は内心、感動していた。コンサルタントとしてクライアントにそこまで信頼されること、それは彼にとってこれ以上ない喜びだった。


 秋葉は三鷹と自身の間にホワイトボードを引き寄せて、ゆっくりと説明を始めた。


 「結論から言いますと、YUZUNOKIの時価総額を下げることを考えます」


 香川がかすかに反応した。


 「ではどうやって下げていくか、ですが、まず今のYUZUNOKIの業務を二つか三つに分類します。そのあとYUZUNOKIとは別資本で会社を作ります。これは、業務ごとに機能を持たせたアウトソーシング会社になります。大枠を言えばYUZUNOKIを分割することになります」


 この時点では、誠司も一誠も、二晴も、冬川ですらまだ完全には飲み込めていなかった。香川だけが秋葉の描こうとしている図式の輪郭をぼんやりと掴み始めていた。


 「そのアウトソーシング会社に、YUZUNOKIが業務を外注に出すということです。その会社に、今いるYUZUNOKIの社員を出向、または転籍してもらいます。そして売上はこれまで通りYUZUNOKIに計上されますが……業務委託費をアウトソーシング会社に支払う形になります。ここは調整することになりますが、まぁ簡単に言えばYUZUNOKI本社の利益が減る状態、可能なら赤字になる状態が好ましいですね」


 「いや、しかしそれは」


 香川が口を挟もうとした瞬間、秋葉が手を軽く挙げて制した。


 「わかってます。税務署に相続税回避とみなされるってことですよね。ですので、この業務委託費の金額設定はきちんと精査し、妥当性を持たせる必要があります。さらに、YUZUNOKIだけでなく、外部の企業からの受注も取りに行く必要があるでしょう」

 「いや、それだけでは税務署は」

 「相続税回避と言ってくる可能性があるでしょうね。もちろん設立してすぐに相続を行えば回避目的と見なされるでしょう。ですので、時間が必要になります。理想は10年、最低でも5年以上続けてからの相続になります。それにきちんと経営合理性があること。つまりYUZNOKIの仕事だけでなく、外部の仕事を取っていって売上を立て成長させていくことも重要です。そしてその間に税務調査が入って問題なしとされれば、より良いでしょう」


 誠司は香川をじろりと鋭い目で見た。秋葉の説明に口を挟もうとしたことは、つまり、「お前はこの方法を知っていたんじゃないのか」という目である。誠司のその様子を見て秋葉は続けた。


 「香川さんは誠実なのです。そして優秀な税理士です。節税はしても納税はきちんとするべき…と思っているのでしょう。そういう誠実な税理士だからこそ、長年、柚木社長も依頼し続けたんじゃないでしょうか。もし柚木社長がこの方法を思いついて香川さんに相談したのなら、香川さんは適確に、そして具体的にアドバイスをしてくれた筈です。ですので、これが脱税にならないよう、具体的なところは香川さんにお願いできればと思います」


 誰も声を発する者はいなかった。一誠と二晴はあまりにも唐突な話で理解できずにいる。冬川は頭の中で話の整理を急いでいた。秋葉はさらに続ける。


 「さっきの一誠さんの計画書を見れば……分ける業務は店舗運営が一つ、次に商品の仕入れや商品開発、そして」


 「加えるなら新店舗開発と既存の店舗そのものの管理業務を行う不動産業務だろう」 


 三鷹が言葉を引き継いだ。


 「三つの会社は俺が作る。そのうちの一つの店舗運営については、一誠兄に社長を任せる。やることも立場も今とほとんど変わらない。既存の店長達を引き連れてさっきの計画を進めてくれ。で、残りの二つは俺がやる。親父は、YUZUNOKIの社長のまま、全体の調整をとってくれたらいい」


 話の展開が早かった。構想は既に終えている。それを仕切るのは俺だ――と言わんばかりの三鷹の言葉だった。

 二晴はいきり立って叫んだ。


 「YUZUNOKIを三つにバラバラにして全部自分の物にしようと言うのか!だいたい跡を継ぐかどうかは30億を用意できるかどうかだ。それができなかったお前には何の資格もない!」


 (――いや、それは違う)


 誠司も、一誠も、片山も、冬川も全員が同じ考えを抱いた。30億円は相続税として必要なだけで、払わなくて済むなら払わない方が良い。仮に30億円が調達できたとしたら、事業成長にとって何の生産性もない税金を支払うより、新規出店にでも投資する方がはるかに良いのだ。解っていないのは二晴だけだった。


 三鷹は二晴を一瞥もせず言葉を続けた。


 「二晴兄にはYUZUNOKI本体の副社長として親父の補佐をお願いしようと思っている」


 その一言に、二晴は返す言葉を失った。


 (なに?副社長?俺が本社の副社長だと?)


 いきなり緊張感と静寂が広がった会議室で、誠司は驚きを隠せなかった。会議室の中の雰囲気が一変していた。


 いったいこれはなんだ。ついさっきまで概ね自分のシナリオ通りに話が進んでいた。それが三鷹が喋り出した途端、あっという間に変わってしまった。仕切り役である自分が息子たちの話を聞いて判断を下す――そう、主導権は自分の手にある筈であったのに、さも決定するのは俺だ、仕切るのは俺だ、という三鷹の態度である。


 一誠は圧倒されている様子で、喚いた二晴も一瞬にして黙らせた。唯一、主導権を取り戻すことのできる自分が言葉を出せない。頭の半分で三鷹の案を精査しようとしている自分がいる。そしてまだ三鷹の案の穴や税制などの精査を行わないといけないと思いつつも、もしそれが問題ないとしたらここで否定するわけにはいかない。なにより多少の問題があろうと、それが最良の方法なら挑戦していくべきことだ。


 (ここでこの案は検討する余地がある。香川と顧問弁護士に確認する時間がいるので今日のところはこれまで…)


 などと言おうものなら経営者としての沽券に関わる。なにより三鷹に尻尾巻いて逃げたと思われそうだ。思われそうではない。確実にそう思うに決まっている。

 その三鷹が続けて言った。 


 「資本は別になるが、全社的な方針と調整は親父と二晴兄体制。一番大きい規模となる店舗運営は一誠兄。新規出店・新業態開発については俺、の体制だ。数年経って落ち着いたところでYUZUNOKIの株式の相続を行うことになる」


 (場合によってはYUZUNOKI本社などそのまま潰してしまってもいいかもしれないですけどね)


 と心の中で呟いたのは秋葉宗一である。その可能性については三鷹に伝えていない。伝えてしまえば、もしそうなった時に、三鷹が予め二晴を切り捨てるつもりだったということになってしまう。三鷹と二晴の仲は悪くとも、三鷹に二晴を切って捨てるまでの考えはない。もちろん二晴自らYUZUNOKIを去るというのであれば、それを止めようとする気は三鷹にまったくないのだけれども。


 誠司は三鷹の案の整理をしようとしていた。正確に言えば、三鷹の考えを読み取ろうとしていた。


 (三鷹は既に決定事項のように話をしている。まだ三鷹の案を採用するとも跡継ぎを三鷹に決めたと宣言したわけでもないのに。余程の自信があるのだろうか。ここで勝手なことをぬかすな、と一蹴することはできる。しかしそれは尻尾巻いて逃げるのと一緒だ。その相手が息子であれば尚更だ。しかも、もし三鷹の案以上のものがなく、後日やはりお前の案でいく、と三鷹に言ってみろ。俺が頭を下げて頼むまでそっぽ向くんじゃないか。そうなった時は俺に何の力もなくなってしまう。もちろん三鷹がいなくてもできることではある。俺が若ければ。そもそも歳と健康のことで跡継ぎを考えて今回のことを言い出したのに、三鷹を除外してしまえば元も子もなくなる。なるほど、そうか。それで三鷹は……)


 老いてもまだ頭の回転は速かった。三鷹の真意を正確に把握しようとしていた。


 三鷹が話す構想の是非はともかくとして、三鷹はついさっき知ったばかりの一誠の計画まで組み込んだ。組み込んだ上に指示を出したと言っていい。指示を出した相手が誰あろうと、自分で作った計画を進めろと言われて「嫌だ、お前の言うことは聞きたくないからやらない」などと子供じみたことが言えるだろうか。言えるわけがない。一誠には何も言えないだろう。


 さらに三つの会社に分けるということは、いずれその一つ一つを社長として兄弟に任せる可能性があると示唆している。そして、その二晴をYUZUNOKI本体の副社長に据えると言っている。これは「二晴の教育は親父がやれ。猶予は与えたぞ――」というメッセージが込めらている。おまけに「全体の調整をやれ」というのは、兄弟間が相続で争わないようにしろ、という意味も含まれている。それが理解できない誠司ではなかった。


 この三鷹の構想の中に、相続争いを回避させるという“父の役割”が織り込まれているのだと気づいた時、誠司は主導権が自分の手の中になくなったこと、いや、主導権を手放すべきことを悟った。



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