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愛国の王女  作者: 小松しま
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「……これを、俺に?」


 手合わせから十日後。

 既に恒例化していたイルファールス王の警護の任に着くハルバートの後衛役としてもう一人の同僚と共に扉の番を務めるトーリアスに、部屋を退出する男装のエリシア王女が、一本の紐を差し出したのである。

 既に、他者の介在しない場での彼女とのやりとりに、敬語は用いられなくなっていた。

 今も職務中ではあるが、他には気心知れた同僚が一人いるだけなので、公け扱いをしていない。

 エリシア王女は、全く以て不思議な魅力の主で、剣を交えた騎士たちの心をまたたく間に捕え、長年の友人のような間柄になってしまう。

 今やトーリアスも、手合わせの際に人垣となっていた同僚たち……隣にいるのも、その一人だ……と変わらず、彼女の信望者に連なっている。

 とは言え、妄信的な忠誠を捧げている訳でないのだが、それでも、王か王女か選択を迫られた場合、判断に躊躇はもはやない。

 間違いなく、イルファールス王より、エリシア王女は、より優れた君主たる器を持っているのだから。

「ええ。ロクサーナちゃんに刺してもらったの」

 トーリアスが受け取ったのは、頑丈な組紐と細く切ったなめし皮のベルトを美しい色彩で編み込んだ、剣の下げ緒だ。

 実用箇所でない部分に、二本のリボンを揃えて短く切り取ったものをかがり縫いでまとめ上げ、ほつれにくく周囲を補強した布片が添えられている。

 そこには、トーリアスの名が飾り文字で糸を使って縫い込まれていた。

 つまりは、タグ……名札で、同僚たちの多くが用いているものと近しい意匠である。

 エリシア王女からの贈り物であり、受け取った彼らにとって、大切な宝であるのを、トーリアスも知っていた。

 傍らの同僚も、誇らしげに腰に下げており、正直な羨ましさを抱いていた品だ。

「手合わせのお礼よ。友情の印として受け取ってもらえて?」

「……王女さん……」

 思わず、トーリアスは強く握り込む。

 刺繍の達人として知られている、どこか神秘的な気配を漂わせる佳人が手ずから仕上げるその品に、彼も憧れを抱いていたのだ。

 同僚たちがどのような経緯で、かの佳人の作である下げ緒を譲り受けていたのか、思いがけない形で知った瞬間だった。

 ちなみに、一同はロクサーナ姫の性の真実を知らないらしい。

 そもそも、万事控えめの深窓の姫君だ。

 出歩く先も限られており、言葉を交わす相手もごくわずか。

 かつて剣術指南をしていた古参の騎士を除いて、接点らしい接点がないため、違和感の覚えようもなく、疑問さえ抱かないだろう。

 本当に、どこからどう見ても完璧な淑女だ。

 疑われていないのはむしろ当然。

 ごく限られた上層部だけの秘密を明かされた重みを、トーリアスは今更にかたじけなく思う。

 いずれルゴールの後を継ぐ予定のハルバートのついでであるのは明らかだが、ここは素直に喜んで構わないだろう。

「……ありがとう。大切にさせてもらう」

 トーリアスは、心からの感謝を告げた。

 エリシア王女は、嬉しそうに目を細める。

 そして、表情を改めると、たった今出てきたばかりの兄の部屋の扉に目を向けた。

「ハルバートの分も、今、作ってもらっていてよ。近々仕上がると思うわ。……その時は、あなたに受け渡しをお願いできて?」

 トーリアスとの手合わせの翌日、彼女はハルバートとも一戦を交えた。

 予想通り、あっさり勝負がついたものの、それでも見事な立ち回りを演じたものだ。

 剣を交え、確かに心の交流も果たし得た。

 ……のだが、直後から、少しずつ、少しずつ、彼はイルファールス王と昵懇になって行き、反してエリシア王女は、距離を置き出した。

 そのあたりの振る舞いも、さすがの賢しさと言えるかもしれない。

 傍らの同僚を盗み見れば、彼は言葉の裏を読みかねているようだった。

 無理もないと思う。

 ともあれ、彼女は既に、ハルバートと直接の交流を持つつもりがないらしい。

 同僚の手前、これ以上踏み込んだ問いを重ねられず、トーリアスも追及を諦めるしかなかった。

 しかし奇妙だ。

 引導を渡したも同然の相手に、何故、「友情の印」を用意しているのか?

 焦燥が募る。

 手合わせの礼にしたところで釈然としないが、自分が尋ねる筋合いでないため、トーリアスは無表情のままうなずいた。

 エリシア王女は、顎を引くと、歩き出す。

 彼女はもう振り返らなかった。



 互いを大切に思う心に変わりはなくとも、兄妹の仲が、確かに歪み出している。

 今はまだ、従姉姫のロクサーナがかすがい役を果たしているが、いずれ遠くない未来、決別の日が訪れる……そんな予感が、立ち込めていた。


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