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53 祝歌

 ファロス歴1015年、芽月(ジェルミナール)。リーリオニア皇国南西部ダンド州、カナー市。

 

 今は地方でも珍しくなくなってきた自動車が大通りに停まり、若い男女が降りた。彼らが足を踏み入れたのは『鳥の巣(ニド)』と呼ばれるごみごみした下町だった。


「何年ぶりかな」

 長身の男性――マルセルが懐かしそうに街を見回した。

「15年よ」

 答える短い黒髪の女性――デラは変わらぬ光景に思わず足を止めた。

 細い迷路のような小路が複雑に走り、それを挟んで立ち並ぶ集合住宅の窓から無数の洗濯紐が渡され、空に幾何学模様を作っている。

 戻ってきた。そのことを実感し胸が詰まる思いだった。




 17年間のエフィ=シャルロットとしての人生は公にはテロ活動に巻き込まれて生死不明となったが、デルフィーヌ=デラとして生きるには数々の障害があった。

 まず、存在しないはずの彼女が身分証明を得るには非合法な手段をとるしかなかった。これは首都に戻りパンソン財閥の情報部に匿われていた時にディロンデル公爵令嬢とサラ・パンソンに相談することができた。


 前世の話だけでも正気を疑われかねなかったのに、入れ替わりなど信じて貰えるか不安だった。しかし、ユージェニーの前で淑女の礼をとると、彼女はむしろ納得した様子だった。

「それが本来のあなたでしたのね」


 サラはそれよりは懐疑的だったが、彼女たちしか知らないシャトー・フォーコンでの休暇のことを話すとようやく納得してくれた。

 それからは二人がかりで変身計画を立ててくれた。髪の色を変えるなどでかつての公爵令嬢の面影をなくし、デラはユージェニー推薦の家庭教師というふれ込みでシャトー・フォーコンで働くこととなった。


 サラの双子の妹、アデールとエリーズには最初警戒されたが、誠意を持って接すると懐いてくれた。

「デラは全然違うのにシャルロットに似てるね」

「うん、時々お姫様みたい」

 彼女たちの勘の鋭さに冷や汗をかきながらも無事に家庭教師として勤めることができた。二年後に双子が姉のいるローディン王国に留学することになり、デラも付き添いでローディンに渡った。旅券はどんな手段を使ったのかシモンが用意してくれた。


 ローディンでは、新規事業を立ち上げたサラの秘書役をすることになった。デラの発案で起業した少女たちを対象にしたマナースクールが評判になり、リーリオニア仕込みの洗練された淑女に憧れる新興富裕層を取り込むことに成功した。

 この間、マルセルとはぎこちない関係が続いたが、呆れたサラが「この先も臆病者を続けるなら、白鳥姫(プランセス・シーニュ)は私がもらう」と彼の背中を押す――というより背後から自動車で跳ね飛ばすようにけしかけたことで変化が訪れた。


 デラと離れていた期間に寂しさが身に染み、失うことを思えばと覚悟を決めたマルセルが休暇を取ってローディンに行き、告白したのだ。

 シャルロットであった頃から彼を兄以上に想っていたデラにとって、嬉しい驚きだったのは言うまでもない。ささやかな式を挙げ、二人は結ばれた。そしてデラはマルセルとリーリオニアに戻ってきた。


 北限の塔での入れ替わりから五年。世間からダイグル公爵家の記憶が薄れるまで、二人が兄妹とは別の関係を構築するまで、これだけの時間が必要だった。




 エフィと呼ばれていた頃に遊び場だった広場をデラとマルセルは歩いた。

「あの階段でジョスを庇って落ちたのね」

 デラが指さす階段の下には、野菜売りの屋台があった。これならもし子供が落ちても刃物で怪我をすることはないだろうと、デラは自身の左手首の傷跡を見た。


「若い奴が多いな、多分軍隊帰りだろう」

 マルセルが呟いた。五年間の変化は当然二人だけではない。




 皇太子ルイ・アレクサンドルは刺殺未遂事件から生還したが、肺を傷つけられており健康が不安視されたことから皇位継承権を返上した。皇太子位は皇姉アデライダとアグロセンのシルベストル公爵との長子エンリケ・フェリペがアンリ・フィリップとして継承した。

 彼はルイ・アレクサンドルと親しくなりその政治思想に共感した。積極的に皇王に働きかけた結果、議会の影響力が強化され軍の統帥権も委譲されることになった。フィンク半島に関しては、ザハリアス帝国に対して内政干渉を厳しく抗議したことで一旦列強は手を引き緩衝地帯扱いとなった。


 侵攻計画凍結に伴い軍が再編され、マルセルは退役することができた。その後はパンソン系の警備会社で働いている。


 前皇太子は皇国の僻地にある小さな館で療養生活を送っている。少数の使用人の中に火傷の痕がある異国の女性がおり、熱心に彼の世話をしているという。

 ニドの街を裏で牛耳っていたロシニョール男爵の影はすっかり消えてしまった。数々の違法行為の末に殺された男爵の邸は買う者もないまま荒れ果て、次の区画整理で取り壊されるらしい。


 男爵夫人は静養と治療で回復を見せ、婚家と縁を切った。今は実家の母親と穏やかに暮らしている。彼女の忠実な侍女マダム・モワノは、探偵社の経営を任されたシモンの右腕になった。


 崩壊した北限の塔からピエール・ロベスの死体は見付からなかった。転移装置ごと粉砕されてしまったか、あるいは彼の意図通りに別の世界へと渡航したのか、誰にも答えは出せなかった。




 穏やかに晴れた春の空を見上げ、デラは楽しそうに言った。

「ユージェニー様とアンリ・フィリップ殿下のご成婚は盛大になるでしょうね」

 牧月プレリアールに控えた皇太子の結婚式も、デラが帰国を決意した一因だった。皇太子を外国人扱いする人々の意識を変えさせるために王家の血を引く公爵令嬢を皇太子妃に立てたのだが、聡明な二人はお似合いに思えた。


「これからは宮殿の外からお見かけするだけの方になってしまわれるけど、とてもお世話になったからお祝いしたいわ」

「モニカが勤めてる病院にもよく慰問に来てくれるって有り難がってた」

「いつかあの子にも会えるかしら」

 幼なじみに真相を話せないのは心苦しいが、それでも夢を叶えるため頑張る彼女を励ましたかった。


 会話をしながら歩いていた二人は一つの集合住宅の前で立ち止まった。母イルマが義父ロジェと住んでいる建物だ。変わらぬたたずまいにデラは懐かしさが溢れるのを感じた。

 ただ、今の彼女はエフィでもシャルロットでもない。マルセルの結婚相手として挨拶に来ただけの他人だ。


 あれほど戻りたかった場所に入るのをデラはためらった。母は自分を受け入れてくれるだろうか。この身に起きたことを聞いてくれるだろうか。

 ふと、頭上で何かの声がした気がした。青空に小さな影が飛んでいる。

「……ヒバリ…」

 母がエフィを産んだ朝にあの鳥だけが祝福してくれたと語っていたことを思い出す。


 ――優しいヒバリ(アルエット)、神にその声を捧げた小さな鳥、どうか私に勇気を。

 せかすことなく待ってくれるマルセルにやや強張った笑顔を向けたデラは、建物の側に見覚えのある花が咲いているのに気付いた。白い、可憐な小さな花だった。そっと屈み込み、彼女は思い出の花を摘んだ。




 家具職人のロジェは、ドアを叩く音に振り向いた。

「父さん、俺だよ」

 息子の声に驚いた彼はドアを開けて迎え入れた。

「マルセル! どうしたんだ、何も知らせないで」

「うん、ちよっと報告があって…」

 数年ぶりに帰宅した息子は背後にいた連れの女性を招き入れた。ロジェは目を瞠った。


 入ってきたのは黒い髪を首の所で切りそろえた若い女性だった。着ているのは装飾が前ボタンくらいしかない灰色のドレスだが、青い瞳を引き立ててすっきりとした優雅さを醸し出していた。幾分照れながらマルセルが紹介した。

「俺、先月ローディンで、この人と結婚したんだ」

「そうなのか。向こうの人か? 何で知らせなかったんだ」


 父親に肩を叩かれ、息子は頭を掻いた。

「いや、勢いというか、いや、ずっと申し込むつもりでいたんだけど」

 しどろもどろになるマルセルの隣で彼の妻が自己紹介をした。

「初めまして、ロジェさん。デラ・スカイラークと言います」

 ローディンで使っていた姓は、ローディン語で『ヒバリ』を意味する言葉だった。


「マルセルの父だ。よろしく。おい、イルマ、マルセルが嫁を連れてきたぞ!」

 ロジェが台所に向けて呼びかけ、デラは息を呑んだ。出てきたのは母イルマだった。髪に白い物が混じり、左頬に痛々しい傷跡がある彼女は怪訝そうにマルセルたちを見た。

 苦しいほどの心臓の鼓動をデラは感じた。母に駆け寄り抱きしめたい衝動を必死で堪える。呼吸を整え、彼女は会釈をした。

「デラです、初めまして」


 初対面の若い女性に、イルマはどこか無感動な目を向けた。デラは彼女にさっき摘んだ花を渡した。

「これを」

 戸惑い気味にイルマは小さな白い花束を受け取った。茫洋とした目が花束に結ばれたリボンを認め、凝視に変わった。


 それは古びたレースだった。所々染みで変色したリボンに触れ、イルマはデラの左袖から覗く手首の傷跡に目を留めた。

 全ての勇気を振り絞り,デラは口を開いた。

「…お話ししたいことがあるんです」


 どうか聞いてください。それだけを願いながら彼女は母を見つめた。イルマは花束とデラの手首の傷跡を交互に見つめ、初めて視線を合わせた。遠くを見ているようだった彼女の目が次第に焦点を結び、イルマはデラの手に手を重ねてはっきりと答えた。

「聞かせてちょうだい」


 二人は部屋の奥に向かい、窓際のベンチに腰掛けた。


 はらはらしながら彼女たちを見ていたマルセルは、かつての母と祖母と妹がいた光景を重ねて涙ぐみ、ロジェが不審そうに息子を見た。

「ちょっと、長くかかりそうだな」

 そう言って彼は父を強引に外に連れ出した。


 窓辺でデラはゆっくりと語りかけ、イルマは大事そうに小さな花束を抱きながら耳を傾けている。

 窓から流れてくる風が、白い花弁を小さく揺らした。

最後までお付き合いくださりありがとうございます。

悪役令嬢ものを書いてみたくて作った話です。最初と最後しか決めてなかったので、細かい所は連載中にでっち上げながらの自転車操業でした。

ブックマーク、評価、感想ありがとうございます。誤字報告も助かりました。

今後は短編を挟んで工業国ローディンを舞台にした連載を始めます。ちょっと変わった恋とオタクと産業革命の話です。よければまたお付き合いください。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 自転車操業としても見応えのある展開とドラマシーンの見応えに引き込まれました [気になる点] 国や昔の事件についての説明が少なすぎて情勢把握ができなかった 終盤の畳み方がかなり拙かった
[良い点] 読ませていただきました、面白かったです!
[良い点] つい夜中から読み始めて早朝になってしまいました。 明日の仕事が〜!
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