47 北限の鷲⑧
葡萄月大園遊会・夜の部の最大の見所は庭園で上演されるオペラと、そのクライマックスで打ち上げられる壮麗な花火だった。
さすがに警備上の都合で一般市民は下庭園にも入れないが、宮殿の門の前に並んで音楽を聴き花火を見ることは出来た。そのため人だかりは昼よりも多く、群衆を当て込んだ物売りまでが出ていた。
貴族たちは宮殿内の控えの間で着替え、夜の部に参加する。部屋を持たない下級貴族以下はどちらか片方だけに参加していた。
昼の部を下庭園から見物したサラ・パンソンは、夜の部では堂々と宮殿に入った。もちろん、西方大陸を代表する財閥一門の本家令嬢としてだが、昼間は一応ドレス姿だった彼女は父親と同様の礼服に身を包み、親友のエミリー・ゴージュを伴っての入場だった。諦めの境地にあるパンソン財閥総帥は、エミリーに謝りどおしだった。
「娘の気まぐれに付き合わせて申し訳ない、ゴージュ嬢」
「あら、あの白鳥姫も魅了したサラ様を独り占めできるのですもの、妬まれるるのが心配なくらいですわ」
元寮監コンビは喜々として夜の庭園を満喫した。
「思ったより明るいのね」
「ランプに変わってガス灯が整備されたからよ」
「これから夜はどんどん暗さを失うのかしら」
「場所によってはね」
サラは庭園の隅で警備する者に目をやった。その中には庭師に扮したパンソン家直属の探偵たちもいる。
竜の泉がある円形広場にオペラの大道具が組まれていた。それを取り囲み、泉を中心とした放射状に座席が並んでいる。
「今夜の演目は『エクセルシオール』なの?」
「そう、戦って愛を勝ち取る将軍と姫君のお話」
「最後の凱旋式の場面で花火が上がるのね」
オペラの演目は花火を組み入れる関係から、勝利と歓喜を主題にしたものが選ばれる。
「悲恋もので恋人たちが死んでしまう所に花火なんか打ち上げられたら、怒って生き返りそうね」
「サラったら」
ひとしきり笑った後で、エミリーは小声になった。
「それで、調査する場所はどこ?」
本宮内警備作戦会議室。広大なベルフォンテーヌ宮殿の庭園を含む見取り図を前に、近衛隊と宮殿衛兵隊は印が付けられた場所を頭に叩き込んでいた。
「入手した計画書によれば、革命家どもは花火師に混じって爆薬を仕掛け、混乱を利用して皇王陛下の暗殺を企んでいる」
室内に動揺の声が起こり、一人が挙手し質問した。
「しかし、花火師に扮装して爆薬を運び込むなど、今からでは不可能では」
「そうだ、既に何らかの資機材に紛れさせて持ち込んでいると思われる。それを使用させないことが我々の任務だ。全員、『赤い雄鶏』の主な構成員の顔写真は覚えたな?」
それからは各班の持ち場を決めて散開となった。アロイス・ヴォトゥールと並んで歩くマルセルは、元帥の息子に疑問を口にした。
「宮殿に入るには花火師や庭師に至るまで身分証明を求めています。奴らはどうやって侵入するつもりなのでしょうか」
「今のところ、不審者に関して何の報告もないのが却って不気味だな」
「こちらが計画書を手に入れていることに気付かれるまでが勝負ですね」
「そうだ。だが、この宮殿で恐慌状態を起こすほどの破壊行為をするには爆薬も人手も相当かかるはずだ」
「市庁舎や陸軍省の爆破は予行演習だったと?」
「どっちにしてもベルフォンテーヌとは比較にならないな」
広大な宮殿は、その大きさ自体がテロ行為を困難にするのかもしれない。そう考えながら彼らは守備位置に急いだ。
ベルフォンテーヌ宮殿の地下は、庭園に散らばる池や噴水のための水路が張り巡らされている。
いつもならネズミくらいしか動く者もいないそこに、ランプの光が移動していた。
「この方向でいいんだろうな」
一人が心細そうに尋ねた。首領格の男、ジャン=リュック・カナールが同志の弱気をたしなめた。
「間違いない。この水路は角ごとに番号がある。地図どおりに進んでいるかすぐに分かるようになってるんだ」
「でも…」
尚も不安を消せない様子の男は、前方に見える光を指さした。
「誰かいるぞ!」
警戒する一団は、ランプの火が円を描くように振られるのに気付いた。仲間の合図だ。
「やっと会えたな、同志ワシーリー」
合流したのは東方草原地帯の民族らしき男たちだった。
「時間がない、準備にかかろう」
「これで、フィンク半島への侵攻は中止だ」
「二度とモルゼスタンの悲劇は繰り返させない」
自分たちの行動は世界を救い、そのための犠牲は許されるべきと信じて疑わない者たちは、暗い水路を進んだ。
やがて、彼らは一つの扉の前に出た。そっと押し開け、周囲を確認する。
「誰もいない」
「よし、計画通りに行動するんだ」
男たちは上着を脱ぎ、花火職人風の服装で散っていった。
皇后宮ではヴィクトワール皇后の準備が終わり、夜の部に向けて庭園に出て行くのみとなった。皇后の髪や深い青のドレスには翼を象ったティアラやネックレスが輝き、皇国最高位の女性の威厳を増していた。
シャルロットは青みがかった薄紫のドレスで、結い上げた髪には白鳥の羽根の髪飾りを付けた。清楚さと優雅さが際立つ出で立ちに、皇后は満足さと寂しさが入り交じる顔をした。
「これで見納めだなどと、勿体ないこと」
「またお目にかかれる機会もあるかと存じます」
一年に満たない皇后宮勤めはシャルロットにとって得るものも多かった。兄マルセルと会えることもその一つだ。今夜全てが平穏に終わり、フィンク半島への出兵がなくなることを彼女は切実に願った。
コルセットの隠しに入れた母にもらったリボンと兄からの手紙に、シャルロットはドレス越しに触れて気持ちを落ち着けた。
「皇王陛下のお越しです」
取り次ぎの者が時間が来たことを伝えた。皇后は立ち上がり、侍女たちを率いて歩き出した。
円形広場には絨毯が敷かれ、皇王一家のための桟敷席が作られていた。皇王皇后が庭園に姿を現すと国歌が演奏され、集った貴族高官たちが一斉に立ち上がり、礼をとった。
桟敷席には皇王一家の他にも数人が同席を許されていた。その中にディロンデル公爵令嬢ユージェニーもいた。皇太子ルイ・アレクサンドルの隣に座る彼女は笑顔を見せた。
「ご覧になって、殿下。シャルロット様のお美しいこと。白鳥姫が宮廷から飛び立ってしまうなんて寂しいですわ」
「白鳥は自分の湖に飛んでいくものですよ、ディロンデル嬢」
皇太子は如才なく返し、ロシニョール男爵令嬢に執着がないことを印象づけた。
――殿下は何だか緊張しておられるようね。あまり無謀な行動に出なければいいのだけど。
普段に比べて余裕に欠けるように見える彼に不安を抱いていると、皇后と公爵令嬢の会話が聞こえてきた。
「今年は新作の仕掛け花火が披露されると聞きました」
「それでは、花火師に慰労のクリマ酒を下賜しましょうか」
皇后は皇王の許可を得て、酒を届けさせることにした。ユージェニーが背後の侍女たちを振り向いた。
「皇后陛下、シャルロット嬢を私の侍女と一緒に督励の使者として花火師に送ってもよろしいでしょうか」
ヴィクトワール皇后は頷き、シャルロットはディロンデル公爵家の侍女と一緒に桟敷席を離れた。
花火の打ち上げ箇所の選定は、宮殿や庭園に落下する危険性がなく花火を美しく見せられる位置という複雑な要素を計算して決められる。
「今日はあまり風がなくて助かるな」
仕掛け花火の打ち上げ筒を確認していた花火師は、木々の枝がなびくこともないのに安堵していた。そこに草を踏む音がし、彼は振り向いた。似たような姿の者がいるのに仲間だと思い近寄る。
「手伝いか、助かる」
その男が妙に重そうな袋を抱えているのを見て、花火師は不思議そうに言った。
「火薬が多すぎないか? ここは大玉の場所じゃ…」
花火師は言葉を途切れさせた。彼の後方から近寄った別の男が素早く首に紐を巻き付け全力で絞めたためだった。倒れた花火師を灌木の陰に隠し、男たちは爆薬の設置に取りかかった。
息を潜めた作業中に、葉がこすれる音がした。ナイフを片手に一人の男が音源に忍び寄る。そこには抱き合う男女がいた。第三者に気付いた長髪の男が舌打ちをし、女が不愉快そうに場所を変えましょうと歩き出した。
呆気にとられた男は後を追おうとしたが、背後の物音に振り向いた。仲間が倒れている光景に愕然とするなか後頭部を殴られ、彼も地面に転がった。
「片付いたの?」
逢い引き中の恋人を装っていたサラ・パンソンが探偵のシモンに尋ねた。
「こっちに殺された花火師がいますよ」
灌木から覗く足を見て、サラの相棒のエミリーが眉を顰めた。
「無関係の人なのに……」
「警備部隊に合図するわ」
特製のライターに火を付け、サラは大きく振った。




