48 北限の鷲⑨
花火師の督励には、小型の無蓋馬車が使われた。ディロンデル公爵令嬢の侍女と並んで馬車に乗り、警護隊に囲まれてシャルロットは移動した。
打ち上げ場所は宮殿の背後に広がる森を挟んだ池の畔に作られていた。そこで花火師たちは最後の調整に目を釣り上げながら行き来している。
火薬を扱うため、灯りをともすのも最低限だ。彼らは暗い中で器用に物を避けながら準備をした。
「よし、最初の連発は用意できたな」
「仕掛けの方は大丈夫か? 海戦の場面に竜の滝が不発じゃ末代までの恥だぞ!」
殺気立つ彼らの元に白馬の曳く馬車が現れ、先導する騎兵が告げた。
「皇后陛下及びディロンデル公爵令嬢より、貴殿らの働きを期待する督励である」
何やら分からないまま、花火師たちは頭を垂れた。その後、手を引かれて馬車から降りてきたのは眩いほどに美しい侍女たちだった。赤みがかったブロンドの侍女――シャルロットが彼らに語りかけた。
「陛下は新作花火に大変期待されておられます。そのため、あなた方へクリマ酒を下賜するとの仰せです」
荷馬車から酒樽が下ろされ、花火師たちは歓声を上げた。酒樽に集まる彼らに、男爵令嬢はにこやかに釘を刺した。
「陛下から御忠告です。酒は必ず花火が終わった後に飲むようにと」
「……へい」
ばつの悪そうな顔で花火師の親方は頷き、笑い声が起きた。その後は打ち解けた空気になり、シャルロットは彼らに打ち上げ装置を見せてもらった。
「とにかく火気には神経すり減らしますよ。前の年も工場の爆発騒ぎがありやしたからね」
解説してくれた花火師には、懐かしい南西部訛りがあった。
「全国の花火師が参加されているのですか?」
「そうですよ、隣のアグロセンから来てるのもいるし」
活気溢れる現場は下町を思い出させた。馬車に戻ろうとした時、背後で花火師たちがぶつかったような音がした。
「気をつけろよ」
「すまねえ」
シャルロットの細い肩がびくりと震えた。短い返答はリーリオニアの言葉ではなかったのだ。彼女は振り向くことなく護衛の近衛士官に声をかけた。
「足元が暗いので腕を貸していただけますか」
「どうぞ」
差し出された士官の腕に手を掛け、男爵令嬢は小声で素早く言った。
「ザハリアス語を話す者がいます」
士官は表情を変えず、薄暗がりにいる警備隊によく見えるように帽子を被り直した。その後、侍女たちは何事もなかったように馬車に乗った。
彼らが去って行く中、花火師たちは夢でも見たような顔で呆けていた。
「いや、妖精か女神でも出てきたかと思ったぜ」
「さすが、皇后様や公爵家に仕えてるだけあるな」
「ほら、続きに取りかかるぞ。終わったらたらふく飲めるんだからな」
威勢のいい声が上がり、彼らは間もなく始まるオペラに合わせた花火打ち上げの用意に取りかかった。
その中からじりじりと離れていく者がいた。気付かれずに自由になった男は、積まれた機材の中から印の付いた袋を持ち出し森へと入っていった。
小川の近くで合流するはずの仲間はまだ来ていなかった。きょろきょろしていると声がした。
「同志!」
ザハリアス語で呼びかける者は同様に袋を担いでおり、彼は疑うことなく駆け寄った。他の仲間のことを聞こうとした時、突然背後から肩を押さえ込まれ膝を付かされた。彼の前に黒服の男が現れた。
「モルゼスタンの残党か? それとも、ザハリアスの工作員か?」
捕らえられた男が行動する前に、自殺防止の猿ぐつわがかけられた。
「正体はのちほど聞かせてもらう。ザハリアスの秘密警察同様に、我々の治安維持局も尋問手段を持っているからな」
引き立てられた先の荷馬車に仲間の死体を見て、男はうなだれた。
「治安維持局の特高が『赤い雄鶏』の協力者の身柄確保。外国人のようです」
警備本部で報告を受け、アロイス・ヴォトゥールは頷いた。
「フィンク半島の件で旧モルゼスタンの民族主義者に不穏な動きがあると聞いていたが」
「ただ、ザハリアスからの工作員の可能性もあるとか」
北の大国の名を聞いて、アロイスは顔色を変えた。
「モルゼスタンを分割した当事者がその生き残りを騙るのか…、奴らのやりそうなことだな」
モルゼスタン王国の消滅にはリーリオニアも関わっていたが、主導的に動いたザハリアス帝国のやり口に不快感は拭えない。
「奴ら、フィンク半島にも手を伸ばしてきたか…」
「こちらを革命家で混乱させて身動きとれないうちに侵攻して併合もあり得るぞ」
ロシニョール男爵が隠し持っていた計画書とベルフォンテーヌ宮殿の見取り図を比べていたマルセルが、アロイスに言った。
「かなりの人数が潜入したようですが、どんな経路を使ったんでしょうか」
答えが出ないアロイスの目に、見取り図の端にある署名が入った。
「プリュヴィエ……、有名な庭園設計家だな。他に何に関わっていたか分かるか?」
彼の質問に警備隊員の一人が資料を運んできた。
「代表作はシーニュ中央庭園、国立図書館庭園、パレ・ヴォライユ…」
「ドートリュシュ大公の居城?」
アロイスは急遽友人であるウジェーヌ・ガロワを呼び出した。
「何があったんだ?」
変わらぬ呑気な口調でウジェーヌは警備本部にやってきた。
「ドートリュシュ大公の残した書類に、庭園に関する物はなかったか?」
いきなり本題に入るアロイスに驚いたように、ウジェーヌは首をかしげた。
「庭園……、そういえば、どういうわけか地下水路の図面があったな」
「水路? この宮殿のか?」
「シーニュ内の主だったものだよ。宮殿とパレ・ヴォライユは同じ川から水路を引いてたのが興味深かった…」
いきなりアロイスに肩を掴まれ、内務卿の息子は固まった。
「なら、パレ・ヴォライユとベルフォンテーヌは地下で繋がっているということか?」
「そ、そうなるな」
警備本部に、広大な宮殿の地下水路図が広げられた。
「ここで、サラ・パンソン嬢の探偵たちが『赤い雄鶏』構成員を確保、花火師を監視して不審者を発見したのが、こことここ…」
それらの中心と水路図を重ねて彼らは気付いた。
「第六出入口だ。まだ中に待機しているかもしれない」
慌ただしく警備本部から近衛隊と衛兵が出ていく足音に、オペラの序曲が重なった。
グランドオペラ『エクセルシオール』は二幕からなり、一幕は主人公である将軍の勇敢さと王家の姫君との恋。横恋慕する敵国の王子が攻め込み姫君が掠われ、将軍が復讐を誓うアリアで締めくくられる。
幕間は宮殿で休む者も多かった。ヴィクトワール皇后も本宮殿の控えの間に入り、侍女たちは待機となる。
第二幕の始まりを告げるベルが鳴り、人々は庭園に戻り始めた。桟敷席に戻る途中で、シャルロットは警備の衛兵たちが忙しく行き交うのに気付いた。ディロンデル公爵令嬢も不思議そうだった。
「騒々しいわね」
「何もなければいいのですが」
「雄鶏狩りですよ」
彼女たちの側に、いつの間にかウジェーヌ・ガロワがいた。ユージェニーが扇の影から尋ねた。
「やはり、この園遊会を狙っていましたの?」
ウジェーヌが状況を説明し、シャルロットは地下水路が建物を越えて繋がっていることに驚いた。
「まるで抜け道…」
何気なく口をついた言葉に、頭の奥で反応するものがあった。遠い日、部屋の暖炉に触れて皮肉っぽく笑う公爵夫人。
『こんな隠し通路でこそこそ逃げるのが武のダイグルなのね』
「どうなさったの、シャルロット様」
怪訝そうな公爵令嬢にシャルロットは説明した。
「以前、隠し通路のことを教わったような…」
「ああ、宮殿の控え室ね」
意外にも彼女はあっさりと理解した。目を瞠る男爵令嬢にユージェニーは言った。
「公爵以上の高位貴族の部屋には隠し通路が作られていますのよ。万一のための逃走用に」
「ユージェニー様、それはドートリュシュ大公家の控え室にも?」
「当然あるでしょうね」
その言葉の重要さにウジェーヌも気付いた。
「それは外から侵入も出来るって事だろ、大変だ」
「ガロワ様、ダイグル公爵家の控え室はどうなっていますか」
「大公家と同じく、外から鍵をかけている程度だよ」
迷う二人に、きっぱりと公爵令嬢が言った。
「なら、すぐにヴォトゥール様にお知らせしなければ。ガロワ様、シャルロット様をお願いしますね」
「分かりました」
内務卿の息子は頷いた。皇后を気にするシャルロットにユージェニーが言った。
「あなたでなけれけばダイグル公爵家の隠し通路は分かりませんわ。陛下には私から説明します」
覚悟を決め、シャルロットはウジェーヌと共に警備本部に向かった。




