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45 北限の鷲⑥

 葡萄月(ヴァンデミエール)・二の五曜日。リーリオニア皇国首都シーニュの郊外に建てられた聖アウグスト記念病院では、多くの入院患者が治療を受けていた。

 シャルロットとマルセルは、やっと面会が許された友人に会うために病院を訪れた。看護婦が案内してくれた日当たりのいい庭に、笑い声が響く一角があった。二人は迷わずその方向に足を向けた。


「モニカ!」

 シャルロットが幼馴染みに駆け寄り抱きつくと、見習い修道女も満面の笑顔になった。

「来てくれたのね、エフィ。マルセルも」

「良かったわ、元気そうで」

 パレ・ヴォライユでは歩くこともままならなかったモニカは以前の表情豊かで元気な様子を取り戻していた。彼女はシャルロットの手を握った。

「先生たちから聞いたの。火事になったお屋敷からエフィが助けてくれたって。ジョスとあたし、二人の命の恩人だよ」


 シャルロットは首を振った。

「モニカが生きててくれたからよ。一人きりだったら諦めてたかもしれない」

 泣き笑いの顔で二人は再会を喜んだ。そこに、助手を引き連れたシュエット博士が姿を見せた。

「お久しぶりです、博士」

「シャトー・フォーコン以来だね」


 彼はモニカの回復ぶりに満足そうだった。そして、ウジェーヌ・ガロワからエスパ風邪に関して質問を受けたと話してくれた。

「疫病の蔓延に乗じて薬の流通を止めて法外な価格で売り捌き暴利を得るなど、悪辣などという言葉では足りない」

 憤る博士に、マルセルが尋ねた。

「ガロワ様はどうやって正確に流行を予測できたのか不思議がっていました」

「我々も同意見だ。大陸の西端にある僻地の風土病というのが最初の見解だったのに、発生当初から大流行を見越した計画だったからね。まるでそうなるのが分かっていたようで不気味だよ」


 彼の言葉に、〈デルフィーヌ〉は自分同様に転生という形で別の人生を歩むシャルロット・ロシニョールを思った。

 ――でも、あの女は医学に興味などかけらもなかった。専門的な知識など持っているはずもないし。

 だが、ダイグル公爵家、ドートリュシュ大公、遡ってモワイヨン侯爵令嬢など、自分にとって邪魔な、または用済みな者に薬物を与え狂気に陥らせたのは間違いなくあの女だ。


 ――女学園時代に私が被害に遭わなかったのは、高位貴族令嬢とは寮も違っていたからね。メリナに任せられないほど扱いが難しい薬物なのかも。

 前世でも努力で自分を研鑽するより力を持つ男性を絡め取り利用する手段に走る人間だった。薬物を調達した者が協力者であるかもしれない。医学薬学に精通した者が。


 思案にふけるシャルロットの横で、マルセルがモニカに事情を聞いていた。「じゃあ、そのお屋敷で襲われてからのことは覚えてないのか」

「そうなの、誰かに会った気がするんだけどぼんやりしてて、気がついたらここにいたって訳」

 申し訳なさそうなモニカに、シュエット博士が言った。

「君が最初に言ったのはピエールという名前だったよ」

「ピエール? あのピエール先生?」

 不思議そうに考え込むモニカは、力なく首を振った。

「修道院の人たちと奉仕活動してたら手伝ってくれたけど、見たのはそれが最後のはず…」


 考え込むモニカの体温や顔色などを看護婦が確認し、ある提案をした。

「あなた、医療奉仕をして来たのね。患者さんたちの扱いも上手いし、退院したらここで働いてみない?」

「いいんですか?」

 シュエット博士も賛成してくれた。

「修道院の活動では限界がある。働きながら学ぶのは厳しいが、やる気があるかね?」

「はいっ!」


 モニカに迷いはなかった。シャルロットも我がことのように喜んだ。

「モニカなら大丈夫です、博士。学校に行けなくても誰よりも早く字を覚えたし、とても頭がいいんです」

「良かったな、モニカ。ニドのおばさんたちがびっくりするぞ」

 はしゃぐ三人を見て、博士は笑った。

「勉強意欲といい友人を持ち合わせているようだな」




 嬉しい時間の後、ベルフォンテーヌ宮殿に戻った二人は庭園に入るなり興奮状態のウジェーヌ・ガロワとアロイス・ヴォトゥールに掴まった。

「ロシニョール嬢、マルセル、大ニュースだ!」

「ダイグル公爵邸に捜査の許可か下りて、ロシニョール嬢が言っていた肖像画の裏側に隠し金庫が発見された」

「君の言ったとおり、初代公爵の生年がダイヤル開錠の鍵だったよ。金庫の中には貴金属や証券の他に、『赤い雄鶏(ル・コック・ルージュ)』への資金の流れや構成員の記録があった。さっきまで内務省で父から質問攻めに遭ってたよ、どこから金庫の情報を手に入れたのかって」

「それに、シーニュにあるドートリュシュ大公所有の建物を監視していた部隊から、ロシニョール男爵の護衛が出入りしていると報告があった」

「エリクとプロスベール…」


 男爵の裏稼業の共犯者たちだ。シャルロットにはそれより動向が気になる人物がいた。

「ダイグル公爵令嬢はまだ見つかっていないのですか?」

「それが、どこかに消えてしまったとしか…」

「パレ・ヴォライユの使用人がそれらしい女性を見たような証言をしているのだが、薬物の影響下にあるため取り上げられない」

 途端に二人の口調が歯切れ悪くなった。気を取り直したウジェーヌがシャルロットに礼を言った。

「ロシニョール嬢のおかげだ。感謝するよ」

「いえ、あんな話を信用してくださったからです」


 彼女の言葉は本心からだった。前世などという非現実的な話を持ち出した時点で、頭のおかしい女と切り捨てられてもおかしくなかったのだ。

「だから私が言ったでしょう? 嘘ではないと」

 彼らの会話に加わったのはディロンデル公爵令嬢だった。輝くような金髪の令嬢はシャルロットの腕を取り、男性陣から引き離した。

「さあ、これからは女性同士の大事な用件がありますのよ」

 さっさと連れて行かれる男爵令嬢を、三人は無言で送り出すしかなかった。


「相変わらずだな、ディロンデルのお姫様は」

 諦めたようにウジェーヌがぼやき、そして宮殿衛兵に矛先を向けた。

「今日は二人で遠出してたんだって?」

「病院に、友達の見舞いに行っただけだ」

 慌てて弁解するマルセルに、内務卿の子息は尚も追及の手を緩めなかった。

「ふうん、妙に楽しそうに歩いてたけど」

「それは、入院してた友達が回復したのが嬉しくて…」


 何で絡まれているのか分からないマルセルは、困惑の表情も露わにアロイスの方を見た。近衛士官は苦笑しながら友人を宥めようとした。

「マルセルはロシニョール嬢の義兄なんだから」

「でも兄妹じゃないだろ」

「妹です」

 きっぱりとマルセルは断言した。驚く二人を見ることなく、長身の衛兵は俯いたままだった。

「俺が守れなくて、家族から引き離された妹なんです」

 ウジェーヌは沈黙し、自責の念から逃れられずにいるマルセルを見つめた。




 宮殿の控え室で、ディロンデル公爵令嬢は園遊会のドレスのことをシャルロットに相談した。

「それでは、皇后陛下の昼の部のドレスは晴天なら臙脂色で曇天か雨天なら深緑色ですのね」

「はい、夜の部はいつもの『皇家の青(ブリュ・アンペラール)』になります」

「宝石類は何を予定されていますの?」

「昼の部は真珠を中心にしたもので、夜の部はレゼル・パリュールです」

 『双翼(レゼル)』の名のとおり、翼の意匠のティアラ、ネックレス、イヤリング、ブレスレットからなる豪華なダイヤの宝飾品一揃いが宝物庫から出されることになっている。


 ユージェニーは頷き、侍女に指示を出した。彼女は皇后の侍女に礼を言った。

「助かりましたわ。ドレスは数種類用意しましたけど、こうした行事の装いは皇后陛下が基準になりますもの」

 そして国内の貴族令嬢たちの中で最高位にあるのがディロンデル公爵令嬢なのだ。

「ディロンデル様も基準の一つになられるので、お支度は大変ですわね」

 やや同情的にシャルロットが言うと、公爵令嬢は笑った。

「どうか私のことはユージェニーと呼んでくださらないかしら。私もシャルロット様とお呼びしたいわ」


 突然の申し出に、男爵令嬢は戸惑いながらも受け入れた。

「はい、ユージェニー様」

 楽しげに微笑むと、公爵令嬢は悪戯っぽい表情になった。

「それで、ガロワ様もヴォトゥール様もあなたに好意的ですけど、シャルロット様としてはやはりマルセルさんが一番なのかしら」

 

しばし呆然とした後で、シャルロットは必死で弁明した。

「マルセル兄さんは、妹と思っているだけで…」

「でも実の兄妹ではないのでしょう?」

「……妹でしかありません」

 言葉に出すと、これまで薄々感じていたことが重くのしかかってきた。彼は常に妹として大事にしてくれるが、それはどこまで行っても妹以上の存在にはなれないということでもあると。




 皇都の下町を、人目を避けて移動する二人連れがいた。

「男爵様は、いつまで隠れてるつもりなんだ?」

「仕方ないだろ。これまでのことがバレて逮捕状まで出てるんだろ」

 ぼやく彼らはロシニョール男爵の部下だった。用心深く貧相なねぐらに戻ろうとすると、建物の出入口で声をかけられた。

「エリクとプロスベールだな」

 気がつけば二人は黒服の男たちに囲まれていた。ただならぬ気配をまとった者相手に、彼らは頷くしかなかった。




 シーニュの街を歩くマルセルは、ウジェーヌに言われた言葉を噛みしめていた。

 彼にとってエフィは、義理であっても可愛い妹だった。赤ん坊の頃から知っていて、ずっと家族として暮らしていくのだと疑いもしなかった。彼女の実父である男爵が連れ去っていくなど想像も付かなかったのだ。

 あの日から、優しかった義母は笑顔が消え、一人になると泣いていた。自分同様にエフィを可愛がっていた父は、以前にも増して口数が少なくなった。

 再会の時を思い出す。どこかのお姫様にしか見えなかったエフィ――男爵令嬢を。別の世界の人になってしまったと思えた彼女は今も兄として慕ってくれる。それで充分なはずだ。


 マルセルは、別れ際にウジェーヌが妙なことを言っていたのを思い出した。『ピエールという医師が過去の映像資料に見つかるんだ。まるでどの時代にもいるようなんだよ』

「そんな訳ないだろ」

 彼は呟いた。確かにいつ見ても若々しく年齢不詳の印象はあるが、普通の人間のはずだ。


 日が暮れた皇都を歩き、ぼんやりと橋から川の流れを眺めていると、不意に声をかけられた。

「やあ、大きくなったね、マルセル」

 振り向いた先にいたのは記憶にある人だった。灰色の髪に丸眼鏡。ニドの街で慕われていた医師だ。

「…ピエール先生…」

 子供の頃に見た時と何一つ変わらない彼に、マルセルは本能的な恐怖に駆られた。逃げ出すのをかろうじて堪え、彼を問い詰める。


「あんた、モニカに何をしたんだ?」

 ピエールは親しみ深い笑顔のままだった。

「エフィは元気かな? 綺麗になっただろうね。いや、エフィだけではないか。あの子の中にいるのは」

 マルセルは愕然とした。何故彼がそれを知っているのか見当も着かない。その表情を医師は興味深く観察した。

「知っているのかな? それでも君は妹だと思いたいんだね」


 青年の動揺を楽しむように彼は続けた。

「魂の入れ替わり、正確には人格だけどね、ただ巻き戻すだけでは芸が無いから実験してみたんだよ」

「……実験?」

「哀れなデルフィーヌ、愛しいシャルロット、彼女たちの働きが楽しみだったからね」

「あんた、一体…」

 医師は哀しげに肩をすくめた。

「でも、残念ながら事象を歪曲しすぎたよ。歪みは戻ろうとするものだ。彼女はつらそうにしてないかい?」


 マルセルは言葉に詰まった。過去を思い出せないと嘆いていたエフィが嫌でも浮かんでくる。ピエールはその反応に微笑んだ。

「そろそろ限界かな。可哀想に、彼女たちは遠からず消滅する」

 彼の言葉がマルセルの頭に届くまで時間がかかった。

「消滅?」

「貴重な特異点だが仕方ない。せいぜい活用させてもらうよ。ああ、身体は残るだろうから心配しないでいいよ、その中身が幼児なのか廃人なのかは、その時にならないと分からないけどね」


 マルセルの中に一気に怒りがこみ上げた。

「待てよ! 勝手なことを!」

 彼に構わず医師は背を向け、馬車通りへと歩いた。マルセルは追ったが、全力で走るのに追いつけない。ピエール医師は混雑する馬車や自動車の隙間を縫うように通りを横断した。

 追いつこうとしたマルセルの前を馬車が横切り、通り過ぎた後に医師の姿はなかった。宮殿衛兵は呆然と立ちすくんだ。

「……歪み? 消滅? …エフィが?」

 彼の声は雑踏の中に消えた。

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