44 北限の鷲⑤
葡萄月・二の一曜日。リーリオニア皇国南西部、ダンド州。
州都の郊外にそびえる城に、自動車の車列が到着した。護衛に囲まれるように降り立ったのは皇太子ルイ・アレクサンドルだった。
「ここがドートリュシュ大公の領城か」
興味深そうに古い様式の城を眺める彼に、内務卿の息子ウジェーヌ・ガロワが答えた。
「大公殿下はもっぱら首都のパレ・ヴォライユに居を構えられていて、こちらの城には大公妃殿下と公子が住まわれています」
「そうだな、領地にはあまり興味を持たないお方だった」
パレ・ヴォライユの火災で大公は亡くなり、城は半旗になっていた。女主人であるブリジット大公妃は喪服姿で皇太子一行を迎えた。
「遅くなりましたが、大公殿下のご逝去お悔やみ申し上げます」
「皇太子殿下がわざわざお越しいただいてのお言葉、痛み入ります」
黒いヴェールの貴婦人は彼らを広い客間に案内した。皇太子は儀礼的な言葉のやりとりの後で本題に入った。
「パレ・ヴォライユは焼け落ち、重要書類も残りませんでした。こちらの城に遺言書などは保管しておられるのでしょうか」
ぴくりと大公未亡人の肩が震えた。しかし、彼女は首を振った。
「あいにく、そのようなものは見覚えがありません」
予想された反応だが、皇太子は納得のいく答えを得られるまで粘るつもりだった。彼の背後に控えるウジェーヌがそっと書類を手渡した。
「故大公殿下がパレ・ヴォライユに『赤い雄鶏』の構成員を引き入れていた証拠があります。妃殿下や公子が関与していない事を確認したいのです」
ハンカチを握る大公妃の手が白くなった。その時、客間の外で言い合う声がした。何事かと皇太子の護衛が身構える中、入室したのは二十代半ばの青年だった。
「失礼します、殿下」
「バスティアン公子」
病弱のため大公に疎まれ、母と共に領地に捨て置かれていた嫡男だった。彼は侍従に支えられながら大公妃の隣に座った。そして、母の手を握り語りかけた。
「全て渡してしまいましょう、母上」
「それでは、あなたは…」
「どのみち、僕の代でドートリュシュ大公家は尾羽根うち枯らして果てます。今さら名誉など守る価値もない」
公子は従僕に命令し、小さな箱を持ってこさせた。
「父は都合の悪いものは何でもこの城に押しつけて忘れてきました。過去の悪行も、僕たち親子も」
差し出された書類はエスパ風邪流行時に薬品の流通を止め、皇国内外で高値で流す指令書だった。ロシニョール男爵に実行させた任務は綿密で皇国南西部全域にわたっていた。そして、この計画を知っているとジャン=リュック・カナールから脅されたことから『赤い雄鶏』と繋がりを持ってしまったことも分かった。
食い入るように書類を読む皇太子たちを、バスティアンは人ごとのように眺めていた。
「エスパ風邪大流行時、僕は南部の保養地にいた」
ぽつりと語られた言葉に、ルイ・アレクサンドルは顔を上げた。大公家の継嗣は皮肉な笑顔で続けた。
「その地にも肺炎は広がり、僕は重症化して生死の境をさまよった。一命は取り留めたが後遺症で宮廷勤めも出来ない」
大公妃が堪えきれず泣き出し、公子は彼女を痛ましそうに見た。
「未来への希望などとっくに捨てました。心残りは母のことだけです」
又従兄弟に向けて、皇太子はきっぱりと言った。
「公子のご協力は皇王陛下に報告します。領地の一部は安堵され、その館での生活が保障されるでしょう」
「……ありがとうございます」
重荷を下ろしたような表情で公子は溜め息をついた。皇太子一行は早々に城を後にした。
首都に戻ったウジェーヌは内務省で報告をした後、ベルフォンテーヌ宮殿に来た。ディロンデル公爵令嬢のサロンで彼は研究会の友人たち――公爵令嬢ユージェニー、陸軍士官アロイス・ヴォトゥール、男爵令嬢シャルロット、宮殿警備衛兵マルセルに事情を説明した。
「内務省は消息不明のロシニョール男爵の捜索に力を入れると思うよ」
彼は申し訳なさそうにシャルロットを見たが、彼女は冷静に受け止めた。
「元々、宮廷には園遊会までと決めていました。お気になさらないで」
それを聞き、ユージェニーが勿体なさそうに言った。
「皇后陛下なら、愚かだとおっしゃるでしょうね。他家に養女に入ることも出来ますのに」
「それでも、陛下の関与を勘ぐる者は出てくるでしょう。幸い、パンソン家の下のご令嬢たちの家庭教師になれそうです」
「…欲がなさそうな方なのに、さらりと大物の名前が出てきますのね」
感心するディロンデル公爵令嬢をよそに、ウジェーヌは悩み事をぼやいた。
「大公と男爵の計画は大胆かつ詳細だったけど、不思議なのはどうやってあの疫病の流行状況をあんなに正確に予測できたか、なんだよな。多分医者の共犯がいたんだと思うんだけど、西方大陸全土の情報を持ってないと出来ないことだし…」
彼は再びシャルロットを見た。
「ロシニョール嬢が言ってたピエールって医者、シュエット博士に聞いても面識がないそうだよ。どうして写真に一緒に写っていたか分からないって」
より不気味な事もあるのだが、確証が持てないウジェーヌはあえて話題にしなかった。シャルロットは自分の持つ情報の少なさを嘆いた。
「古くからの知り合いなのに、あの先生のことは、分からないことだらけで」
「あとは、ダイグル公爵家と『赤い雄鶏』との関係だな」
「ダイグル公爵が?」
シャルロットには初耳だった。ウジェーヌが眉根を寄せてぼやく。
「あの組織に公爵家から資金援助があった可能性を皇太子殿下が掴まれているんだ。ただ、証拠がなあ…。公爵邸からは何も出てこなかったし」
その時、〈デルフィーヌ〉に前世の記憶が甦った。気まぐれに娘相手に公爵邸のある部屋の一角を指さす公爵夫人。ろくでもないものが入っているのよと笑う声。
「……初代ダイグル公爵の肖像画」
無意識にシャルロットは口にした。全員が彼女に顔を向ける。男爵令嬢は遠い目でゆっくりと言った。
「その裏側に隠し金庫があります。ダイヤル式で、番号は初代公爵の生年…」
「…何で君が知ってるんだ?」
内務卿の息子の呆けたような声で、シャルロットは我に返った。ユージェニーもアロイスも、兄マルセルでさえ戸惑った顔をしていた。
「それは……」
どんな言い訳も出来ないことを男爵令嬢は悟った。現世で彼女が公爵家を訪れたのは公爵夫人の見舞いの一度きり。公爵家の人からそのような重要事項を打ち明けられるのは不自然でしかない。
それでも、捜査を進展させる証拠があの隠し金庫に存在するかも知れない。
シャルロットは目を閉じ、大きく息をついた。膝に置いた手を握りしめ、意を決して彼らに告げる。
「これからお話しするのはあり得ないことです。妄想と思われて当然ですが、私は知っています」
こうして今はシャルロットと呼ばれる〈デルフィーヌ〉は打ち明けた。前世での自分と現世での自分に起こったことを。
彼女が話し終えた時、サロンは沈黙した。ウジェーヌとアロイスは顔を見合わせるばかりで、ディロンデル公爵令嬢は読めない表情で扇を弄んでいる。隣に座るマルセルの様子は分からなかった。怖くて見ることが出来なかった。
「納得できますわ」
いきなり、天気の話でもするような軽い口調でユージェニーが言った。驚愕する仲間に、彼女は当然という顔をした。
「女学園では有名でしたのよ。デルフィーヌ様とシャルロット嬢、どちらが公爵令嬢なのか分からないと。どれほど荒唐無稽でも、その方がしっくりきますもの」
彼女の言葉に、ウジェーヌとアロイスはためらいがちに頷いた。シャルロットは公爵令嬢に頭を下げた。
「前世でディロンデル様は、シャルロット・ロシニョールに関してさりげなく助言をくださいました。もし家同士の確執を乗り越えてでもあなたと友誼を結べていれば、前世での私の運命は変わっていたかも知れません」
「そうね、婚約解消で取り乱すのはともかく、刃傷沙汰などあなたらしくありませんわ」
「その頃の記憶が曖昧なのです。公爵家にとって無用の存在になったのなら、修道院に行くことも選べたはずですのに」
「人為的だわ」
きっぱりとユージェニーは言い、ようやく思考回路がまともになったのかウジェーヌが提案した。
「とにかく、その隠し金庫の捜索を父に提案するよ。理由は何とでも言っておくから」
「憲兵隊も加わった方がいいだろう」
頼もしい仲間に、シャルロットはようやく笑うことが出来た。
「…お願いします」
サロンから一緒に出たマルセルはしばらく無言だった。シャルロットは小さな声で言った。
「……信じられなくても仕方ないわ」
いきなり彼女の手を握り、マルセルが真剣に問いかけた。
「エフィ…なんだろ?」
大きく頷く妹の頭を兄はそっと撫でた。
「ならいいんだ。前が何だって」
涙を堪えてシャルロットは打ち明けた。
「…本当は、兄さんに呆れられたり気持ち悪いと思われるのが、一番怖かったの」
「バカだな…」
二人は並んで宮殿の回廊を歩いた。




