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43 北限の鷲④

 葡萄月は秋の中夜日と呼ばれる夜と昼の長さが同じになる日から始まる。この日、人々は教会に行き秋の豊穣を祈るのが慣習だった。皇家の人々は大聖堂での儀式に参列し、直々に夜の王への捧げ物を大司教に渡す。


 前世で幾度も見た光景を、〈デルフィーヌ〉は皇后の背後に控えながら眺めた。束ねられた麦の穂、箱に収められた毛皮、瓶に入ったクリマ酒。それらが奉納されると儀式は終わり、絵物語のような伝統服を身につけた皇王一族は大聖堂を後にした。


 馬車で宮殿に戻ると侍女たちは急いで主を着替えさせ、夜の祝宴に備えて休ませた。彼女たち自身も夜会服に着替えるためそれぞれの私室に戻り簡単な食事を摂って準備をする。

 メイドに手伝ってもらいながら、シャルロットは手早く着替えて軽食を摂った。

「それだけで大丈夫ですか? 夜会ではほとんど食べられないのでしょう?」

 心配するメイドに男爵令嬢は何でもないと首を振った。

「控え室にすぐにつまめる物が用意されていて、交替で休憩を取るのよ」

「大変ですねえ」

 メイドはしみじみと溜め息をついた。にこやかに来賓をもてなす侍女たちの舞台裏はなかなか過酷だ。


 シャルロットは誰よりも早く主席侍女のフラモン侯爵夫人の元に行き、目覚めた皇后がすぐに飲めるようにお茶の準備をした。やがて皇后の目覚めを知らせる鈴が鳴り、侍女たちは一斉に持ち場へと動いた。

 夜会服に不備はないかと最後の点検がされ、宝物庫から運ばれた宝飾品に異常がないか確認する。その合間に主な来賓の名前と顔を頭に叩き込み、非礼がないよう細心の注意をするのだ。


 昼の行事の疲れをお茶で癒やしながら、ヴィクトワール皇后は夜会服姿の男爵令嬢が軽やかに立ち動く姿に目を細めた。

「今夜の白鳥姫(プランセス・シーニュ)も麗しいこと。各国が送り込んでくる姫君たちが色褪せそうね」

 ダイグル公爵家の没落が確実となり皇太子と令嬢の婚約が白紙同然になる中、周辺諸国の大使たちはここぞとばかりに適齢期のご令嬢を伴ってくる。

 もちろん、皇太子ルイ・アレクサンドルの花嫁候補としてだ。

 動きやすくするために装飾控えめのドレスにして良かったとシャルロットは内心冷や汗を掻いていた。我こそはと乗り込んでくる姫君たちに恋敵扱いされるのはまっぴらだ。

 ――殿下は今夜どなたを伴ってこられるのかしら。

 そんな考えが頭に浮かんだが、皇后の支度の忙しさに紛れて消えてしまった。




 秋の中夜日の夜会は若い令嬢が目立ち、ベルフォンテーヌ宮殿白鳥の間はいつにもまして華やかだった。

 皇太子ルイ・アレクサンドルはディロンデル公爵令嬢を伴って現れた。二人は礼儀正しく礼をしてすぐに離れてしまい、皇太子は各国大使館が選りすぐってきた令嬢達に終始囲まれていた。


 この夜のシャルロットは来賓の令嬢たちを刺激しないよう皇后の側を離れなかった。それでも各国のご令嬢の視線が突き刺さるのを、辛抱強く笑顔で受け流す。

 ヴィクトワール皇后に挨拶したユージェニーが彼女に話しかけた。

「ご機嫌よう、ロシニョール嬢。目の敵にされて大変ね」

 扇の影で公爵令嬢は笑っていた。そして、財界の紳士たちが集う一角に顔を向けた。

「あちらの方に見覚えがあるでしょう?」


 誰だろうと黒い礼服の一団を見て、シャルロットは目を疑った。その中に自然と溶け込んでいたのは、西方大陸最大の財閥の令嬢サラ・パンソンだった。彼女は大胆にも男装で宮廷の夜会に出席していたのだ。

 貴族たちの後、平民階級の有力者が皇王皇后夫妻に謁見した。サラ・パンソンは白髪の老人と一緒に堂々と宮廷式の礼をした。ヴィクトワール皇后もさすがに驚いた様子で老人――パンソン財閥会長ギョーム・パンソンに声をかけた。


「そちらはご令嬢ですのね」

 サラは全く悪びれることなく答えた。

「急いで帰国したもので、この場に相応しいドレスが見つかりませんでした」

 暗に皇太子に売り込みをかける令嬢たちの仲間になりたくないと主張しているようにもとれる発言だが、長身の彼女に男性用の礼服は確かに似合っていた。


 サラは皇后の背後に控えるシャルロットに笑いかけた。意外そうな皇后に主席侍女が囁いた。

「そう、聖ミュリエルの学友なのね」

 皇后に言われてシャルロットは答えた。

「はい、後輩の私にとても親切にしてくださいました。ダンスの授業でパンソン様と組んで踊った時は、他の生徒に羨ましがられたものです」


 その場の人々は微笑んだ。やがて楽団が円舞曲の演奏を始めた。皇太子は最初にディロンデル公爵令嬢と踊り、それから各国の貴族令嬢たちと順番に踊った。

 礼儀正しく笑顔を絶やさない完璧な姿には、以前の無気力ぶりは漂っていなかった。

 興味深そうにサラが呟いた。

「殿下は少し雰囲気が変わられたのね」

「私もそう思います」


 シャルロットが同意すると、財閥令嬢は幾分皮肉めいた声を出した。

「最初にディロンデル様と踊られたのは牽制ね。花嫁候補を連れてくるのはご自由に、ただしあの方以上の姫君に限るって」

「随分と限定されてしまいますね」

 皇太子がひと息つき、下級貴族や平民階級が気兼ねなく踊れるようになると、サラ・パンソンは悪戯っぽく男爵令嬢に礼をとった。


「一曲お相手願えますか、白鳥姫」

 思わず主席侍女フラモン侯爵夫人に目をやったシャルロットは、候爵夫人と皇后が面白そうに微笑んでいるのに気付いた。彼女は男装の財閥令嬢に淑女の礼をした。

「喜んで、パンソン様」

 二人が広間に出て行くと、数え切れない驚きの声が上がった。サラとシャルロットは女学園時代に戻ったように息の合ったダンスを披露した。薄緑色のドレスが羽根のように翻り、円を描きながら滑らかに移動する。全く危なげのないリードのサラはいつの間にか令嬢たちの視線を釘付けにしていた。


 曲が終わりお互いに礼をした二人は引き上げた。パンソン老人が拍手で迎えてくれた。

「この跳ねっ返りの相手をしてくれてありがとう、ロシニョール嬢。去年のシャトー・フォーコンでは孫たちが迷惑を掛けたそうだが」

「私こそお世話になりました」


 夏の日々を懐かしく思い出し、シャルロットは微笑んだ。そして、そっとサラに尋ねた。

「こんなに急に帰国されたのは事情があるのですか?」

「まあね、皇国内の情勢も色々と変わったようだし」

 ダイグル公爵やドートリュシュ大公のことだろうとシャルロットは頷いた。

「私も無関係ではありません。男爵にはいつ指名手配がかかってもおかしくないですし。そうなればここにもいられなくなるでしょう」


 おそらく大園遊会が終われば宮殿を辞することになるだろうと彼女は考えていた。それを聞き、パンソン氏が驚いたように言った。

「皇后陛下の侍女殿が? いっそうちに来るかね」

「シャトー・フォーコンで雇っていただけますの?」

 双子姉妹の家庭教師なら願ってもないとシャルロットは嬉しそうに彼を見た。祖父の隣でサラがくすくすと笑った。

「私が言ったとおりのご令嬢でしょ? 爺様」


 納得顔の祖父と孫をシャルロットが不思議そうに見ていると、パンソン家の関係者らしい令嬢がやってきた。

「素敵でしたわ、サラ様。今度はぜひ私と踊ってくださいな」

 腕を掴まれ引っ張られて、財閥令嬢は仕方なく彼女の手を取った。

「やれやれ、この格好ならダンスに誘われなくてすむと思ったのに」

 去り際のぼやきに笑いを堪えてシャルロットは彼女を見送った。


 何曲かお相手をしてどうにか令嬢たちから解放されたサラは、バルコニーの人影を見つけ、グラスを手にさりげなく近寄った。

「うちの情報部はお役に立てましたか、殿下」

「ああ、知りたいことは分かったよ」

 短いやりとりを交わし、ルイ・アレクサンドルは広間に戻っていった。白鳥の間に集う貴顕の顔ぶれを眺め、西方大陸の金融を支配する一族の令嬢は呟いた。

「さあ、これからの変化を見せてもらうわ」




 宮殿の賑わいから遠く離れた首都シーニュの下町。

 老朽化した建物の一室で、ロシニョール男爵はいらいらと歩き回っていた。

「いつになったらこのゴミ溜めから出られるんだ? 散々資金調達してやった上に隠れ家まで提供したんだ、私の身の安全は保障してもらうぞ」

「決行日まで無事でいたいなら、あまり騒ぎ立てないことだな」

 同じ室内にいる男たちは、男爵に冷たい目を向けた。腹立たしそうにロシニョール男爵は椅子に座り込み、男たちは出て行った。


 傷んだ廊下を歩きながら、一人が先頭の男に尋ねた。

「放っておいていいのか、ジャン=リュック」

「文句を言いながらここを出て行く勇気もないクズ貴族だ」

 ジャン=リュック・カナールは吐き捨てた。同行する者が確認した。

「始末するのは例の日でいいな」

「ああ、革命の花火の景気づけにしてやるさ」

 彼らの笑い声が古い建物に陰鬱に響いた。

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