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34 赤い雄鶏の声⑧

 公爵家の御曹司は暗い目をシャルロットに向けた。端正な顔を歪め、男爵令嬢に軍刀を向ける。

「ふん、皇太子の女が何をしに来た」

 近衛士官二人が、さっと男爵令嬢を庇うように前に出た。彼らを片手で制し、シャルロットはエルネストの前に進み出た。

「その発言は撤回してください、公子。私と皇太子殿下の間には何の関係もありません」

「母親が用意した女しか抱けない坊やは妾に庇われるか」


 嘲笑するエルネストに対する答えはどこまでも冷静だった。

「皇后陛下をも愚弄されるつもりですか。あなたは私どもが陛下から使わされた者であると承知の上で刃を向けるのですか」

 手にした軍刀を見て、御曹司は乾いた笑い声をたてた。そしていきなりその刃を自身の首に当てた。

「若様!」

 悲鳴が上がる中、彼の背後に回っていた士官たちが飛びかかった。

「離せ! どうせ何もかもおしまいだ!」

 暴れるエルネストを使用人たちも加わって制圧し、どうにか確保することが出来た。


 騒動の中、看護婦を連れた医師が駆けつけ、公爵の寝室に入っていった。吐息を漏らしたシャルロットは、吹き抜けの回廊から強い視線を感じた。

 顔を上げると、二階の手すりにもたれて階下を眺めるダイグル公爵令嬢デルフィーヌがいた。下着にガウンを羽織っただけのしどけない姿を堂々とさらす彼女の顔には驚きも悲嘆もなく、むしろ楽しむように笑っていた。

 シャルロットと視線が合うと、彼女は微笑を口元に刻んだ。まるで、これで勝ったと思うなと嘲るようだった。公爵令嬢はあくびをしながら自分の部屋へと去って行った。その手に公爵の部屋から回収した錠剤の袋を持ちながら。


 シャルロットは、予想もしない事態に困惑する近衛士官に確認した。

「この件について取り沙汰された時は証言してくださいますか」

「もちろんです」

「ご令嬢にお怪我がなくて何よりです」

 男爵令嬢は頷いた。

「皇后宮に戻ります」


 士官たちは敬礼し、彼女の護衛に付いた。衝撃で半泣きになっているメイドを慰めながらシャルロットは玄関を出た。振り向くとマダム・ビオロが見送りに出ていた。彼女に近寄り、男爵令嬢は小さな手提げ袋から名刺を取り出した。

「奥様と似た症状の病人を治療した医学院の方から、薬物の影響も考えられると聞きました。ぜひこちらで診察を」

 名刺を受け取り、マダム・ビオロは無言で礼をした。シャルロットは苦い思いでダイグル公爵邸を後にした。




 馬車の中ではすすり泣くメイド以外は誰もが無言だった。〈デルフィーヌ〉は、公爵令嬢が見せた表情が頭から離れなかった。

 ――これで自分の家が没落するかも知れないのに、どうして笑っていられるの。それとも、あの破局がまだ始まりでしかないとでも…。


 思考に沈んでいると、突如として轟音が響き馬車が揺れた。

「何事だ!」

 すぐさま近衛士官が飛び出し、馬車の周囲を警戒した。馬車の窓からシャルロットは外を窺った。市街地の東側から煙が上がっている。市庁舎の爆破と同じだと彼女は気付いた。

「あの方角には何が?」

 御者に訊くと、彼は馬を宥めながら答えた。

「軍務省です」

 騒ぎが大きくなる中、馬車はゆっくりとベルフォンテーヌ宮殿へ戻っていった。




「よかった、無事だったのね」

 主席侍女のフラモン侯爵夫人が、戻ってきた男爵令嬢を見て安堵の表情を浮かべた。そして、泣きじゃくるメイドを見て首をかしげた。

「怪我はないのね」

「はい。…お話があるのですが」

 シャルロットの真剣な訴えに、侯爵夫人は主席侍女の控え室に彼女を通した。


「……まさか、そんなことが…」

「この目で見なければ信じられませんでした」

 ダイグル公爵邸での惨事を打ち明けると、侯爵夫人は卒倒しそうな顔色になった。

「確かに、あの方たちは奇妙な家族だったわ。まるで公爵夫人を排除することでまとまっているような……。陛下はそれを感じられて令嬢に冷たかったのね」

「醜聞は避けられないでしょうが、もしかしたら軍務省の爆破事件に埋もれてしまうかも」

「そうなら幸運な人たちね。でも、人の口に戸は立てられないわ。それほどの騒ぎになったのなら、あちこちから話が漏れるのを防げないでしょう」


 マダム・ビオロの狙いはそれだったのかも知れないと〈デルフィーヌ〉は考えた。彼女が愛する女主人を裏切り傷つけ追い詰めた公爵たちを破滅させることが。だが、あの中でも無傷の者が一人だけいる。

「公爵夫人は出来るだけ早くあの邸から出て適切な場所で療養されるのがいいのでは」

「そうね、そんな状態の場所に病人を置いておけないわ」

 皇后に相談するため、主席侍女は控え室から出て行った。




 自分の部屋に戻り着替えたシャルロットはソファに座り、悪夢のような出来事を振り返った。

 ――もし、公爵家が没落するなら…、いえ、あの女が破滅させるなら、次の標的を捉えていないはずがないわ。

 それなら、権力はあるが束縛も多い公爵令嬢という身分から解き放された方が厄介なのでは。〈デルフィーヌ〉は思案した。

 ――あの女も痛感していたはずよ。公爵令嬢だの皇太子の婚約者だのと持ち上げられても全てを支配できる訳ではないと。下手をすれば貴族の慣習や制度にがんじがらめになってしまうことを。


 前世でのシャルロット・ロシニョールがあれほど男性たちを魅了したのは、身分に囚われない奔放さだった。それもただの男爵令嬢であれば魅惑的であっても、婚約者のいる公爵令嬢では不利な点の方が多い。

 そのことに限界を感じて公爵家を解体したのなら、次の狙いはどこだろうか。

 頭に浮かぶのは百合の紋章を取り囲む羽根飾り。ドートリュシュ大公家の紋章だ。

 ――大公殿下とあの女の接点は何かしら。

 考えても見当が付かず、次の研究会で相談してみようとシャルロットは決めた。




 数日後、どうにか国立図書館の研究会にシャルロットは参加することができた。集った者の話題はさすがに軍務省の爆破事件に集中していた。

「市庁舎の事件から期間が空いているのは何故だろう」

「水面下で何かを要求して、それを却下されたという話も流れてるぞ」

「前回に使用した爆薬の流れも掴めてないんだろう」


 あれこれと推測が飛び交う人々から離れ、シャルロットはディロンデル公爵令嬢やエミリー・ゴーシュとダイグル家のことを話していた。さすがに公爵の寝室でのことは話せなかったが、息子が父親に重傷を負わせたことは既に広まっていた。

「暴力的なことができるような方には見えませんでしたけど」

 意外そうなユージェニーに、エミリーは別の見方を示した。

「最近は少し苛々した様子だったようにお見受けしました。特に公爵と御令嬢と三人でいる時は」

「仲のよい親子に見えたのは表面上だったのかしら」


 シャルロットはあまり彼らのことは考えたくなかった。

「公爵夫人は皇后陛下が向かわせた医師団に保護されて療養施設に移されました。診察と検査を受けられています」

 彼女の報告に、女性陣はほっとした様子だった。

「皇后陛下も安心されたでしょうね」

「ヴィクトワール様の母方のお祖母様のご実家で療養される話も出ているようです」

「アグロセンの? あの公爵家は確か皇王陛下の姉君が嫁がれていますわね」


 皇姉アデレイドはアグロセンの大貴族シルベストル公爵と婚姻を結びアデライダと名を変え、二男一女をもうけている。この公爵家はダイグル公爵夫人の祖母の実家でもあり、これらの血脈は複雑に絡み合っていた。

 とりあえず彼女をあの家から切り離せそうだとシャルロットは皇后の決断に感謝した。前世で公爵夫人から愛された記憶はないが、ごくたまに学園に面会に来たのは彼女なりに気に掛けていたのかもと今では思えるのだ。


 ユージェニーが思い出したように情報を伝えた。

「近頃、ドートリュシュ大公殿下のパレ・ヴォライユは集まる顔ぶれが様変わりしているようですわ」

「どのような方たちでしょうか」

 エミリーに訊かれ、公爵令嬢は難しい顔をした。

「これまでは最先端の科学研究者や前衛的芸術家などが集っていたのが、妙に騒々しい政治団体が占めているとか」

「それは露骨な集まりですね。さすがに反政府組織のような者はいないでしょうけど」

「いくら何でも、考えにくいですわね」

 ユージェニーとエミリーは笑い合った。


 少し落ち着いた気分は長くは続かなかった。『ル・コック』紙の記者が息せき切って会議室に飛び込んできたのだ。

「犯行声明が出た! 『赤い雄鶏(ル・コック・ルージュ)』だ!!」

 研究会は一気に騒然となった。

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