35 赤い雄鶏の声⑨
翌日の新聞はどれも『赤い雄鶏』の犯行声明一色だった。
内務卿セザール・ガロワはうんざりした顔で机に新聞を放り出した。
「軍務省が破壊され大混乱の中、第一陸軍卿のダイグル公爵が息子に刺されて重傷だと? どうなっておる」
新聞には公爵家の醜聞は載っていないのだが、国内の事件が彼の目を逃れることはなかった。
内務卿執務室のソファに寝転んで新聞を読んでいたウジェーヌ・ガロワが父親に告げた。
「公爵は入院、子息は拘束、公爵夫人は皇后陛下の祖母方に療養が決まり、ご令嬢は姿をくらました……。ダイグル公爵邸は空っぽですね」
「陸軍元帥は卒倒ものだったぞ」
頭が痛そうな内務卿は、報告書を見てやや気分を持ち直したようだった。
「アグロセン大使館の内偵は進んでいるな。夫人たちがメゾンでもらす内輪話を、アグロセン語が分かる諜報員が情報収集している。皇后陛下の侍女たちはなかなか鋭いぞ」
「それはロシニョール男爵令嬢の案でしょうね」
「白鳥姫が得意なのはダンスだけではないようだな」
意外そうな内務卿にウジェーヌは苦笑した。
しばらくしてウジェーヌ・ガロワは内務省の別の部屋で使用人の服に着替え、いかにもくたびれて見えるようにした。
彼は通用口から外に出ると、裏町の薄汚れたカフェに入った。労働者階級が賑わう店内でちびちびとコーヒーを飲んでいると、側で雑談していた労務者風の男が話しかけてきた。
「なあ、あんた最近よく見るな。内務省の方から来てるか?」
「そうだよ、事件続きで人使いが荒いのなんのって……」
あれこれと愚痴を並び立てながら、ウジェーヌは目の前の男たちを観察した。
――ジャン=リュック・カナール、マチュー・エロン、バティスト・グレーズ……『赤い雄鶏』の幹部が内務相の目と鼻の先にたむろしてるなんて、父上が知ったら卒倒ぐらいじゃすまないかな。
適当な話に小さな事実を織り込んで、ウジェーヌは時間だと仕方なさそうに席を立った。カフェを出る時に入り口付近で酒を飲む男とすれ違った。内務省の内偵員だと気付き、視線も合わさずに内務卿の息子はとぼとぼと省庁に歩いた。
皇后宮でシャルロットは手紙を受け取った。差出人はサラ・パンソンとあった。
「サラ先輩だわ、お元気でいらっしゃるのかしら」
封筒はいつもより厚かった。手紙の文面は短かったが、内容はシャルロットを驚かせた。
『親愛なるシャルロット、去年の夏にシャトー・フォーコンで狙撃されたことを覚えているでしょう? パンソン家の探偵が使用された自動車の運転手と乗員、車を借りた者をやっと割り出したの。随分と経由した者が多くて手間取ったけど、大元の指示はこの二人が関わっているわ。知人なら国立図書館で教えて』
同封されていたのは似顔絵だった。一目見てシャルロットは息を呑んだ。忘れる訳がない、自分を家族から引き離し、母イルマを残酷に鞭で打ち据えた者たち。
「……エリク、プロスベール…」
ロシニョール男爵が外出時に必ず伴う用心棒と御者の顔だった。
「あの狙撃はパンソン家の人が狙いだったの? それとも私…」
女学園で会った男爵の逆らうなという言葉が浮かぶ。あの中に何が含まれていたのか自分は知らねばならない。大事な人たちを傷つけないためにも。
シャルロットは外出申請するためにフラモン侯爵夫人の元に急いだ。
パンソン家が国立図書館の研究会に差し向けたのは探偵社の社員だった。
「サラお嬢様から話は聞いています。あの似顔絵に見覚えがあれば教えてください」
「ロシニョール男爵の用心棒と御者です。彼が外出する時は必ず伴っています。他の使用人とはほとんど接点がなく、私も詳しいことは知りません」
探偵がメモを取りながら頷くと、のんびりした声が加わった。
「あー、パンソン家を敵に回したんだね。そいつら先は長くなさそう」
物騒なことを軽く言ってのけ、ウジェーヌ・ガロワが探偵の隣に座った。そして、彼はシャルロットに質問した。
「例の名簿を君に渡した時、男爵の様子はどうだった?」
「私が逆らうなど考えてもいなかったでしょうね。男爵邸にいた頃は顔を合わせるのは月に一回、男爵夫人の病状を報告する時だけでしたから。あの男の目を引くのが嫌で、なるべく地味な格好で会話も最低限にしていましたので、いつも不器量なノロマと罵られました」
ウジェーヌたちは信じられないと言いたげに目の前の男爵令嬢を見た。
「私だって目を掛けられるなんて嫌ですわ、あんな下品な男」
ディロンデル公爵令嬢が賛同した。
「男爵をご存じなのですか」
「最近、下宮殿で熱心に何かを売り込むのを見かけましたわ。ほとんどが下級貴族相手でしたけど、一度ドートリュシュ大公殿下の従僕が側にいましたわね」
その名からシャルロットは別の事を連想した。
「ダイグル公爵令嬢とは、あの事件の後に会われましたか?」
「いいえ、今の居場所はどなたに訊いてもご存じなくて。公爵邸は閉鎖状態ですし」
「あの方がドートリュシュ大公殿下の馬車に乗られるのを見たことがあります」
「大公殿下の? ダイグル公爵と親密だとは初耳ですわ」
情報収集に長けているディロンデル公爵家の令嬢が知らないのであれば、ダイグル公爵令嬢の単独行動なのだろう。シャルロットはウジェーヌに尋ねた。
「ロシニョール男爵には監視が付いているのですか」
「今のところ重要性は低いけど、一応居場所は把握してるよ。ここシーニュでの滞在先はオテル・プーレだね」
男爵が言っていた連絡先と合致する。
「仮住まいなら重要な物を持ち歩かないかも。でも、男爵邸のどこに保管しているかは本人しか…」
言いかけてシャルロットは訂正した。
「いえ、分かる人がいるかも」
彼女は友人たちと計画を詰めていった。
数日後、緊張した面持ちでロシニョール男爵夫人の侍女マダム・モワノは自動車から降り立った。
「大丈夫ですよ、マダム。我々が付いてます」
中年の労務者と若い手伝いに扮した探偵たちが彼女を元気づけた。マダム・モワノは大きく息を吸った。
「これも奥様のためならやり遂げて見せます。行きますよ」
いつもの気取った態度を取り戻し、男爵夫人付きの侍女は邸の扉を開けた。
「マダム・モワノ? いつこちらに」
慌てる執事に侍女は畳みかけるように言い募った。
「何度連絡したと思っているのですか、あれほど奥様に必要な書類があると催促したのに。時間がないからこうして直接来る羽目に…、まあっ、何てこと。誰が奥様のお部屋を勝手にいじったのですか!」
「私は何も…」
「こんな安物の書き物机など置いて、奥様の家具はどうしたのです!?」
マダム・モワノはづかづかと邸内を歩き、かまわず男爵の私室に踏み入った。
「ここにあったのね、まったく忌々しい人だわ。奥様の持ち物を我が物顔で使うなど。いいですか、これはエグレット伯爵家のですね…、ああ、もういいわ、運んでちょうだい」
「へいっ」
彼女が連れてきた探偵たちは素早く机を運び出した。執事たちは迫力に押されておろおろするばかりで、嵐のような一団が去るのを見送ることしか出来なかった。
自動車に乗り込んで、マダム・モワノは震える手を押さえた。
「男爵の私室に取り付けた金庫は偽物で、あの男はこの机の引き出しを金庫代わりにしていました」
「感謝します、マダム。至急開錠して中身をすり替えた後に間違っていたと言って戻しますよ」
「これであの男に目に物を見せてやれるならお安いことだわ」
積年の恨みを込めてマダム・モワノは吐き捨てた。金で買われたも同然の伯爵令嬢に対する男爵からの精神的肉体的虐待を忘れたことなど一度もない。側で彼女を慰めながら復讐心をたぎらせてきたが、やっと果たすことが出来る。
「男爵の没落を見届けたなら、心置きなく奥様と修道院でもどこでも行けますわ」
「惜しいですな、あなたの観察眼はうちで雇いたいくらいなんですが。ところでマダムのお名前は?」
「わ、私の名など……、…テレーズです」
「シモンです。よろしく、テレーズ・モワノさん」
そっぽを向きつつも顔を赤くするマダム・モワノに、笑いながら探偵は車を走らせた。




