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26 白鳥の園⑲

 皇后宮の奥へと侍女はシャルロットを導いた。〈デルフィーヌ〉にとって見覚えのある場所だった。

 ――この先は、皇王陛下でさえ取り次ぎが必要な所だわ。


 一室の前で侍女は立ち止まり、中にいる主に呼びかけた。

「陛下、ロシニョール男爵令嬢をお連れしました」

「お入り」

 皇后ヴィクトワールの直答に、シャルロットは身を固くした。ここからは些細な失敗も許されない。


 扉が開けられ、室内には部屋着でくつろぐ皇后がいた。進み出た男爵令嬢は最敬礼をした。

「御前に失礼します」

 皇后の傍らの主席侍女が何かを囁き、ヴィクトワールは頷いた。

「ダイグル家の令嬢と同じ学園にいるそうね」

「はい」


 彼女の意図が分からず、シャルロットは極力簡潔に答えた。皇后は質問を続けた。

「同伴していたのはダンス教師とか」

「はい」

「あの学園の者はほとんどが婚約者と出席していたが」

 高位貴族を狙う野望などないことをシャルロットは弁明しようとした。

「学園で勉学を収め院長様の紹介状がいただければ地方領主の家庭教師にと…」

「愚かなことを」


 苛立たしげな声で男爵令嬢の言葉は打ち切られた。皇后は立ち上がり、シャルロットの前まで来ると手にした扇の先で細い顎を捉え、仰向かせた。

「これほどの器量を田舎に埋もれさせる? 皇太子と踊った貴族令嬢が家庭教師? クロチルド、モワイヨン侯から侍女の話の辞退が出てたわね」

 名を呼ばれた主席侍女は淀みなく答えた。

「はい、陛下。令嬢が急病とのことで」

「なら変更すればいいだけのこと」


 話が見えないシャルロットは息を呑んでいた。侍女たちはくすくすと笑い、皇后が決定事項を告げた。

「新年から皇后宮の侍女として出仕しなさい」

 完全に想定外の成り行きにシャルロットは焦った。

「しかし、皇后陛下に侍るのであれば最低でも伯爵家以上の家格が必要なはず。私は男爵家に過ぎません」

「そのような慣習に過ぎないことに、私の一存が及ばぬとでも?」


 冷ややかな言葉に男爵令嬢は平伏した。こうなると皇后の意を受けるしか道は残されていない。

「非礼をお許しください。未熟者ですが誠心誠意お仕えいたします」

 皇后はちらりと主席侍女に視線を向けた。心得た様子で侍女は頷いた。

「男爵令嬢に心得を教え、聖ミュリエルには通達を出しておきます」

「任せる。下がってよい」

 礼をしてシャルロットは退出した。経緯はさっぱり飲み込めないが、とんでもないことになってしまったことだけは理解できた。




 皇后付き侍女の仕事の速さを、翌日からシャルロットは身をもって知ることとなった。

 王宮からの指示に修道院はちょっとした騒ぎになり、学園の女生徒も同様だった。高位貴族令嬢たちは遠巻きにひそひそと囁き合い、下位貴族と平民の友人たちは心から喜んでくれた。

「よかったわね、シャルロット」

「あなたが地方領主のとこで働くなんて勿体ないと思ってたのよ」


 フェリシーとロールに二人がかりで抱きつかれ、シャルロットはよろけながら笑った。

「でも、皇后陛下は厳しいお方のようだから、今から緊張するわ」

「シャルロットなら大丈夫だって。ほら、皇太子殿下と踊ってる写真が新聞に載ってたし」

 おそらく『ル・コック』紙の記者だろうが、余計なことをと〈デルフィーヌ〉は頭を抱えたい気分だった。

 ――こんな派手に喧伝されても浮くだけなのに……。

 記事には皇后が戯れに口にした『白鳥姫(プランセス・シーニュ)』というあだ名が見出しに使われていた。ゴシップ誌はさぞかし面白可笑しく身分を超えた恋物語に仕立てているだろう。


 更に実務的な準備も山積みだった。

「さすがに皇后宮で仕立て直しのドレスはまずいわね」

 支度金は支給されるのだが、今から新年までに皇后宮用と公務用を用意するのは簡単ではない。

「とにかく街中のお店を見て回るしかないわ」

 既製服のみになるが直せば何とかなるとシャルロットは覚悟した。


 そこに受付から来客を告げられた。中庭の方で聞き覚えのある騒音がする。

「……自動車?」

 女学園の寮を訪れたのは、助手を引き連れた派手な服装の女性だった。

「初めまして、ロシニョール様。このたびは皇后陛下の侍女として宮殿に上がられるとか」

 グリヴと名乗る彼女は皇都にメゾンを構えたばかりの新進のクチュリエだった。それが何故ここにと訝しんでいると、仕立て師は思いがけない名を口にした。

「私どもはサラ・パンソン様からの仲介で参りました。王宮勤めともなると色々と用意するものがおありでしょう。我がメゾンであれば全て年内に揃えてみせます」


 昼用のドレス、夜会服、靴、靴下、手袋、帽子……。部屋が埋まるほど広げられてシャルロットは慌てて制止した。

「ありがたいのですが、この量は予算を超えますので」

「私のメゾンの出資者はパンソン家です。サラお嬢様から採算度外視でと言いつかっておりますので」


 豪快なサラらしいと男爵令嬢は苦笑した。

「有り難いお話ですが、分を超えた物を手に入れようとは思いません」

「うーん、それでは物々交換はどうでしょうか」

「交換できる物など…」

 戸惑うシャルロットにクチュリエは立てた指を振った。

「ご令嬢のデビュタントドレスは私どもの業界に衝撃を与えました。是非実物を見たいと思い、この話に乗ったようなものでして」

「…そうですか。素人仕事でお恥ずかしいのですが」


 箪笥から白鳥のドレスを取り出すと、仕立て師は食い入るように観察した。

「なるほど、作りが荒い所もありますが、この効果は素晴らしい。実は、さる高貴なお方のご寵愛を得ている某有名女優から、何としても同じ物を作って欲しいと言われまして」

「これが対価になるのでしょうか」

 信じがたい様子のシャルロットに、グリヴ嬢は当然と言い張った。

「もちろんですとも。このアイデアに値段など付けられません」


 いそいそとドレスをしまい、クチュリエは満面の笑みで作業を続けた。

「それでは、ご令嬢のサイズに直して直接王宮にお届けします」

「…お願いします」

 疲労困憊のシャルロットはお任せするだけだった。


 嵐のようにメゾンの人々が去って行くと、入れ替わりのようにモニカが訪れた。

「忙しそうね、疲れてるみたいだけど」

「何でこんな事になったのか分からないわ」

「でも嬉しい。あたしはよそに移るからエフィを残して行くのだけが気掛かりだったもん」


 何かと力になってくれた幼馴染みの手をシャルロットはそっと握った。

「ありがとう、モニカがいてくれたからやってこれたの」

「エフィならどこでもやってけるって。それに王宮にはマルセルも勤めてるんだし」

「落ち着いたら、お兄ちゃんに会えるかな」

 男性の出入りが制限されている皇后宮で会うことは難しいが、マルセルの受け持ちと休日が分かれば不可能ではないだろう。何から話せばいいか分からないが、聞いてほしいことは山ほどある。


 見習い修道女が思い出したように言った。

「そうだ、この前ピエール先生がここの人たちと話してくれて、奉仕活動を続けたら先生の助手として雇ってもらえそうなの」

「本当? 凄いわモニカ。たくさん勉強してたものね」

 互いの新しい道が開けた少女たちは、夜になるまで語り合った。



 同時刻の聖ミュリエル修道院内。反省房のある区画で、一人の見習修道女がふてくされていた。

「……何でよ、あのいい子ぶった女の泣き顔が見れるはずだったのに…」

 頭を抱えてこれからのことを考えても暗い未来しか浮かばない。

「どうしよう、ここを追い出されたりしたら…」


 不意に、房室の窓から冷たい声がした。

「とんだ役立たずね」

 弾かれるように立ち上がり、見習い修道女メリナは窓に駆け寄った。

「あたし、最初はちゃんとやりました。本当です。邪魔さえなければ」

「結果が駄目ならそんなの関係ないのよ」


 叩き落とすように答えると、面会人は声を潜めた。

「私のことは話してないでしょうね」

「……はい」

 微かなためらいを面会人は見逃さなかった。

「気付かれたの。まったく、計算違いもいいところだわ」

「ごめんなさい、許してください。今度はちゃんとやりますから!」

 叫ぶメリナを面会人は静かにさせた。

「なら、ここから出るのよ。これで暮らしていけるわ」


 貨幣の音を立てる袋を出されて、メリナは嬉しそうに窓の格子から右手を伸ばした。

 その手を掴むと面会人は腕を引っ張り出した。

「痛い!」

 抗議の声を無視して取り出されたのは注射器だった。メリナの顔が恐怖に歪んだ。

「やめて!」

 全力で引き抜こうとするより先に、針が静脈めがけて突き刺さった。一気に溶液を注入され、メリナは青ざめた。


 ようやく解放された腕を取り戻し、見習い修道女は罵声を浴びせた。

「何すんのよ、このアマ! 全部言ってやるから! あんたがやらせたっ…て……」

 急激にろれつが回らなくなり、メリナはよろめいた。立っていることも出来ず、床に崩れ落ちる。

「……たす、けて……」

 哀願の言葉を聞くこともせず、面会人は立ち去った。


 翌朝、反省房で泡を吹いて倒れている見習い修道女が見回りの尼僧に発見され、修道院は恐慌状態に陥った。




 皇后付き侍女に抜擢という大出世が嬉しくない再会をも呼び寄せるのだと、次の面会日にシャルロットは思い知った。


 面会室に来たのはこれまで一度として顔を見せなかった人物だった。

「……ロシニョール男爵……」

 ほぼ二年ぶりに見る実父を前に、シャルロットは言葉をなくした。

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