24 白鳥の園⑰
広場の泉の縁に腰掛け、同郷出身の二人は近況を報告し合った。マルセルは言いにくそうにお悔やみを告げた。
「ジョスのこと聞いたよ、残念だったな」
「ありがとう。あの子はもう苦しむことのない天上にいるから」
そっと十字を切り、モニカは明るい口調で言った。
「ねえ、もっと驚くこと教えたげる。エフィもこの街にいるよ」
「エフィが? ここに?」
絶句する青年に笑いを堪えながら見習い修道女は続けた。
「そう、しかもあたしがいる修道院の附属女学園に」
「……そうか、もう男爵のお嬢様だもんな…」
寂しそうに俯くマルセルの背中をモニカが強く叩いた。
「何言ってるの、エフィはエフィよ。あたしたちの小さな可愛い妹は変わってないって」
痛そうな顔をする青年に彼女は小声で言った。
「何とかして男爵家と縁を切るために勉強してるの。ずっとニドの街に帰りたがってる」
「そんな酷い扱いだったのかよ」
マルセルは顔色を変え、モニカは顔をしかめた。
「暴力受けたりはなさそうだけど、男爵の死んだ娘の身代わりさせられてたの。名前まで変えられて。逃げたくてもニドの家族に危害を加えるって脅されて従うしかなかったのよ」
「……エフィ…」
膝に置いた手をマルセルは握りしめた。最後に見たエフィの、レースのリボンを髪に飾って嬉しそうに笑う姿が甦る。同情的な目で彼を見ていたモニカが呟いた。
「会わせてあげたいけど、修道院の面会は家族限定だし、あたしは来年から別の修道院に移るし……」
そして、見習い修道女は幼馴染みに尋ねた。
「これからどうするの?」
「一応兵役は終わったけど、今はフィンク半島に出兵の噂があって、予備役扱いで待機中なんだ。ここで街か宮殿の警備を…」
「宮殿の警備よ、絶対! あ、聖光輪祭の日は空けておいてね」
マルセルの両肩を掴み、モニカは強引に決定した。思わず頷いてしまった家具職人の息子は、去って行く彼女に手を振りながらぼやいた。
「……何なんだよ」
それでも彼は立ち上がり、袋を背に担ぐと王宮の警備詰め所へと歩いた。
最後の糸を切り、シャルロットは大きく溜め息をついた。
「……やっと終わった…」
デビュタント二日前、ようやくドレスの修理が終わったのだ。
「ちょっと変わった感じになったけどいいわよね。レースやリボン以外使っちゃいけない訳でもないし、ちゃんと白だし」
花でドレスを飾る人もいるのだからと自分に言い聞かせて彼女は裁縫道具を収めた。改めて別物のように仕上がったドレスを眺める。
「しっかり留めたつもりだけど、ビジューと一緒に落ちたりしないわよね。舞踏会の間だけもってくれれば上等だわ」
軽い材質なのだからダンスに支障はないだろう。そう判断してシャルロットはドレスに布を掛けた。
「当日はモニカが馬車を呼んでくれるはずで」
妙に楽しげに介添人役を申し出てくれた幼馴染みは、どうも何かを隠している気がする。
「王宮でエスコート役のブリュノ先生と合流して…」
デビュタントでダンスの相手役をしてくれる男性がいないため、ダンス教師に頼んでいたのだ。彼は快諾してくれ、夫人も楽しみだと言ってくれた。
「社交界の評判なんてどうでもいいけど、先生たちには恥をかかせないようにしないと」
ベルフォンテーヌ宮殿に行くのも久しぶりだ。前世のデルフィーヌは他人のあら探し気味の視線に怯えたり、ことさら公爵家の権威を振りかざして虚勢を張ったりと気の休まる時がなかった。
「登場は身分順だから最後の方だけど、早めに到着した方がいいわね。聖光輪祭はどこも人出が多いから」
豪華だが冷たい公爵邸で、たったひとり広い正餐室で祭日用の食事をした時は外の賑わいが羨ましく見えたことを思い出した。
――自由になれたら見てみたいわ。お祭りの街がどれほど活気があるのか。
憬れを込めて〈デルフィーヌ〉は夢想した。馬車から見るだけだった街並みに入っていき、様々な催しを見て回ることを。
――イルマ母さんや父さん、マルセル兄さんも一緒なら楽しいでしょうね。
ニドの街でのお祭り騒ぎを家族で見物したことが甦り、シャルロットは服の隠しポケットから小さな袋を取り出した。中には母がくれたレースのリボンと、兄からの手紙が入っている。
それらにそっと触れ、〈デルフィーヌ〉は決意を新たにした。
――私は必ず家族を取り戻す。私の中の小さなエフィのためにも。
早い夕暮れの中、男爵令嬢は古びた紙片とレースを宝物のように抱きしめた。
冬至は最も夜が長い日である。いつからかこの日を光が闇に打ち勝つ日として祝うようになり、聖光輪を称える祭りとなった。
防寒着に身を包んだ人々が街をそぞろ歩き、屋台を冷やかしたり路上での催しを見物して楽しむ。音楽や歓声があちこちで聞かれ、笑顔が溢れる。
王宮ではデビュタント舞踏会が開催され、社交界の仲間入りをする貴族の子女を祝うのが慣例だった。
冬用のケープをまとい、シャルロットは寮のホワイエでモニカを待っていた。
馬車を呼んでくることの何が楽しいのか、やたらとうきうきした様子で出かけていった見習い修道女は何を企んでいるのだろう。
そう思いながら時計を眺めていると、寮の受付が彼女を呼んだ。
「ロシニョールさん、馬車が来ましたよ」
中庭に出てみると、二頭立ての馬車が停まっていた。そこにモニカの姿がないのを怪訝に思っていると、中からコートを着た男性が出てきた。ステッキを手にした、一見紳士的な人物だ。
「ロシニョール男爵令嬢ですね。お迎えにあがりました」
「私の介添人は?」
「修道女さんから先に行ってくれとうかがっていたのですが」
シャルロットは頷き、手を取られて馬車に乗った。御者が修道院を出発させると、すぐ後に一台の馬車が中庭に入ってきた。中から出てきたモニカが寮に入り、幼馴染みを呼んだ。
「おまたせ、エフィ。誰が馬車にいると思う?」
返答はなく、彼女は無人のホワイエに戸惑った。そこに受付が声をかけた。
「ロシニョールさんなら、さっきお迎えの馬車で出ていったよ」
「お迎え? 人違いじゃないの?」
「確かにロシニョール男爵令嬢って言ってた」
嫌な予感に囚われ、モニカは外に飛び出した。馬車の御者台に上がると、寒そうにしていた青年の腕を掴む。
「どうしよう、マルセル。エフィが変な馬車に連れて行かれた!」
マルセルは何も言わず、馬車を急発進させた。
馬車の窓から街を眺めていたシャルロットは、やがて違和感に囚われた。男爵令嬢は同乗している男性に用心深く質問した。
「この道では王宮に行けないはずでは?」
「混雑しているので少し遠回りするだけですよ」
男はにこやかに答えたが、外の景色は王宮から離れていくばかりだ。
「下ろしてください。歩きます」
「危ないですよ。それに一人で歩くなんて無茶だ」
「すぐに馬車を止めて!」
叫ぶシャルロットに、男の様子が一変した。
「おとなしくしてろって言ってんだよ」
男爵令嬢は扉に体当たりした。扉が開き、周囲の通行人が危ないと文句を付ける。男は彼女の腕を掴んで奥に突き飛ばした。御者が彼らを罵った。
「おい、俺の馬車で無茶すんなよ」
男が何か答えようとした隙に、シャルロットは彼からステッキを奪い、思いきり窓ガラスに叩きつけた。派手な音をたててガラスが飛び散る。御者が馬を止め、激怒しながら扉を開けてシャルロットを引きずり出した。
「このクソアマ! 何てことしやがる!」
御者が小柄な少女を殴ろうとした。その寸前に別の者の手が彼の腕を捕らえた。
「あ? 何だ、お前?」
鞭で追い払おうとした御者を乱入者が拳で黙らせた。道路に叩きつけられてのびてしまった御者を見るなり、共犯の男は一目散に逃げ出した。
訳が分からず馬車に寄りかかっていたシャルロットに見習い修道女が抱きついた。
「大丈夫? エフィ。ごめんね、あたしが驚かそうなんて思わずに一緒にいれば…」
涙ぐむモニカの後ろから、長身の男性が問いかけた。
「怪我はないか?」
優しい濃灰色の瞳と茶色の癖毛。遠い記憶にある顔が成長して目の前にいた。
「……マルセルお兄ちゃん…?」
シャルロットは震える声で呼びかけた。




