真夜中の夕焼け小焼け
宮城県仙石市小峠町では、毎日午後五時になると防災行政無線から『夕焼け小焼け』が流れる。
昔から変わらない、町の夕暮れを知らせる音だった。
子どもたちは遊びを切り上げ、大人は夕飯の支度を始める。
夕焼け 小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る
おててつないで みなかえろう
からすと いっしょに かえりましょ
歌詞の意味など誰も気にしない。
ただ、その音が聞こえれば「ああ、もうそんな時間か」と思うだけだった。
その日、真夜中の二時ちょうどにそのメロディーが流れた時、榎本真紀は最初、自分の夢の続きだと思った。
──夕焼け 小焼けで 日が暮れて
眠りの底へ沈みかけていた意識が、一瞬で浮かび上がった。
スピーカー特有の、少しくぐもった電子音。
窓を閉め切っているのに、どこからともなく聞こえてくる。
──山のお寺の 鐘が鳴る
覚醒し切らない意識のまま、薄く目を開けた。
中学生の頃、夏休みの部活の朝練でへとへとに疲れ果てて、帰ってすぐ眠ってしまい、夕方この音楽を聞いた覚えがある。
高校生の頃、徹夜ゲームの後、明け方眠った時も夕方このメロディーで起こされた。
今はもう普通に規則正しい生活をしている。そんなへとへとになるほど打ち込む趣味もない。
そもそも三十代も半ばを過ぎ、夜中起きていることが難しくなった。
二十三時にもなれば自然とまぶたが重くなるので、それまでに夕飯とお風呂を済ませなければいけない。
幸い、……かどうかは甚だ疑問だが、結婚もしていないし、もちろん子供もいない。
誰かの都合に自分の生活を合わせる必要はない。
兄がお嫁さんを迎えたのを機に、一人暮らしを始めてもう十年になる。
仕事を終えて、家に帰ってきたら、お風呂を沸かして、簡単なご飯を作って食べる。
洗い物をしたあとで、お風呂に入って、化粧水と乳液をつけて軽くストレッチ、ドライヤーで髪の毛を乾かしたら、SNSをチェックしながら、別に見たいわけでもないバラエティー番組を見て時間を溶かす。
二十二時になったら寝る支度だ。翌朝のために目覚まし時計をセットして、電気を消して目をつぶる。
「……うーん、夕方なの?」
そう呟きながらおぼつかない手で枕元のスマートフォンを起動すると、『午前二時』と表示されている。
「……は? 夜中?」
寝ぼけた頭では状況が理解できない。
でも確かに、夕焼け小焼けのメロディーが流れている。
時計を見間違えたのかと思い、もう一度画面を見直す。
午前二時。
間違いない。
──おててつないで、みなかえろう
「いや……帰ってるし」
布団を頭までかぶる。
誰かがうっかり操作を間違えたのだろう。市役所の人も大変だなぁ。その程度にしか思わなかった。
翌日の昼休み、社員食堂で日替わりランチを食べている時に、昨夜の『夕焼け小焼け』の話になった。
「昨日の防災無線聞いた?」
「びっくりしたよね。真夜中に『夕焼け小焼け』って」
「うちの旦那なんか飛び起きて外に行ったよ、野次馬根性だよねぇ」
同僚のご主人が、玄関の上がり框で向こう脛をイヤというほどぶつけて青タンができた話を聞きながら笑った。
真紀も、『今日あたり仙石市のホームページに謝罪が出るんじゃない? 担当者が寝ぼけておりましたー、なぁんて』そう言いながら笑った。
そのあとは、普通に日替わり定食の味付けの話や上司の噂話、昨日のバラエティー番組の話、と次々に話題が移り変わった。
ところが、その夜も、午前二時に夕焼け小焼けのメロディーが流れた。
夕焼け 小焼けで 日が暮れて
山のお寺の 鐘が鳴る
おててつないで みなかえろう
からすと いっしょに かえりましょ




