Rem:7 光3
慎はじっと見てはいたが、手を出すことはなかった。
その代わりに体操服が入った袋を地面に置き、その上に腰を下ろした。
「ごめん。うちは、蒼が動物アレルギーだから、連れて帰れないんだ」
慎の言葉が分かったのか、仔犬は段ボールの中をとことこと回り、慎のように座った。
彼と犬は、ずっと二人で座っていた。
図書室を出たときが、四時過ぎだ。
地面はオレンジ色に染まって、日が暮れようとしている。
(いつまでやるんだ?)
光は痺れを切らして来て、置いていくか、声をかけるかを迷った。
しかし、声をかけても光の家はマンションだから飼ってはやれない。
電信柱の影でため息をついた時、ゆっくりとした声がした。
「どうしたの?坊や」
少し腰の曲がった老夫婦が、買い物袋を下げて慎たちの前に立っていた。
「お母さんにでも、怒られたがね?」
おじいさんの問いに首を振って、慎は目線を仔犬に移した。
「可愛いねえ。坊やのわんちゃん?」
これにも否定を示すと、おじいさんは唸った。
「捨て犬かい。まだ子どもじゃけえ。酷いことをする飼い主がおるもんだの。なあ、ばあさん」
「ええ。僕はもしかして、このわんちゃんと一緒に、飼い主が見つかるのを待ってたの?」
慎は頷いた。
「……うちは、飼えないから」
「そう。優しい子だね。おじいさん、どうします?」
「んでも、うちも飼えないからなあ……」
その言葉に慎ががっかりと肩を落とし、おじいさんは笑った。
「まあ、そう落ち込みなさんな。わしらの知り合いに、聞いてみよう。源さんなんかいいかもしれんぞ」
「そうですね。あそこは奥さんを亡くしたばかりですし、新しく家族が増えれば喜ぶかもしれませんね」
「じゃあ、とりあえず、わしらが連れて帰ろうか」
「そうしましょう」
おばあさんは微笑み、仔犬を抱き上げた。
慎が顔を輝かせ、立ち上がった姿を見ておじいさんが驚いた。
「こりゃたまげた。ランドセルのまんまじゃけえ!まだ学校の帰りだったんか。悪い人がおったりするけ、早よう帰らな危なかが」
「家はどこ?お家の人が心配していますよ」
慎は家が近くだと説明をして、老人と一緒に帰りの道についた。
光は道に伸びる三つの影の後を追いかけながら、とても温かい気持ちになっていた。そして。
(あれ?ここって……)
一日の最後にたどり着いた慎の家は、自宅から徒歩でも十分以内のところにあった。
意外と近くにいた存在なのに、全然交流が無かったなんて驚きだ。
「よーっし!」
光は両手に拳を作って、高く上げた。明日から、楽しくなりそうだ。
翌日の中休み、机に本を広げていた慎の前に、立ちはだかってみた。
「おい!」
嬉々とした様子の自分に若干引き気味な表情で、でも慎は光と目を合わせた。
「お前、いい奴だな。昨日見たぞ」
「!」
残っていたクラスメイトが何だろうと、視線が集まる。
注目されていることに慎はぎくりとして、それから席を立った。
そして何も言わずに教室の後ろのドアに向かい、駆け出した。
(やっぱり!)
大丈夫だ。これも想定内。元々いたずらっ子の光はにやりと笑い、前のドアに向かってダッシュした。
「ちょろいね!」
逃げた級友が廊下に飛び出すと、既にそこには両手を広げて立ち塞がる光がいた。
「残念でした。俺はこのクラスで一番足が速いんだぜ」
「……」
対峙する似合わないカップルに、面白いもの好きの男子がまず食いついた。
「何だー?諏訪もっちゃん、転校生いじめかー?」
「ちっげーよ!」
光は否定をしつつ、慎が次にどう出るのかを待った。
自分の背後を指差して、『あ!』などとありきたりなことを言われたくらいでは、反応をしない余裕がある。
(さて。どう出る?)
慎はじっと光を見て、それから体当たりをするように飛び込んだ。
「危ないっ!」
「うわ?」
急に押され、光は尻餅をつく。慎もバランスを崩して、床に膝と手をついた。
「大丈夫?」
「え?いや、うん……」
初めて話し掛けられ、戸惑いながら返事を返すと、慎がすっと立ち上がった。
そして、一瞬にしてその場から走り去った。
「??……はい?」
正反対な行動に呆気に取られるが、すぐに己の失敗に気付いた。
「しまった!」
危ないことなど、最初から無かったのだ。弾けるように光も立ち上がり、後を追った。
「待てーっ」
短い休み時間の間、二人は追われ、追い掛けを繰り返した。
囃し立てるばかりで、止める者もいない暴走列車。
ブレーキをかけさせたのは、甲高い声だった。
「コラッッ!」




