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逢瀬は、プラットホームで。  作者: 椎名美雪
第二章
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要らない腕時計

 たまには穏やかな日もある。

 珍しいことに、ここしばらく、井沢さんは宗教を口にしなかった。

「来い」とも「行く」とも言わない。


 どんな理由であれ、私には平和な日が続いていた。


 井沢さんの席の後ろに、ワープロが一台置いてある。少し昔のデスクトップ型の、パソコンみたいなワープロ。

 そこで木村ちゃんが資料を作成していた。


 席がフロアの端同士で、普段は声をかけられなかったから、課長がいない隙を見ては、ちょこちょこと話をしに行っていた。


「木村ちゃん。進んでるー?」


 近くの空いている椅子を引っ張ってきて、話をする態勢作り。

 文字を入力しているだけの彼女は、さすがに退屈だったらしくて、嬉しそうにしていた。


 声を抑えながら、軽く笑って話をしている私達の間に、スルスルと井沢さんが椅子を動かして、話に入ってきた。


「あー。ここ、こうするといいよ」

「あっ、ホントだ。ありがとうございます」


 木村ちゃんに操作の仕方を教えつつ、楽しそうにしていた三人。

 もっと話していたいけど、お喋りも程々にしないといけない。

 時計を見つつ、私は席に戻ることにした。


 すると……。


「そうだ。椎名ちゃん」


 井沢さんに呼び止められて振り向いた。

 なにやら、彼は左手首にしていた腕時計を外している。

 その時計を、私に差し出した。


「なに? これ」


 訝しげに彼を見てしまう。


「あげる」

「はあっ!?」


 木村ちゃんが、キョトンとした目で見ている。

 意味不明で衝動的過ぎる井沢さん。


「いらないよ。というか、なんで?」

「んー。新しいの買うから」

「え……。でも、動いてるよ?」


 困る私を愉快そうに眺めている井沢さん。


「さて、ちょっと出かけてくるか」


 伸びをしながら、カバンを手にすると、呆然としている私と木村ちゃんを残して去っていった。


「わー。ラブラブなんだねぇ」

「いや。あの人に、深い意味はないと思うよ」


 彼がつけているコロンの香りが残る時計。

 よくあるシルバー色の、ステンレス製のもの。


 井沢さんの体温が残っている。

 渡されてしまった、この紳士物の時計を、どうすればいいの?

 捨て――られないよね。


 いつものように、振り回されるばかりの私。

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