医務室
初夏を迎える頃には、生意気にも、職場の先輩を相手に気安く口が利けるまでになっていた。俗にいう、“タメ口”というやつだ。
若さ故というのと、周囲の先輩たちも気さくで、話しやすい雰囲気を作ってくれていたこともあり、馴れ馴れしくなるまでに、それほどの時間はかからなかった。
*
ある昼下がり。いつものように、食堂で同期の友達とテーブルを囲んでいた。私の同期は、年齢性別など関係なくとても仲が良い。
入社早々、社内の誰かに恋をすることは私に限ったことではなくて、自ら進んで「今日、○○さんがねー」と、意中の彼の話をしたりしている。
そんな中、何処からか、「井沢さんが倒れた」と聞こえてきた。
私の耳に入ったときには、彼は既に医務室に運ばれた後らしく、慌てて外に出てみたが姿はない。
「椎名ちゃん! 井沢さんのとこ、行ってきなよ!」――想いを知っている友達は、口を揃えて言う。
そうは言っても……どんな顔で、医務室に行けばいい? ただの同僚が、医務室まで顔を出す? おかしな事じゃない?
第一、昼休み時間が終わっちゃうよ。
百面相並みに考えあぐねていたが、友達に背中を押され行くことにした。
*
正門受付と同じ建物の2階に、医務室があった。
初めて上がる2階。狭くて古い階段を上がり、ソロリと静かに顔を出した。
(なに、コレ。仮眠室?)
医務室といえば、やはり白衣を着た保健医がいるイメージだが、どうも名ばかりの様子。保健医などおらず、狭い部屋の中央にパイプベッドが鎮座しているだけ。
井沢さんは、ワイシャツ姿で背中を入口側に向けて横になっているようだ。
急にモゾモゾと身体が動いた。眠っていると思い込んでいた私は、ゴソっと彼の身体が動いて驚いた。
(起きてるの!?)
ちょっと寝顔を見て、帰ってくるはずだったのに――ダメだ。
これは、気付かれずに帰るなんて、無理そう。
「――あれ?」
人の気配に気づいたのか、井沢さんが頭を起こした。バッチリ存在を知られて、もう逃げも隠れも出来ない状況。
(やっぱり無理だよ! なんて言えばいいの!?)
思い出すのは、さっきの友達の顔。頭が真っ白で、言葉が何ひとつ浮かばない。
「……? 椎名ちゃん? どうした?」
そんな問いかけに、冷や汗が出る。
どうって…どうって……。
「えっと、あの……井沢さんが、倒れたって聞いたから。――心配で、来てみたの」
ベッドの上に起き上がり、こちらを見ている。
消え入りそうな声に、彼は少し笑ってくれた気がした。
「ああ…うん。俺、喘息持っててさ、たまに発作が出て苦しくなるんだよ」
そう言う彼は、喘息用の吸入器を常に持ち歩いていた。
持病を持っていたなんて知らなかったし、そんな姿が意外すぎて、驚きしかない。
「喘息って、大丈夫なの?」
「うん。少し休めば大丈夫」
「そっか……。良かった」
ほんの少しだけ、ホッとしたのもつかの間。
昼の始業時間を、5分も過ぎていた。
「わ! もう時間過ぎてる! じゃあ、戻りますね」
慌ただしく出ていこうとする私に、井沢さんは呟いた。
「サンキュ」
笑顔で頷いた私には、もうさっきの恥ずかしさは無かった。




