第16話 助けてみよう
国境までは、あと数日の距離だった。
街道は次第に細くなり、左右には背の高い木々が増えている。すでに日は傾き始め、森の奥からは夜の冷たい空気が流れてきていた。
「そろそろ寝床を探さねーとな」
アニカが大きく伸びをした。
「そうね。今日はここまでにしましょうか」
エリーセは周囲を見回した。街道から少し外れれば野宿に使えそうな場所はいくらでもありそうだったが、できれば屋根のある場所で休みたい。
その時、腕の中のサメちゃんが片方のヒレを上げた。
「何?」
ヒレの向いた先を見る。
木々の間に、小さな屋根が見えた。
「あら、小屋?」
「おっ、いいじゃねーか!」
アニカは早速そちらへ歩き始めた。
近づいてみると、それは古い木造の小屋だった。壁には蔦が絡まり、屋根の一部は苔に覆われている。入口の扉も傾いていたが、建物そのものはまだ使えそうだった。
「猟師小屋かしら」
「誰も住んでなさそうだな。今夜はここで寝ようぜ」
「勝手に決めないで。まず中を確認しましょう」
エリーセが扉へ手を伸ばすと、アニカがその腕を軽く押さえた。
「待て」
「どうしたの?」
「血の匂いがする」
エリーセは杖を構え直した。
アニカが扉を押すと、古い蝶番が軋みながら開いた。
小屋の中は薄暗かった。壁際には古い寝台と壊れた椅子があり、床には枯葉や埃が積もっている。
そして、その奥に女が倒れていた。
「……魔族?」
エリーセが呟く。
女は黒と深紅を基調とした服を着ていた。身体に密着した、下着と大して変わらないほど布面積の少ない衣装に、裏地の赤い大きなマント。紫がかった髪は乱れ、露出した肩や脚には傷がいくつも走っている。
右手には、赤く輝く宝珠が握られていた。
アニカが顔をしかめる。
「うわ、面倒くせえ」
女が握る宝珠を見ながら、エリーセも同意した。
「……そうね」
「この服にマント。吸血鬼だろ、どう見ても」
「ええ。それに随分と追われたみたいね」
エリーセは女から少し離れた場所にしゃがみ、様子を確かめた。呼吸は弱いが、まだ生きている。
アニカが腕を組んだ。
「どうする?」
「どうしましょうね」
「仕留めとくか? 魔族だし、目を覚ましたら襲ってくるかもしれねえぞ」
「それが一番安全でしょうけれど……」
エリーセも否定しなかった。
二人は今、ソヴェリア教団に追われる身だ。国境まであと少しというところで、余計な騒動に巻き込まれるつもりはない。
まして相手は吸血鬼。
魔族の中でも厄介な種族だった。
「放置していく手もあるわね」
「どっちにしろ、ここで寝るのはやめた方がいいな」
「そうね」
二人が話している間に、エリーセの腕からサメちゃんが下りていた。
ぺた、ぺた。
ゆっくりと倒れた女に近づいていく。
「サメちゃん?」
サメちゃんは女の傍らで止まると、その傷ついた腕へ片方のヒレをそっと当てた。
ぱた。
もう一度。
ぱた、ぱた。
「…………」
エリーセが目を細めた。
「何してるの?」
サメちゃんは女の顔を覗き込み、それからエリーセへ向き直った。
両ヒレを小さく動かす。
「……助けたいの?」
こくり。
アニカが吹き出した。
「ははっ! おいおい、お前まで面倒ごと拾う気かよ!」
サメちゃんはまた女の方を向いた。
エリーセはしばらくその背中を見ていたが、やがて深いため息をついた。
「……仕方ないわね」
「おい、本気か?」
「サメちゃんがああしているんだもの」
「だからって吸血鬼だぞ?」
「分かってるわよ」
エリーセは荷物から薬瓶を取り出した。
「ただし、目が覚めて襲ってくるようなら容赦しないわ」
アニカは肩をすくめた。
「はいはい。じゃ、あたしは周囲を見てくる」
「お願い」
サメちゃんが両ヒレを動かした。
「あなたは邪魔にならないところにいて」
首を傾げる。
「治療するのよ」
こくり。
エリーセは女の傷へ手を伸ばした。




