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第二十四話

 屋敷の大扉が開かれると、灯された燭火が暖かな光で二人を迎え入れた。

 冷たい夜気に晒されていた身体を、屋敷の空気がそっと包み込む。


 控えていた侍女たちが慌てて駆け寄り、深々と頭を下げた。

 エリシアの顔を見て安堵の色を浮かべるが、その蒼白さにすぐ心配の声が漏れる。


「エリシア様、お体は……」

「大丈夫です。ただ少し……疲れただけです」

 エリシアは弱い笑みを浮かべ、彼女たちを安心させようとした。


 その背を支えながら、ジンガは視線を正面へ向ける。

 広間の奥から、落ち着いた足取りで壮年の影が歩み寄ってきた。


「戻ったか」

 アドリアン・オルフェールの低い声が広間に響く。

 その視線が、娘の青白い顔と、隣に立つジンガへと注がれた。


「……話を聞かせてもらおう」

 落ち着いた声音ながら、言葉には重みがあった。


 ジンガは姿勢を正し、短く息を吐いて口を開く。

「地下水路で……影のような存在に遭遇しました。

 形を持たず、怨嗟の声を放ち、人に害を及ぼす危険があるものです」


 アドリアンの眉がわずかに動く。

「……やはり、ただの噂ではなかったか」


「はい。そして、その存在は“ミルダ”という名を口にしました。

 明日はそこへ足を運び、確かめてみようと思います」


 ジンガの声には静かな決意が宿っていた。

 アドリアンは目を細め、しばし考え込むように沈黙する。


 やがて低く呟いた。

「……ミルダ。その名を耳にしたか」


 ジンガが頷くと、彼は重々しく言葉を継ぐ。


「古い水路の支流だ。建国の初期に造られ、今は放置されている。

 かつては街の外郭から地下を巡り、下層へと伸びていた。

 改築のために調査員を送ったこともあるが……幾度試みても結果は同じだった」


 アドリアンの声が低く落ち、広間が静まり返る。


「彼らは確かに戻ってきた。だが、口を開こうとはしなかった。

 いや――語れなかったのだ」


 鋼のような瞳が細められる。

「問いかければ震え、口を開けば呻きか泣き声しか漏れぬ。

 皆、恐怖に心を砕かれていた」


 重い言葉は広間に沈み、石壁に反響しては消えていった。


「……ということは、エリシア様に案内を任せるのは危険ですね」

 ジンガは静かに言葉を継ぐ。

「次に向かう時は、俺だけで行った方がいい……か」


「それは……駄目です!」

 エリシアの声がジンガの思考を遮った。

 その顔は蒼白なままだったが、瞳には揺るぎない意志が宿っていた。


「私はオルフェール家の者です。この街を治める貴族の娘として――危険だからと背を向けることは許されません。

 “ミルダ”へ行くのなら、必ず私も参ります」


 その言葉に、広間の空気が張り詰めた。

 アドリアンの瞳が細められ、父としての情と当主としての理のあいだで揺れる。


「……ならん」

 低く、鋭い声が落ちた。


「お前はまだ若い。貴族である前に、私の娘だ。

 危険な地に立ち入らせるわけにはいかぬ」


 エリシアは言葉を飲み込み、唇を噛んで視線を伏せる。

 その沈黙を見届けてから、ジンガが一歩前へ進み出た。


「……お二人のお気持ちは、どちらも理解できます」

 静かな声が広間に落ちた。


「確かに、エリシア様を無理に連れ回すべきではない。

 けれど、街を治める者としての責務を果たそうとする意思も……否定すべきではないと思います」


 アドリアンの鋼の瞳がジンガを射抜く。

 だが彼は目を逸らさず、言葉を続けた。


「次に“ミルダ”へ向かうとき――準備を整え、護衛も増やしたうえでなら、エリシア様を同行させてもよいのではありませんか?」


 広間に再び沈黙が落ちる。

 アドリアンは視線を落とし、重い息を吐いた。


「……ジンガ殿の言うことも、もっともだ。

 私は――先日の一件を、今も引きずっているようだ」

 低い声にはわずかな苦みが混じっていた。

 先日の一件。ジンガがエリシアと出会い、彼女を救った、あの夜のことだ。


「そうですね。私が居なければ、エリシア様は無事ではなかったでしょう」

 ジンガも危険だったことを否定する気はなかった。


 アドリアンはゆるやかに首を振った。

「だからこそ……私は慎重になりすぎたのだろう」


 その声は低く、しかしどこか自嘲めいて響いた。


 ジンガはその考えを決して異端とは思わなかった。

 むしろ、親が子を思えば当然の感情だと感じていた。

 だからこそ、アドリアンの感情に寄り添うように言葉を発した。

「正常な反応だと、私は思います」


 アドリアンの瞳が細められ、低い声が広間に落ちた。

「……ジンガ殿は、どちらの味方なのだ?」


 ジンガは肩を竦める。

「この手の話で、どちらが正しいかを論じても、不幸になるだけだと思いますよ」


 エリシアの貴族としての矜持。

 アドリアンの父としての想い。

 それらは正しさで価値を決めるものではない。


「……若輩者が、出過ぎた真似をしました」

 そう添えて、ジンガは深く頭を下げた。


「気にするな。未熟だったのは私の方だ」

 アドリアンは静かに言葉を継いだ。

「この答えは明日出す。それまでは考えさせてくれ」


「はい」

 エリシアは小さく頷き、唇を結んだ。


「エリシアは、先に部屋へ戻りなさい。後ほど食事を運ばせよう」

 アドリアンは娘に静かに告げ、次いで視線をジンガへと移す。


「ジンガ殿、少し時間を貰えるかな」

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