第一話
ワールド・クロス・オンライン。
それは十年以上の歴史を持ちながら、なお世界中のプレイヤーを虜にし続ける神経接続型VRMMOである。
剣と魔法が息づく広大な大地。
人間、獣人、精霊、竜――数えきれぬ種族が生き、都市は活気に満ち、荒野には魔王や古代竜が潜んでいた。
高度なAIによるNPCは人間と見紛うほど自然に振る舞い、言葉を交わすだけで現実と錯覚させるほどの臨場感をもたらす。
自由度は圧倒的だった。
魔術師として天を焦がすもよし、鍛冶師として名を刻むもよし。
錬金術で奇跡を起こし、召喚術で幻想の獣を呼び出すこともできる。
職業とスキルの組み合わせが、無数の可能性を紡ぎ出していく。
だが同時に、残酷でもあった。
一度倒れれば装備や経験値を大きく失い、積み上げた努力は一瞬で瓦解する。
現実での連絡先交換すら禁じられ、この世界で得た繋がりは、あくまでゲームの中に閉じ込められていた。
そして――このゲームが伝説と呼ばれる所以。
誰一人として超えられなかった最後の壁。
竜種の始まりにして終わり、唯一絶対の存在。
それこそが、創世の終焉竜である。
天を覆う巨影。
漆黒の鱗は一枚ごとに鋼鉄を凌ぐ硬度を持ち、炎も雷も届かず表面を舐めるように消える。
幾重にも張られた結界は霞のように砕かれ、幾百の矢も幾千の呪文も、竜の前では塵にすぎなかった。
翼がはためけば烈風が大地ごと人間を吹き飛ばし、尾の一撃は山をも削る。
爪は天空を裂き、振り下ろされるたびに数十の命が光となって消えていく。
その巨体は、存在するだけで戦場を制圧していた。
――攻めても倒せず、守っても滅ぶ。
理不尽そのものが具現した存在。
討伐の試みは幾千。
伝説級のプレイヤーも、大規模ギルドも、知恵と技術を総動員して挑んだ。
しかし帰還した者は一人もいない。攻略法など存在しない――世界はそう決めつけていた。
瓦礫の山に、光の粒が降り積もる。
かつて仲間だった者たちの残骸。折れた槍、焼け焦げた盾、無数の武具が無意味に散乱する中を、一つの影が歩いていた。
ジンガ。
最上位の後衛であるはずの彼は、武器を構えるでもなく、ただ淡々と倒れたプレイヤーたちの横を通り過ぎていく。
足取りは静かで、震えも迷いもない。
ただ真っ直ぐに、天を覆う竜へと近づいていった。
竜の咆哮が空気を裂き、鼓膜を破るほどの圧が戦場を包む。
常人なら膝を折り、視線すら上げられない。
だがジンガの瞳は逸れなかった。
ダークグレーの髪が風に揺れ、漆黒の瞳が、理不尽の象徴を真っ直ぐに射抜いている。
――誰も超えられなかった壁。
その壁に挑む影が、ひとつだけ残っていた。
大地が軋み、創世の終焉竜が首を振り下ろす。
黒鉄の爪が山をも削る勢いで大地を粉砕した。
通常なら、それだけで後衛など一瞬で光に変わる。
逃げ場はない。
システム上、回避に必要な「身体補助スキル」を持たない者が生き残れるはずはなかった。
だが――ジンガは動いた。
一歩、地を蹴る。
身をかがめ、爪の軌跡を紙一重で潜り抜ける。
風圧が髪を裂き、背後で瓦礫が爆ぜた。
回避コマンドも、スキルの発動もなかった。
その瞬間、観戦ログがざわめいた。
「回避スキルなしで、今のを……?」
「仕様上あり得ないだろ……!」
この世界で生き残るには、まず身体補助スキルを取ることが絶対条件。
それを外したままプレイする者など、ただ一人――この職を解放したジンガを除いて存在しなかった。
竜の翼がはためき、暴風が戦場を薙ぐ。
吹き飛ばされるはずの身体が、ジンガだけは微動だにせず踏みとどまっていた。
次の瞬間、掌に淡い光が宿り、結界が展開される。
砕け散る瓦礫を防ぎ、竜の炎すら押し返した。
アルケナリウス。
存在すら知られていない職能。
解放条件は「身体補助スキルと近接戦闘スキルを一切捨て、あらゆる後衛技を極める」こと。
普通ならゲームとして成立しない縛り。
移動すらままならず、敵の前に立てば即座に光に変わる。
だからこそ、誰一人として到達した者はいなかった。
創世の終焉竜の尾が唸りを上げ、横薙ぎに薙ぎ払う。
大地がえぐれ、巨岩が砕ける。
だがジンガの身体は地面に溶けるように姿勢を落とし、軌道の隙間をすり抜けた。
システムの補助ではない。
現実で積み上げた運動技術を、そのまま投影した動きだった。
後衛としての極致。
回復も、結界も、解析も、召喚も、錬金も、魔術すらも操れる。
けれど近接戦闘は一切できない――本来なら。
「っ……!」
黒き瞳が閃き、ジンガは足を踏み込み、腰をひねって拳を突き上げた。
届くはずのない短い一撃。だが拳が空を切った瞬間、掌を中心に魔術陣が展開する。
光の刻印が指先から迸り、拳の軌跡に沿って走り抜け、竜の顎下へ奔流を叩き込んだ。
不可能を束ね、常識を捨てて初めて成立する道。
それを扱える唯一の存在。
ジンガが立つその先で、創世の終焉竜がわずかに首を傾ける。
無数の挑戦者たちとは異なる存在を前にして、初めて興味を示したかのように。




