091.和歌の聖地
「じゃ、お茶も飲み終わったことだし」
峻佑が北山に茶碗を恭しく返している横で、一条が涙を拭き拭き立ち上がった。
「朝の京都案内と行きますか!」
無理矢理に笑顔を作る一条。そんな彼に、峻佑は一応聞いてみる。
「い、一条くん……」
「柚琉でいいよ」
「じゃあ、柚琉くん」
「なに?」
「なんで泣いてるの……?」
その瞬間、ぷいと顔を背ける京大生。
「泣いてなんかないやい! 別に泣いてなんかいないんだからね!」
一条は同じことを二度も言う。すると、急須を片付けていた北山がため息とともにボソリと一言。
「私にお茶を出してもらえなかったから、あんなに拗ねてるんですよ。子供かって話ですよね、全く」
どうやら京都府の陰陽師事情は、色々あるらしい。頼りないキャラの「流」を北山が支えているという構図なのだろうか。峻佑はそんな事を考えながら、北山曰く拗ねてしまった京都府「流」に案内をしてもらうべく、彼の腕を取って歩き出した。
「北山さん、ありがとう! 今度この恩は返します」
峻佑は振り返って言う。
「その代わり……にはならないけど、君の上司くんを借りていくことにします。ありがとね」
「いえいえ、逆に連れ出してくれると助かります。その人が居たら開店準備なんて出来ないところでしたから」
容赦ない北山の言葉のナイフ攻撃に、さらにヨヨヨと涙を流す一条。峻佑は「柚琉くん、嫌われてるねぇ。まあでも大丈夫だよ、何となくそんな気がする」とフォローにならないフォローを入れながら、店の外へと出た。
「柚琉くん。京都を――君の町を、案内してよ。よろしくね?」
北山と一条、二人の優しい心に触れたからか、ほうじ茶が美味しかったせいか、それは分からないが峻佑の調子は回復したようす。それにつられて一条も、バインッと勢いよく項垂れていた姿勢を正し、ドヤ顔で峻佑の方を振り向いた。
「もっちろん。ぼくの町を案内するよ。では改めて――佐々木峻佑くん、ようこそ。和歌の聖地、京都へ!」
彼の言葉に首を傾げる峻佑。
「和歌の聖地……? それを言うなら、やっぱり都が置かれていたんだから『日本史の聖地』じゃないの?」
「ふっふっふ、それもそうなんだけどね。日本史の聖地……つまり、歴史の舞台となった京都だが、つまりそれは多くの和歌が此処で詠まれたということでもあるのだよ」
「なるほどね。人が集まるから、それを著す言の葉も多くなるってわけだ」
「おお、峻佑くん、言葉のセンスいいね? ひょっとして、文系?」
「いや……バリバリの理系。数学専攻だし」
「うぎゃっ、ぼくの天敵」
二人の大学生が朝の京都の道をゆく。和歌の聖地――京都。いや、京都だけにとどまらない。大和政権の時代から、明治維新で東京が首都と定まるまでの千年以上の月日が、この界隈つまり近畿地方を中心に展開されてきたのだ。
都とは人の集まる地。人が集まれば、自然と言霊が集う。そして人々は、気持ちを表すために、美しさを称えるために、誰かを救うために、言の葉を紡ぎ後の世に繋いできた。その長い長い物語に思いを馳せ、感じることが出来るのは、やはり現地に居るからこその特権。
「じゃ、まあ、有名どころも案内するけど、マイナーな和歌に詠まれた地とかも巡っていくってことでいいかな?」
「もちろん。柚琉先生にどこまでもついていきますよ」
「えっ、どこまでもついていく? じゃあぼくの、おにぎりと陰陽師に関する持論を聞いてくr」
「それはお断りで」
「そんなぁ」
こうして、となりの晴明くん【峻佑と柚琉の京都ぶらり旅編】が始まった――その裏では。
〈あらあら、二人並んで。楽しそうに歩いておられるのですね〉
“彼女”は虚空からはるか下方を見下ろして、思わず笑みを零した。その視界に映っているのは、丸眼鏡をかけた優しそうな男と、山吹色の目をしたパーカーを羽織っている男の二人組。仲良さそうに談笑しながら、碁盤目状にめぐらされた京の道を歩いている。
〈視えますわ、陰陽師の皆様……。ああ、近畿に常駐されている方々の他に、たくさんの御方が来られていますのね。さすがは天子様のおわす都、人の集まりがよろしゅう御座います〉
“彼女”の“優しい”目が、人々の姿をとらえる。
お団子ヘアに蛍光色のタンクトップを纏った女性。
紅葉のような明るい笑顔を浮かべて、登校する学生の男女二人組。
茶屋の看板と幟を立てて準備に勤しむ女子高生。
深緑色の目に力強い光を浮かべる少女。
タイプの違う双子のような男子中学生二人組。
妙な雰囲気を醸し出している、藍色の髪の少年。
修学旅行生たちを見守る、教師らしき男性。
神戸駅に降り立つ、ポニーテールの女子大学生。
伊勢神宮に朝からお参りをしている男子高生。
そして、兵庫県神戸市あたりに存在する、本当は見えないはずの巨大抽象空間――。
〈この感触、間違いありませんわ……これは陰陽師の結界。それも“何重にも警護されている”。だとしたら……此処が噂に聞く『療』とやらなのかしら〉
思わず“彼女”の口元に、笑みが浮かぶ。
何年もかけて構築してきた巨大呪詛結界。それがもうじき……いや、もう完成した。それによって、炙り出される陰陽師の匂い。そして彼らが隠してきた『療』とやらの存在。
〈皆様、今のうちにつかの間の幸福を味わっておくことですわ……まもなく、そのあなたがたの日常は崩壊するのですから。“わたくしの手によって”〉
そう呟き、“彼女”はまた笑った。
――と、その時。
〈西京明石、〉
何者かが“彼女”の名前を呼んだ――正確に言うと、彼女の意識内に干渉してくる第三者の意識に気づいた。“彼女”はその声の主の正体に気づき、応える。
〈どうかいたしましたか?
――夏発風魔殿?〉
〈いつ始めるの? 陰陽師皆殺しにするってやつ。もう俺は準備万端なんだけど? ねぇ、早く始めようよ〉
早く陰陽師と相まみえたいと、幼子のようなわがまま口調で述べる呪鬼。それに対して“彼女”は宥めるような言葉をかける。
〈あらあら、『青龍』の眷属殿は気が急いていること。決行は明日の日付だと、随分前にわたくしの眷属が夏発殿に伝えた筈で御座いますが?〉
〈あー、早乙女ヒメカってやつ?〉
〈はい。もう、祓われてしまったようですが〉
〈くははっ……雑魚め。俺だったら『巴』でも何でもないやつに祓われるなんてヘマしないさ〉
夏発風魔と呼ばれた呪鬼は、さも愉快そうに嗤った。
〈まあ、そんなことはどうでもいいな……。とにかく明日だね、了解。近畿界隈にいる陰陽師の殲滅、一緒に頑張ろうじゃないか、『白虎』さん〉
〈ええ、必ず〉
“彼女”の意識内への、夏発の意識干渉が終了した。近畿地方を横断するように張られた巨大呪詛結界、その先に待ち受けるは大呪四天王『白虎』、そして『青龍』の眷属一体。その事実に、陰陽師たちは誰一人感付けていない。
都とは人の集まる地。人が集まれば、自然と言霊が集う。その中で人々は、悪い感情を覚えてしまう。そうした恨みつらみは呪言となって厄災をもたらした。光あれば影あり、陽あれば陰あり。和歌の聖地は、呪いの聖地。
全てが分かるのは、明日。
日常が崩壊してからのこと。




