6 大丈夫
助けを求める声が聞こえると、八尋はすぐにそちらに走り励ましの声をかけ、怪我をしている人がいればバスの窓のカーテンを裂き止血をした。
一人でも多く救助するのだという思いとは反対に、もう嫌だこんな光景は見たくないと、心がくじけそうになる自分がいた。
僕だって助けて欲しいよ。もう嫌だよ。
寒いし、つらいし、心細い。
泣きそうになった。
いや、泣いた。
それでも八尋は袖口で涙を拭いた。
「大丈夫ですよ! すぐに救助がきますから。大丈夫です。落ち着いて!」
と、みんなに言い聞かせた。
自分自身を励ますように。
「バスの中は危険かもしれません! 自力で歩ける人はバスから降りて離れてください!」
八尋は声を張り上げ、みなに伝える。
地面に座り込みながら、互いに身体を抱きかかえるようにして震えている年配の夫婦を見つけた。
バスの最前列で寄り添うように座っていた老夫婦だ。
八尋は割れたガラスからぶらぶらと垂れ下がっている窓のカーテンを引っぺがし、それで二人の身体を包み込んだ。
薄くてぼろぼろだし、こんなもので寒さをしのぐことはできないかもしれないが、ないよりはましだろうと思って。
「気をしっかり持ってくださいね。大丈夫。すぐに救助が来ますから」
「ありがとう。ありがとう」
老夫婦はカーテンを身体に巻き付け、何度も八尋に感謝の言葉を言い涙を流した。
八尋は笑って二人の肩を励ますように撫でた。
「大丈夫ですよ」
たった数十分で、何度大丈夫を繰り返したか分からない。
大丈夫。もうすぐ救助がくる。その言葉ばかりを繰り返した。
八尋はもう一度運転手の様子を見に戻った。
「平沢さん、大丈夫ですか? きっと、もうすぐ……」
運転手の紫色の唇が小刻みに震えていた。
呼吸がおかしい。
目も虚ろであった。
八尋は顔を青ざめさせる。
脳裏に、本当に平沢さんはだめかもしれないという思いがよぎり、その不吉な不安を振り払うように首を振った。
「平沢さん!」
「ああ……八尋くん、この子は眠っているだけだから安心して」
「そうじゃなくて! 平沢さんが!」
「乗客のことをありがとう。八尋くんは勇気ある青年だ」
「平沢さん、今すぐそこから!」
「私はもうだめかもしれないなあ……」
八尋はひっ、と引きつった声をもらす。
「な、何を言ってるんですか! しっかりしてください!」
平沢は力なく笑った。まるで平沢自身も死を覚悟したような顔であった。
「ああ……明日の夜には娘の元へ帰るはずだったのに……」
「帰りましょう。娘さんのところに!」
「娘が、明後日結婚式をあげるのです。だから明日、娘が私の好物を作って待っていてくれると……二人きりで過ごす最後の日だからと。なのに、帰れない……娘の花嫁姿を見たかった……」
「何言ってんですか! 帰りましょう。平沢さんの好物を作って待っている娘さんの元に! そして結婚式にも行くんです! 僕ももう一度食べたいものがあるんです。『想』というお店で、店主の作る料理がすっごくおいしいんです! 僕も頑張ります! だから平沢さんも頑張らないと! 平沢さん! 平沢さん!」
うとうとしかけている平沢の肩を、八尋は泣きながら強く揺すった。
「娘が悲しまなければ……いいが……」
「帰るんですよ! 平沢さん!」
「そうですね……帰らなけ、れば……」
そこで平沢の声が途切れた。
「平沢さん! 助けるから。眠らないで。眠っちゃだめだ!」
平沢の両足はバスの車体に挟まれている。
八尋は渾身の力で車体を持ち上げ、平沢を助け出そうと試みる。
「平沢さん! 僕が持ち上げるから、何とか頑張って自力で這い出てください! お願いです! くそーっ!」
八尋の叫びが響いた。けれど、その声も吹雪によってかき消されていく。
「平沢さん!」
何度呼びかけても、二度と平沢が目を覚ますことはなかった。
腕の中にいる女の子を守り、平沢は亡くなった。
「平沢さん……」
その場に崩れるように八尋は膝をついた。
手足が凍え、もはや感覚はない。
八尋は泣いた。
落ちる涙が冷たく、強ばった頬を熱く伝っていく。
目の前で人が亡くなった。助けられなかった。
平沢の手に触れるとひどく冷たかった。
最期まで雪の降る寒空の下で辛かっただろうに。身体に積もっていく雪を払うこともできず。
八尋は泣きながら平沢の身体に積もっていく雪を払った。
胸の中にいる美咲が八尋に向かって手を伸ばしてきた。
「美咲ちゃん……」
伸びてきた小さな手に頭を撫でられる。
「お兄ちゃん、さっきはママを助けてくれてありがとう」
「うん……」
「お兄ちゃん、大丈夫?」
「……僕は大丈夫だよ」
八尋の目からぽたぽたと涙が落ちる。
「泣いてるの?」
「ごめん。悲しくて」
「おじちゃんは?」
女の子の問いに八尋は唇を震わせた。
「うん……心配しなくても、大……丈夫……」
それしか言えなかった。
座り込んだ八尋はそのままバスの車体に背をつけ寄りかかった。
座った途端、ずしりと身体が重く感じられ、もはや立ち上がることもできない。
八尋は空を見上げた。
手も足も指先までも感覚がなく動かない。
降る雪が八尋の肩に、頭に降り積もっていく。
もう、身体が動かないよ。
八尋は空を見上げたまま笑った。




