かわいい妹は俺とのアノことについてとても興味津々だったらしい。
……喧しい蝉の鳴き声が一瞬、止まった気がした。
あの遠い夏の日に置き去りにしてきた記憶。蜃気楼がゆらゆらと立ち上る。高架線の向こう側に見えるのは私たちが将来通う予定の中学校の校舎。そしてグラウンド兼地域のスポーツ広場。いつも中学生の体育や部活動の喧騒が私の家まで聞こえて来た。とても近くに見えるけど河を挟んで《《対岸に》》位置しているんだ。
記憶のなかの私、赤星未祐は小学四年生だった。そのころの私は何でも出来ると思っていた。いや思い込んでいただけで世界の広さを知らず、自分の身のまわりだけで完結していた。井の中の蛙大海を知らずとよく言うが、あのころの私はさしずめ対岸を知らず、そんな世間知らずな女の子だったんだ……。
どことなく箱庭のような感覚がつきまとうのは、私の住んでいる地域が盆地で四方八方を山に囲まれていたせいなのかもしれない。
……自分の部屋の窓から見える対岸の景色。
大人になったらこの場所を出ていかなければならないのかなぁ。
なぜまわりのみんなは都会に憧れるのだろう……。自分はその逆だ。
私は部屋の出窓を開けて、そこからの景色を眺めるのが大好きだった。
未祐の小学校のお友達はみんな都会に憧れている。隣町にあるショッピングモールに親と出掛けて東京にあるお店と同じお洋服を買って貰ったとか、娘をぜひ芸能人にしたいという母親の強い勧めで、ジュニアアイドルの女の子が大勢所属するモデル事務所のオーディションに参加してきたとか……。
無意識な女の子同士のマウントの応酬。未祐の偏見かもしれないが都会よりも地方都市のほうがその傾向はとても強い感じがした。
特に私は途中から今の小学校に転校して来たからそのことを肌で感じるんだ……。
母親の仕事の都合で転校は昔から多かったため、いつしか小賢しい処世術も自然と身についた。
都会からの転校生の場合、あまり出過ぎた態度はご法度だから、初日に着ていくお洋服も派手過ぎる物は避ける、出る杭は打たれると昔の人はよく言ったものだ。後はむこうから聞かれない限りペラペラと自分の身の上話は最初からしない。だけど自己開示しなさ過ぎも、ツンと、お高く留まっているといじめの対象になりやすいから充分に注意が必要だ。
それに比べて女の子よりも男の子のほうが単純だ。遠巻きに転校生を眺めて、時折子供っぽい悪戯を繰り出してくる。私はどちらかと言えば男の子と泥だらけになって遊ぶほうが昔から性に合っていたな。それまで転校した学校のことを思い返してみる。
そうか、私はいつしか友だちを作ることに臆病になっていたんだ……。
どうせまた転校してしまうから、そう思うと傷付くのが怖くて友だちと呼べる相手を意識的に作らなかったことに遅ればせながら思い当ってしまった。
そんな折、今回の転校は私にとって特別な転機になった。なぜなら母親からもう転校はしなくていいと事前に告げられたからだ。これが私にとって最後の転校になると……。
その言葉の意味は新たに住む家を母親と訪れた際にようやく理解することが出来た。
『さあ、未祐、ちゃんとご挨拶しなさい。赤星拓也君よ。今日からあなたのお兄さんになるの……』
今でも鮮明に思い出す。お母さんに連れられてこの家を初めて訪れた日のことを。
初めて会うやんちゃそうな男の子は照れくさいのか未祐の顔を一度も見なかった。
どちらかと言えば初対面では私のほうがずっと大人だったな。
あの夏の暑い日に男の子と私は兄妹になったんだ……。
男の子に連れられて子供部屋を案内される、私たちは打ち解ける切っかけを掴めないまま部屋の中でロフトベッドの上段、下段に別れて時間は過ぎていく。そう、あの出来事が起きるまでは……。
『お前、未祐って言うんだ、よろしくな。赤星未祐っていい名前の響きだよな。俺の名前と取り替えてほしいくらいだぜ。赤星拓也って何だか名前負けしてるってよく学校で言われんだ、何だか芸能人もどきみたいってさ。ついたあだ名が《《アカタク》》ってひどいよな……。その点、お前の名前は大丈夫だ。アカミユって語呂が悪いから変なあだ名になることはないからな」
男の子は一生懸命、未祐にむかって話しかけてくれた、これまでの転校時に経験したのとは違う感覚に包まれて私は戸惑ってしまった。決して嫌な感じではない、むしろその逆だ。彼は好奇心から私に話しかけていない、新たな家族の一員として私と母親を迎え入れる態度を精いっぱい示してくれているんだ。
わんちゃんが外で初めてあった相手の犬に敵意がないことを表すボディーランゲージのように、私に腹を割って話してくれていることにとても感動した。
これまでの私はどこか厭世感を感じて暮してきた、まだ小学四年生の小娘が何を生意気なことを言っているんだと思われるかも知れないが、幼いころに父親を亡くし、母一人、子一人で暮らしてきた経験が私を大人びた少女にさせた……。
その後も男の子はいろいろな話を私にしてくれた。学校のこと、好きなスポーツのこと、将来の夢まで、少し照れながらも未祐に聞かせてくれたね……。
男の子は将来獣医さんになりたいと言っていた。動物は未祐も大好きだ!!
とても素敵な夢だな。その夢にいつか私も乗ってみたい!! 後で私がこっそりと夢想していたなんて拓也お兄ちゃんはきっと知らないよね……。
それに私は子供部屋でずっと話している間に気がついていたんだよ。やっと男の子が私の目を見て話してくれていることに。
私はその瞬間、初めて本当の意味で赤星未祐になれたんだ……。
私の大好きな男の子の名前を胸の中でそっとつぶやいてみる。
『……拓也お兄ちゃん』
次回へ続く。




