其の弐
「そこ、通してもらっていいですか」
この状況に似つかわしくない、平凡な声掛け。男たちの視線も、そして紫乃の視線も、声の主の方へと向けられる。
そこにいたのは、一見しただけでは男女どちらか判別することが難しい少年だった。髪が長く、腰の辺りまである。顔立ちも中性的だが、身につけている制服は男物だ。紫乃と同じ学校のものだから間違いない。それで紫乃は男だと判断したわけだが、紫乃に絡んでいる男たちには、それだけの判断力が無かったらしい。
「あ? うっせーんだよ。今トリコミ中だろーが。それともナニ? てめぇも遊んで欲しーのかぁ? いいぜいいぜ、てめぇみてーな可愛い子ならだいかんげーだぜ」
げらげらと下卑た笑い声を上げる男たちの凄みなど意に介さず、少年は微笑みながらつけていた黒いイヤホンの片耳を外す。
「僕は男です。それと、ここが最短ルートなんですよ。それに、今から他の道を探してると待ち合わせに遅れてしまうので」
少年は、あくまでここを通るつもりらしい。絡まれている紫乃の事など意識の外にあるらしく、何一つ言及しようとしない。少しだけ恨みがましくなる思考を引き戻しながら、少年を見つめた。
少年の腰には打刀が差してある。けれど、少年の体格からして、男たち三人と遣り合ってただで済むとは思えなかった。ましてや、男たちが持っているのはどれも斧や大刀など筋力自慢の武器ばかり。そして、そういった長物に刀で対抗するには約三倍の力量が必要だと言われている。
「あーあー、うぜーうぜー。いいからてめぇ、もう黙れ」
吐き捨てた男が、紫乃を放り捨てて少年へ歩み寄っていく。男は少年の間合いから一歩外れたところで止まると、その拳を無造作に突き出した。上から下に、体重を乗せて潰すような殴り方。
言葉を失った紫乃が目を見開く前で、少年はその拳をひらりと避けた。一切の無駄を省いた、最小限の動きで。
「ッ! んだこいつ!」
男にとって、その拳は一撃必殺のつもりだったのだろう。大振りで振りぬいたその体勢から戻り、焦ったように口走る。事実、焦っているのだろう。本来ならば畳み掛けるべきところで動きを止めてしまっていた。
それが、命取りであるとも判断できないまま。
次の瞬間、男が真横に吹き飛んだ。すぐ側のブロック塀にぶつかり、動かなくなる。
「ああっ!?」
真後ろで見ていた男たちにはわからなかっただろうが、投げ飛ばされた紫乃の位置からははっきりと見えていた。
少年が何の気負いも無く放った回し蹴りが、男の脇腹を捉え、吹き飛ばした瞬間が。
「ふざけんな! なんだこいつ!?」
もう一人が咄嗟に背中の大刀に手をかける。柄を握り、前に引いた。
その瞬間にはもう、少年は男の懐に入っていた。掌底が顎を捉え、叫びかけていた男の口から血がこぼれ出る。
崩れ落ちた男が鈍い音を立てたとき、少年はリストバンドをした男の少し前に立っていた。
「もう良いですよね。そこの二人を連れて消えてください」
先ほどと変わらぬ笑みを浮かべて勧告する少年に、背筋が寒くなる。紫乃や男たちとは次元の違う戦闘能力。紫乃が同じ行動をしたところで、回し蹴りの時点で避けられているだろう。なにしろ、少年は魔力を活性化させていない。あれが、生身の身体能力なのだ。
「ここまでやられて、黙って逃げるんじゃー名が廃るってもんだろー!」
だが、男は魔力を一段と膨らませる。少年もそれを感じたらしく目を少しだけ大きくするが、すぐに呆れたようにため息ついた。どうやら、魔力量と濃度を感じ取ったらしい。
「灰になりやがれー! 『焔弾呪』!」
男が突き出した掌から焔が生まれ、球形を形作っていく。それはソフトボール大ほどの大きさになると、男の掌から離れて飛び出した。一直線に少年へと向かい、爆発。その光景を見ていられず、紫乃は目を逸らす。
「ぎゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃひゃ――――!」
勝利を確信し、男が奇妙な笑い声を上げる。愉悦に顔を歪め、周囲への迷惑などお構い無しとばかりに高らかに。
その体の前に、躍り出た人影があった。その人物は長い髪をたなびかせながら男の正面に駆け寄ると、不意に両手を男の眼前に突き出し、拍手のように、けれど一度だけ叩いた。
心構えが無かったとはいえ、少し離れた紫乃でさえも体が跳ねる。耳を劈く、とまではいかないが、それでもかなりの音量で鳴り響いたそれは、男の油断を刃よりも鋭く突いて気絶へと持ち込んだ。
最後の一人が崩れ落ち、周囲が急激に静けさを取り戻す。
「……大丈夫ですか」
その場にへたり込んだままの紫乃を気遣うように声を掛けた少年は、立ち上がりかけた紫乃に向かって手を差し出す。その、どこまでも自分を弱い少女として見ている態度が気に食わず、手を振り払い、自分の力で立ち上がった。
「一応、お礼を言うわ」
「いえ、僕の役目ですから」
その言葉に、少しだけ違和感を覚える。紫乃と少年は初対面であり、そもそもかかわりなど無い。よって、少年が紫乃を助ける理由などないはずなのだ。
そこで、閃いた。
同時に、体が宙に浮く。
「ちょっ! 離しなさい!」
「ダメです。周囲に護衛らしき気配が無いって事は、抜け出してきたんですよね?」
「うるさいわね! 私は別に護衛なんて要らないわ!」
「そう言って、絡まれてたじゃないですか」
それを言われてしまえば、ぐうの音も出ない。しかし、ここで抵抗をやめるわけにはいかない。もはや理屈も何も無い意地だが。
「そういえば、一応確認しておきます。三枝紫乃さんですよね?」
抱きかかえられ、今で走ってきた道を数倍の速さで駆け戻られながら、そんな事を聞かれる。違うと怒鳴ったときの反応も見てみたかったが、渋々首肯しておいた。
「僕は神木玄。玄武の玄と書いてはると読みます。今日からあなたのガーディアンとして傍に仕えるので、よろしくお願いします。『ミストレス』」
邪気の無い笑顔でそんな事を言われてしまえば、さすがに頷かざるをえない。先ほどはあれだけ不気味だった笑顔なのに、今は柔らかく思えるのだから不思議だ。
三枝家の門が見えてくると、同時に心配性な使用人たちが待っているのも見えてくる。二人の姿を見つけるなり、駆け寄って紫乃と玄を問い詰めてくるそれらを避けて中に入ると、今度は玄関で藍紫が待っていた。
「もう顔合わせは済んだようだね」
「ええ、偶然ですけど」
「そうか、けどまあ、まだ説明しきれていないことがあるだろう。入りなさい。まだ時間はある」
反論は数多く思い浮かんだが、その全てを飲み込んで靴を脱いだ。