其の拾壱
「ミストレス、お迎えにあがりました」
話し相手程度には親しくなった二人の女子生徒と話していた紫乃は、時間をすっかりと忘れていた。そんな紫乃が靴箱に現れないのを気にしてか、どうやら玄はわざわざクラスまで迎えに来たらしい。戸口から呼ぶ声を聞き、会話の合間に振り向く。そして、首を傾げた。
「神木? なんであなたここに」
「いえ、お迎えにあがったんです。玄関にいつまでたっても来られないので、何かあったのかと」
「別に何でもないわ。少し待ってて」
「ねぇねぇ! ミストレスってどういうことなんですか?」
紫乃にしてみればここ数日繰り返しているなんて事のない会話だが、二人にとってはそうでもなかったらしい。興味津々と大書された顔で、詰め寄ってくる。
「何者なんですか? あの髪の長い子。女子ですよね?」
「違うよ桃。制服は男子だった。それに声もそんなに高くないし」
「えー! じゃあ男子?」
視線で問い詰めてくるのは、高木桃と篠崎錫。席が近い事から仲良くなった二人だ。
「ええ。神木玄。今年の春から私のガーディアンになったのよ」
「なるほどー。それでミストレスかー。従者って、楽しいですよね!」
「でもいいんですか? 待たせてても」
「別に構わないわよ。でも、そろそろ帰るわ。総合戦闘術部の見学に行きたいの」
「そっかー。じゃあ、また明日です!」
「ええ。また明日」
鞄を背負って、踵を返す。ロッカーからレイピアを取り出して腰に提げ、教室を出た。
「ミストレス、玄関ならこっちが近いですけど」
「これ見よがしに敬語を使わないで。それに言ったでしょう? 今日は総戦部の見学に行くのよ」
「ああ、そうだったね」
どうやらついて来るつもりらしく、その話を聞いても玄は紫乃の隣から離れようとしない。
その頑ななまでに仕事を全うする姿勢にため息を我慢しながら、実技棟へと続く渡り廊下を進んだ。
「ようこそ、総合戦闘術部へ。歓迎するよ」
総戦部が毎日放課後に使用している第一実習室の扉を開けた後、最初に声を掛けてきたのは副部長だと言う四年生だった。通常授業に魔術関係が加わる魔術科高校は、その授業量から四年制なのだ。
「悪いね。部長は生徒会長も兼任してるから、普段は俺が。けど、一年主席が来てくれるなんて、今年は豊作かな?」
「副部長、無駄口の時間分鍛えれば、貴様はどれだけ強くなれる?」
カラカラと笑う副部長の背後から、濃密な気配が膨れ上がる。その中心にいたのは、今朝も見た人影だった。笑みを浮かべたまま、副部長が凍りつく。
「こんにちは、十塚様。ここの外部コーチだったんですか」
「ああ、今朝ぶりだな。宏緑の伝手で少し手伝いをしているんだ。貴様たちは見学か?」
「ええ。そうです」
「三枝もそうだが、神木まで来てくれるとは。これは本当に豊作だ」
そこで初めて、玄が顔を引き攣らせた。そういえば、魔法が伝えないなどとのたまっていたか。問い詰めるのは、今がチャンスだろう。
「神木、本当に魔法が使えないの?」
「え、ええ。実戦ではおそらく、視線誘導にもならないかと」
そこまでとは。謙遜だろうと思う反面、紫乃はその表情に嫌な予感を覚えていた。
「魔法が使えない? それは本当か?」
「ええ。見ていてください」
そう言うと、玄は一歩後ろに下がり、掌を上に向けて開く。
「『焔弾呪』」
集中するのか目を閉じ、小さく唱えた。普通の人間であれば、大小の差はあれど、小さくてもゴルフボールサイズの火炎の球が出現するはず。
だが、玄の掌には何もなかった。
「……なるほど。これでは確かにハッタリにもならんな」
「『焔弾呪』」
ためしに、紫乃自身も同じ魔法を発動する。紫乃の魔力に呼応した、ハンドボール大の球。
「そもそも、あなた魔力を活性化させているの?」
常人であれば、どれだけ魔力が少なくとも、活性化させた時点で周囲には余剰魔力による靄が発生する。現に、紫乃も現在、紫色の靄をまとっている。この色は個々人によって少しずつ違うのだ。
そんな紫乃の問いかけを無視するように、玄は窓の外に目をやったまま動かない。むっとして、その肩を掴んだ。
「五人? いや、十人……?」
けれど、玄は反応せず、窓の外に虚ろな目を向けながら何か呟くばかり。何かの数だろうか。
先ほどの苛立ちも忘れて、紫乃はただ玄を見つめた。中断が、禁忌のように思えて。
「神木、どうかしたのか」
けれど、紫乃の感覚などどこ吹く風、振り向いた黄衣がかけた声で、玄はようやく窓から目を離した。同時に、
「東西南北及び正門から、侵入者です!」
強く叫ぶ。初めて聞く玄の叫び声は、波乱の幕開けだった。
「侵入者だと?」
「ええ。隠す気のない殺気は、おそらく見張っていた奴らと同じでしょう。全員、魔力活性化済みです。すぐに迎撃を」
実習室全体に緊迫した空気が満ちる。誰もが手を止め、玄を見ていた。
黄衣もまた目を閉じて周囲を探っている。紫乃も、それに倣った。確かに、学校の敷地全体に活性化された魔力がある。けれど、その数や正確な位置はわからなかった。辛うじて、確かに四方位に分散しているか、程度。
「確かに侵入者だ。副部長!」
「は、はい!」
「職員室まで走って、『四方位から侵入者』だと告げろ! 私の名前を出せば、宏緑は動く!」
転がるように、副部長が出て行く。更に指示を重ねる黄衣を見ていた紫乃は、唐突に手を引かれた。
「ミストレス、このまま他の人たちと避難するよ」
避難。確かに、ここは警備員や教師に任せるのが無難だ。自ら危険に飛び込むのは馬鹿の所業でしかない。
けれど、理性とは違う意地が、それを邪魔していた。紫乃が常日頃から抱え続けてきた意識が、表面化する。
――――私は、護られるだけのか弱いお姫様じゃない。




