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其の捌

 「それじゃ――――始め!」

審判である宏緑が右腕を振り下ろす。

「『雷装呪(らいそうじゅ)』ッ!」

ほぼ同時に、赤人が叫ぶ。その呪文に呼応し、戦斧が黄色い靄を纏った。

 焔、水、雷、風、光、闇の五系統それぞれの色を武器に纏わせ、性能を構成する五つの要素を底上げする、唯一かつ最強の近接攻撃呪文。

 それが完了した途端に、赤人が地を蹴った。二メートルを越す戦斧を上段に構え、一直線に突進していく。魔力活性化の影響で数倍に強化された身体能力を十二分に発揮し、すさまじい速さで。

「うおおおおおおおおおおお!」

咆哮と共に、戦斧を振り下ろす。体重、腕の力、重力、ありとあらゆる要素を詰め込んだ、渾身の一撃。

 同時に、玄が動いた。

 抜きざまの一閃で、必殺の威力を孕んだ戦斧を弾く。一切無駄な動きのない、流麗なまでの防御だった。そして、同時に赤人への挑発でもある。

「……ありえない……」

「どうかしたの?」

呆然と呟いた茜に尋ねる。その問いに対して、眼鏡を手で押し上げた茜は、立て板に水で話し出した。

「あの戦斧は、どう見積もっても四キロ弱はあるでしょ? それに諸々の速度や武装呪(ぶそうじゅ)を加えたあの攻撃は、どう考えても神木君の刀で防げるはずがない。しかも、神木君は魔力を活性化させていないどころか、片手で振ってる」

リングを見やれば、雄たけびを上げて斬りかかる赤人と、その攻撃を的確に弾き、いなす玄。縦横斜め、突き。どこからどんな攻撃が来ようが、玄はその全てを綺麗に防いでいる。それが、どれだけ力が乗った、どんな不利な攻撃であろうと。

「これで、五条様が魔力を活性化させていない、それか逆ならまだ納得が行くけど、この状況で、神木君が五条様に勝てる確率は、ほとんどゼロのはず」

その理論は、間違っていない。通常の人間であれば、その通りだ。けれど、玄が刀を振る速度は、常人のそれではない。その尋常ならざる速度が、不可能を可能にしている。

 リングの上で、二人が一旦距離を取る。片や、荒い呼吸を繰り返す斧使い。片や、涼しげに微笑を崩さない刀使い。現状での勝敗は明白だった。

「もう、いいんじゃねぇか?」

蒼次すら、そう声を上げるほどに。

「ま、まだです……まだやります。勝てます! 本気で来い、神木!」

けれど、赤人は頑なにそれを跳ね付け、戦斧を握り直した。紅潮した顔で、吼える。

 それを受けて、玄は笑みを深めた。

「さすが五条家の長男。いいでしょう。僕も少し、本気で行きます」

その言葉通り、玄が構えを取る。とはいえ、右手をだらりと垂れ下げただけだが。相変わらず魔力を活性化させるつもりはないようだった。

「ふざけるな。なにが本気だ。構えもせず……!」

「これも立派な構えですよ。別に、僕は柳生新陰流とは何の関係もないですけど」

その言葉に嘘がない事を感じ取ったのだろう。先程とは違う理由で顔を赤くした赤人は、もう一度、戦斧を握る手に力を込めた。

 そして、再び突進する。何の小細工もない、直線での移動。けれど、先程よりも速かった。

「うおおおおおおおおあああああああ!」

何度目かわからない咆哮。ここまでは、先程と変わらない。

 真横から、薙ぎ払うような一撃。それを避けて跳び退った玄を追い、余勢で一回転。さらに勢いをつけ、斜め上からもう一撃。

 その隙を突こうと紙一重で避けた玄が体勢を直すのとほぼ同時、戦斧を振り上げた勢いで飛び退り、左手を伸ばす。

「『焔龍呪(えんりゅうじゅ)』ッ!」

赤人の左手から生まれた火炎の龍が、幾重にも渡ってうねりながら玄へと放たれる。

 遠距離基礎攻撃呪文の中で二番目に威力が高く、その独特の軌道から着地地点が読みにくい。それゆえに総合的な威力は最高だと評される、優秀な呪文。直撃すれば、ひとたまりもないだろう。いくら治癒の呪文があるとは言え、万能なわけではない。

「神木ッ!」

その危険性を認識したとき、紫乃は、咄嗟に叫んでいた。

「やります……ねッ!」

それに応えるかのように、舞のごとく『焔龍呪』を避けてみせた玄が声を上げる。

 その姿が、揺らいだ。

 まるで霞のように、はっきりとその輪郭を捉える事が難しくなる。辛うじて目で追うことは可能だが、その体の動きを知る事はできない。

 その輪郭がはっきりと捉えられるようになったとき、玄は赤人の背後から、その首筋に刀を突きつけていた。一瞬、その言葉が良く当てはまる動きで。

「チェックメイトです。降参してください」

あくまで微笑を崩さず、淡々と勧告する。

 主の手から離れた戦斧が、床とぶつかって大きな音を立てた。

「……こ、降参……」

悔しさを隠そうともしない声音で、赤人がそう宣言する。

「勝負あり! 勝者神木玄!」

宏緑の宣告で模擬戦は終了し、玄が刀を鞘に納める。そして、赤人に右手を差し出した。

「ふんっ」

けれど、赤人はそれに対応することなく、そっぽを向く。その態度にも、玄は微笑を苦笑に変えただけで、特に何を言う事もなく紫乃の元へ戻ってきた。

「心配かけてごめん」

「別に心配なんかしてないわよ。あなたが怪我しようが何しようが関係ないもの」

「三枝さん、あんなに必死な声で叫んでおいて、今更強がってもばればれだよ?」

「う、うるさいわね」

騒ぐ紫乃たちの元に、宏緑と蒼次が歩み寄ってくる。その後ろには、赤人の姿もあった。

「最後のいったいなんだよ。オレも目で追うのが精一杯だったんだぞ」

「『縮地』ですよ。聞いた事ありませんか?」

何とはなしに告げた玄に、宏緑がため息をつく。

「……なるほどな、『武術ハイブリッド』ってこういうことか」

思わず呟かれたその台詞は、紫乃にとって聞き捨てならなかった。

「それはどういうことですか? 神木にそんなあだ名が?」

「あ、いやいや。入試のとき、玄の直接戦闘術を担当した試験官の先生が、そんな事を愚痴ってたんだよ」

 神奈川県立魔術科高校の入試は、主に基礎学力を問うテストが半日、理論魔術に関するテストが半日、そして、直接戦闘術、総合戦闘術、術式戦闘術の三つを問うテストが各一日という、かなり大掛かりな日程で行われる。そして、各戦闘術のテストは、試験官と模擬戦形式で戦闘を行い、その技量を見るというものだ。大抵、受験生は試験官に敗北するが、その中で、動きのキレや戦闘のスタイル、そして試験官からの攻撃に対する反応などで点数が決まる。

 「三田先生がですか? あまり、そういう人じゃないと思ってたんですけど」

蒼次が驚いたように目を見開く。それに、宏緑は苦笑で返した。

「まあ、普段は温厚だけどな。そうなってしかるべきだろ。なにせ、試験官は受験生に勝って当たり前、しかもその中で各項目の点数をチェックする余裕もなきゃならないのに、あろう事か負けたんだからな」

「負けた!? 試験官の先生が、神木君に!?」

茜のリアクションに満足気な顔を見せた宏緑は、いまだ黙り込んでいる赤人を振り返り、その頭に手を置いた。くしゃくしゃと撫でるように動かし、にやりと笑う。

「だから、そこまで気にする事ないぞ。なんたって、史上初、試験官を倒した受験生が相手だったんだからな」

「ッ! ……お騒がせ……しました……」

宏緑の手を振り払い、ぼそぼそとそれだけを言い残した赤人が第五実習室から飛び出していく。その姿を見送り、紫乃も宏緑に頭を下げた。

「従者がお手数をおかけしました」

「そう肩肘張るな。生徒同時での模擬戦は校則で定められた権利。それを行使するのは当たり前だろ。それに、生徒の面倒を見るのは教師の義務であり権利だ。お前たちは黙って受け取ればいいんだよ」

紫乃の頭もくしゃくしゃにして、宏緑はにかっと笑う。その笑みに毒気を抜かれ、曖昧に笑う事しかできなかった。

「そろそろ、鍵閉めましょうか」

さっさと扉に移動していた蒼次が、鍵をチャラリと鳴らす。それを合図に、全員が帰路に着いた。もっとも、宏緑は職員室に戻っただけらしいが。


 「それじゃあ、また明日ね」

十区の駅で茜に手を振り、以降、沈黙が降りる。先程まで主に話していたのは茜だから、それも当然だ。けれど、紫乃はこの得体の知れないガーディアン相手に何を話していいのか、判断できないでいた。

「神木」

「ん、どうかした?」

無邪気に小首を傾げる玄の耳には、黒いイヤホン。礼儀なのか紫乃に近い方の片耳を外しているが、それでも心配だった。

「あなた、音楽なんて聴いてて、周囲の警戒できるの?」

「ああ、うん。これは着けてるだけで音楽は流れてないし、そもそも向けられてる殺気くらいはわかるしね」

「はあ? あなた、音楽聴いてないのにイヤホン着けてるの?」

「うん。姉ちゃんからもらったものだから。肌身離さず持ってるんだ」

「そう……」

『シスコン』。そんな言葉が過ぎるが、それを紫乃が口に出す事はなかった。姉の事を離す玄の顔は、微笑の裏に何かどす黒いものがあったから。

「まあ……ガーディアンとしての本分が果たせるならいいのよ」

「ご心配なく。それが仕事だからね」

そう言って、玄は笑った。いつも通りの微笑で。

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