第二話
俺は高校じゃ、応用的には帰宅部みたいなとこに入部して校則違反のアルバイトをやった。いよいよ親父の様子もおかしくなってきたし、一人暮らしするにも金が必要だった。いつか追い出されるだろうと思っていたし、そうじゃなくても家を出なきゃならないと思っていた。
この頃から、お袋も離婚を仄めかす事を俺に言うようになったから、早く肩の荷を下ろさなきゃと思っていたのもある。
ただ、俺は姉貴のように素晴らしい人脈も持っていない。そういうのも苦手だった。
だからひたすらバイトして金をためるしかなかった。
将来の夢、なんて学校に通ってれば何度も書かされることだけど、そんなのはまったくなかった。一度、そんなものは無いって書いたら大騒ぎになったから、それからは周りを盗み見て適当に書くようになった。
入った高校は地元のぼちぼちの進学校。普通科。
ここを選んだ理由は地元だから、というだけの理由だった。
正直、俺は口下手で、しかも口が悪い。どこか人相が悪い。これは忌々しい親父の遺伝だ。
その代わり、お袋の遺伝か、勉強は割りと出来た。普通にやってれば三百人くらいの生徒の中で三十番台をキープできた。
本気で勉強すれば、電車で一時間も通えば、三つくらい上のレベルの進学校、それか国立に入れたんじゃないかと教師にはいわれた。
ただ、通いに時間がかかるって理由で全部蹴った
何でかっていうと、バイトが出来ない。一人暮らしの準備が出来ないからだ。
ここぞとばかりにもっともらしい説教を、酔った酒乱の立腹でたれる親父を無視した。
お袋の俺を心配した助言は堪えたけれど、
「俺には夢がねえからいいんだ。とにかく独り立ちを早くするからバイトする。夢ってのは昔から何かを積み上げてる人間が言う言葉で、願うことで、俺みたいなヤツが夢を願うのなんざ傲慢だし、なにより俺は昔のこと覚えてねえんだから、昔に描いた夢なんてもんもない。今、なりたいものなんて無いんだから、俺の心配をするなら姉貴と有理の心配しときゃ良い。俺は何とかなって、そのうちお袋より後に死ぬから。」
と言ったら悲しそうな顔をして、もう何もいわなかった。
入学式も終わって一段楽したらとっととバイトを探し出した。
見つけたのはモムマートのアルバイト。
適当に寂れていて、客の入りもあまりない。有名どころだと下手したらばれてしまうから困るけど、コンビニってよりスーパーみたいに勝手に店舗改造をしているここには主婦とか老婆しかこない。
たまに若い男が来るけれど、そういうのは大概、顔がわれないマイナーなこの店にエロい本を買いにくるだけで、三分もしないで逃げるように帰っていった。
このコンビニでアルバイトをしている若い面子はたった四人で、俺と、俺の三つ上の大学生の杉本裕子さんと、他の農業高校に通う、タメの小川耕太と坂江夏彦。後はみんなおばちゃんのパートだ。
なんていうか、おばさんとかおっさんと話をしていると別に気にしないけど、溌剌とした同年代と話をしていると、節々に、ああこいつはある程度幸せに育ってきたんだな。俺とは、違うな。と思う癖があった。
だから余計に口下手になる。そうすると絡みづらいということで敬遠された。もともと親しい友達はあまりいなかったし……。だから小川も坂江も、しばらくしたらあまり話をしなくなった。
そんな中で、執拗なまでに俺に絡んできたのが裕子さんだった。
すらりと背が高い女で、肩甲骨にかかるストレートの髪は軽いシャギー。お洒落でお笑い好きで、何よりも変な人だった。
速射砲みたいに様々な話題を繰り出してきて(特にお笑いが多かった)適当に相槌を打つともう止まらなくなった。だから、途中で「ついてけないですから勝手にしゃべっててください。」っていったらケタケタとさも面白そうに笑って、またしゃべりだした。
しきりに俺のことを聞いてきたから、適当に嘘を吐くと、そのときばかりはなぜかそれが嘘だってわかるらしく、口を尖らせた。
だから、幽かに残るガキのころの痛かったこととか、ショックだったこととかを引っ張り上げて話をした。
幼稚園の頃のこと。卒園式当日に熱出して休んで、何日か後に改めて当日休んだ園児たちを集めて卒園式をやった日のこと。
てっきり俺は一人だけ休んだと思ったら、案外その日に休む園児ってのは多いらしくて十人くらいで、当時の俺にはだだっぴろい体育館で綺麗に整列して証書をもらうのを待った。なんだか園長が話をしてしばらくまって、名前を呼ばれた。
「多田 治くん。」
台に上って、脚をカチカチに伸ばして証書を受け取って、深く礼をした。
ゴチンなんてすごい音がして、額に痛みが走って、顔を上げたら手に持った証書に血がたれた。
園長と俺の間の台(それも角だ)に、深く礼をしすぎて勢い良く頭をぶつけたらしい。園長は血を見てなにやら騒がしくなったが、その後ろでは先生方までくすくすと笑い声がした。
それで振り返ったら、血を流してるのを見たみんなが一転、大騒ぎになった。
とか。
クリスマスにお持ち帰りのケーキを、毎度毎度大事にそればっかり見ていたら道路脇のどぶに足を突っ込んで潰してしまって、三年間一度も無事にケーキを持ち帰ったことがない。
とか。
そしたら、裕子さん大喜びして、俺のことをお茶目さんだとか言い出した。
「十回ほど死んだらどうですか?まあ、話したのは俺なんすけど。」
っていったら寧ろ大喜び。俺のこと、マイナスイオンを出す癒し系だとかいいだす始末で、この人はほんとに心底変態だと思う。
それ以来、自分の彼のことだとか、学校がどうだとか、それこそ境目がないだろうくらいの勢いで話をしてきた。
俺も、タメの小川と坂江とは大して話をしないのに、なんとなく裕子さんとは馬鹿話をそれとなくするようになった。
しばらくして、ああ、裕子さんは友達なんだ、なんてふと思った。
友達なんて、出来ても酔っ払った親父が俺の電話ひったくってがなりたてたりするせいで出来やしなくて、だからほんとにいつ以来だろうとか思った。っても、いつ以来なのかなんてことも、覚えてないから思い出せねえけど。




