第十五話
軽く夕食をご馳走になり、家に帰る。
大荷物を担ぎ上げ、玄関の鍵を開けると、やけに家は騒がしかった。
「ただいま。熊木、どうかしたのか?」
「う、ううん、なんでもないの。」
ばたばたと居間から駆け出してきた熊木は、大げさすぎるアクションで、わぁ大荷物ね。と驚いて見せるなり玄関に駆けつけた。
荷物を降ろして、真っ直ぐに熊木のことを見つめると、熊木は露骨に視線を泳がせてみせる。
「……隠すなら、まず靴をどうにかしろよな。」
「んあっ!」
俺の言葉で熊木はびくりと体を震わせた。玄関には俺と熊木の靴以外に、二人分の靴がそろえてあった。
「有理と谷口君か。」
「あのほら、私がピザ食べたいなーってなって、でも一人で女の子がピザ頼むの恥ずかしいし……。だから、」
「別に言い訳しなくていいって。」
荷物を全部玄関先に運び込んで首を曲げると、ごきりごきりなんて盛大な音がした。運動不足のつもりは無いんだけどな、なんて思う。
玄関付近を俺が占領しているもんだから、有理たちは仕方なく居間で大人しくしているらしかった。
「悪いな、熊木。余計な心配させて。」
少し挙動不審気味の熊木の肩をぽんと叩いた。
「ううん。」
「少し話をしたいと思っていたから、ちょうど良かった。」
「え?」
不安げに柳眉をゆがめる熊木をそのままに。廊下をまっすぐに歩いて、居間の引き戸を開いた。同時にタシーンなんて勢い良く、居間から続きの寝室の襖が閉じる。居間はもぬけの空だった。
有理はどうやらこっちの顔も見たくないらしい。
「谷口君、いるんだったらちょっといいか?」
有理が俺の話を聞かないのは大体予想がついていた。
「真面目な話をしたい。有理は聞きたくないだろうから、二人だけで。」
襖の向こうでは、有理と谷口がなにやら話をしているらしい。ごしょごしょと襖越しに声が漏れ聞こえてくる。
間。そして、すらりと襖が開いた。
一人で出てきた谷口は緊張した面持ちで会釈を一つ。俺が示した正面に、座った。
「熊木、少しだけ席をはずしてくれるか。有理を連れて。」
後ろの引き戸から、不安げにこっちを見つめる熊木を手に取るようにわかった。きっと、巨人の星の飛雄馬の姉みたいに。俺の頼みを聞いて、少しだけ戸惑っているような気配がして。
「大丈夫。たぶん、取って食ったりはしない。」
振り向かずに肩をすくめた。後ろで小さい吐息の音が聞こえる。
「わかった。」
衣擦れと足音が遠ざかっていく。玄関のドアが閉まったのもわかった。
「悪いな、谷口君一人居残りさせて。」
「い、いえ。」
ぶるぶると、谷口は大きく首を振って見せた。有理が隣にいるときはもっと、こう、無機質なイメージがあった。でも今は動揺が手に取るようにわかる。
「別に固くなんなくていいからさ。たしか谷口君は有理と、親父に挨拶に行ったんだよな?」
「はい。去年の夏ごろに…一度……挨拶に行きました。」
「そうか。」
こっちの質問の意図がはかりかねないせいか、彼の返答は歯切れが悪い。
「たぶん、親父は酔っ払って何も言わなかっただろうし……そもそも何も言わないから、俺がと思って、な。」
たっぷり一呼吸。何だかんだ言って、俺も相当緊張しているらしい。手のひらに汗をかいているのがわかる。顔に出ないのはせめてもの救いか。
「俺は正直、有理のことをあまり好きじゃない。」
一瞬だけ、谷口の視線が鋭くなったのが、良く見えた。
「有理は昔から、誰かにうまく頼りながら楽そうな選択ばっかりするやつだった。最近だと柔道部の関係者が看護へ誘ってくれたっていうのに、誘いを蹴った。学校に受かって通うのも、谷口君が帰ってくるまでは実家で良いだろうに一人暮らしを始める。」
「お兄さん、それは……」
お兄さん、か。
「そんな、俺を取って食いそうな眼をすんなって。もう少しだけ、聞いてくれ。」
手をひらつかせ、場の空気を何とかしようとしてみたが、谷口はだいぶ熱くなりかけているようだった。
「俺から見たら、それもこれも逆に大変な進路ばっかり取っているように思えてならないんだ。太い縁も濃いゆかりも無い人が、進路の手助けをしてくれるっていうなら、これからの人付き合いの幅が広がって良かっただろうし、未成年の有理が成人するまでの二年間をバイトと学校にと駆けずり回り、しかも一人暮らしするなら、窮屈でもあの親父に世話になってるほうがいいだろうとか。」
親父は金銭的な意味でも、有理には協力を惜しまないんだから。
そこまで言ったとき、ついに堪えられなくなったのか谷口は身を乗り出して口を開いた。
「聞いてください。有理がそっちに行かなかったのは俺のお袋が看護師で病院側から学費を援助できるからで、一人暮らしをするお金も、足りない分は俺が出せるからです。有理はそういうこともちゃんと考えて……」
「だから、だ。」
「……え?」
これから言おうとしていることを、頭の中で一気に洗い直し、組み立てる。
「俺は口下手だから、うまく解釈してくれ。」
なんて前置きをした。
「今、有理は金銭面でも精神面でも、谷口君を頼ってる。それ自体は悪いことじゃないと思う。ただ有理はその意味に気付いてない。」
人に投げかける言葉じゃないようだ。組み立てたこの言葉は、そのまま自分への説教のようだ、なんて思う。
「あいつは結局、いろいろな方向から自分を支えてくれる糸を全部断ち切って、一本だけに縋ってるんだ。」
とやかく言っても、俺が今まで気付かなかっただけで、俺と熊木の関係も全く同じだ、と思う。
「有理はたまに視野が狭くなる。それにわがままだ。これから付き合って行こうとするともっと我を通すかもしれない。谷口君はそれを飲み込めるつもりなのか?もう、金銭面も精神面も責任を取れるのか?」
「取れます。自衛隊から帰ってきたら、結婚を考えています。」
少しの間も開けずに、谷口はそう返してきた。いつの間にか、その目に燈っていた険はなくなっていた。
それは、見返すこっちがやるせなくなるほど愚直に、真摯に見えて、思わずこっちの口元が緩んだ。
「そうか。親父の代わりといったらオカシイけど……。」
座布団の上で正座をしなおした。背筋を伸ばして、改めて谷口を見返す。
「有理のことを、宜しく頼む。」
深く、頭を下げた。
「はい。全力で護ります。」
谷口も、正座しなおしてぺこりと頭を下げた。
今でも有理のことは、嫌いだ。そのスタンスにはいつも苛立たされる。でも、有理はいつだって、どこかほっとけない妹だった。
いい加減で、なんだか投げやりで、浅慮で。勉強も十段階評価で三とか、四ばかりでも気にも留めなかった有理。
でも今、看護師になる目標に向けて努力し、そして看護学校に受かったっていう事実は確かなものだから。
そこまで頑張れる夢を持った有理を。有理を支え、変えた谷口のことを、一度心底信じてやりたくなった。
「……どっかの洒落た偉人が言ってたな。結婚は宝くじみたいなもんだって。」
この空気がむず痒くて、思わず軽口を叩いた。
「……夢と希望が詰まっているって話ですか?」
「ごく稀には、当たりがあるって話。」
三秒ほど沈黙。それから谷口は笑い出した。
「今それを言うのは反則ですって。」
「二人のは、きっと当たりだろ?」
「はい。」
自分で言っておいて苦手な空気を作っちまったと、手持ち無沙汰で冷め切った残りのピザを口に運んだ。
……冷めたピザは人間の食べ物じゃない。
その顔を見て、温め直してみんなで食べましょうと谷口は有理に電話をかけた。
谷口から何か聞いたのか、最後に有理は「余計なお世話だバカアニキ。」なんて言って帰っていった。
ひとしきり後片付けを済ませて、薬缶を火にかける。引き戸の向こうでは映画、アメリが流れている。熊木が食い入るように映画を観ている。
閉じた引き戸越しに、ヴァイオリンの音楽と、語り手の飄々としたナレーションが聞こえてくる。
台所の隅においてある椅子に腰掛けて、目を瞑った。
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