『やっちゃった』から始まる創作101
前回は、ちょっと難しかったですね。
今回はもう少しやさしい話をしましょう。
小説を書くって、すごく簡単そうです。
小説は、古いものや難解なものでなければ、95%以上は自分の知っている言葉で構成されているし、それをキーボードで書写して入力することも簡単。
それに自分はチャット、メール、SNSで文章も作るから、それを架空の話にして書くだけで小説ができるのでは?
確かに理屈のスジは通っているように見えますけれども。
これを読みに来る人の多くは、「いや実際は違うんだよ」という認識を持っているはずです。
なぜ小説を書く(架空の話を書く)のが難しいのでしょうか。
ざっと挙げてみた要素が以下です。
ここでは、創作の難しさの理解のために列挙するだけで、個別の問題については話しません。
また、小説という表現媒体に限った要素に絞っているわけでもありません。
◆全体を通した軸の問題
・創造性の問題
・そもそもアイデアが出ない
・心理的な障壁/スタンスの問題
・過去の失敗を恐れて踏み出せない
・モチベーションを喪失した
◆創作フェーズごとの問題
・準備/環境構成の問題
・「書き始めたい」が先行して、マトモに準備をしない
・準備が、実際の執筆に耐えられるほど盤石ではなかった
・準備資料を作ることが楽しくなってしまって、書かない
・資料を自分で管理できなくなった
・小説データの喪失に対する対策が不十分で喪失し、続行不能になった
・執筆時のリソースの問題
・インプット情報の不足(物事の理解における解像度の問題)
・絶対量(人生経験)の不足する
・経験に対する理解の深度不足がある
・経験幅の不足がある
・考証をしない、あるいは不十分だった
・処理能力の問題
・設定した更新ペースと分量に対して全力を出しても創作が追いつかない
・一時的には達成可能だが、体力的に中長期的では維持できない
・小説執筆において考えるべきこと(気にすべきと思うこと)が多すぎて進まない
・書きたい内容を言語化できない
・「この話で何を描くか」のフォーカスが鮮烈で、周辺の情報がボケてしまい欠落する
・完璧主義に陥り、永遠に作り直してしまう
・準備した資料の通りに物語を進めることができない
・生活状況により、執筆する時間や場所が十分にとれない
・成果物の問題
・理想的な文章と、実際の文章との乖離を修正できない
・読者に「分からない」と言われる
・作者が「読者は分かっている」と思い込む
・読者が小説に共感しない
・小説が読者に共感できない
う~ん、火力が高いですね。これには筆者も瀕死の重傷です。
まあ、私向けの自分ノートを、読む人の目をちょっと意識して赤裸々に公開ってスタンスは当初から変わっていないので――皆様がうっ、ってなったら、単に流れ弾に当たっただけのこと……
釘をしこたま仕込んだ自爆テロはさておき。
確かに、文章を入力することこそ簡単でも、それを生み出すためのやり方だったり資源や能力だったり――少し見る範囲を大きくしたり詳しく見たりすると、そう簡単な話ではないってことが、なんとなく分かってくると思います。
小説を書くのは面白いけど難しいって話です。
で、で! なんですよ。
そんな創作の死線を駆け抜けて、からくも投稿ボタンまで辿り着いた小説。
なろうには、私を含め学生、社会人、多様な年齢や属性の方がいるはずで、それぞれ技量も経験も才能もバラバラです。
投稿される小説の出来がピンキリになるのも納得の話。
ときに、才のある学生の描いた物語が突出した出来になることもあるでしょう。
他方、社会人が描く物語が、必ずしも出来の良い作品になるとも限りません。
私なんかは、長く続けているだけでパッとしない人間の一人です。
そこで、今回のまとめです。
今回は中身があるようで、中身がないような話ですけど。
***** まとめ *****
・自分の立ち位置を理解する
・無理に頑張らない
・失敗するのが普通
・昨日より今日、統計的に少しだけ良ければいい
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◆自分の立ち位置を理解する。
小説の創作にあたって、自分はどんな経験があって、何を作ろうとしているのか。
何が得意で、何が苦手か。何ができて、何ができていないと考えているのか。
自分の手持ちのカードを理解することが、すべての始点になります。
もし、小説を書いたことがなかったら?
うまく書くことを度外視して、自分で何か短い作品を作ってみてください。
こうした方が良い、と巷で言われているお作法も、まずは全て忘れましょう。
必要なのは、起承転結と興味だけです。
それでも小説を初めて書くとなると、色々考えることが多くて大変苦労するはずです。
お作法とかセオリーとか、余計な負荷になるものは、まずは、一旦すべて捨てて、創る楽しさと難しさを体験する。
マラソンをしたときのような息切れを感じながら、あるいは脳を紙やすりで削られているような疲労感を感じながら、一作ができると思います。
一度作ってみて、あ、こんな感じなんだな、って読み返してしみじみ思う。
完成した瞬間は、我ながらよくできたと思っても、翌日、数日後、2週間後に見返したら「なにこれ……」ってショックに感じるかもしれませんが、創作ってそんなものです。
そうして、何ができて、何ができないのかが浮かんできます。
できる、にもレベル感が見えてくるはずです。
例えば「カギ括弧を使った会話文が書ける」これは、初めての小説でも記述できる人は多いと思います。
では「物語展開を引っ張るために、不自然な会話文を書いていないか?」ならばどうでしょうか。自信ない人が出てくるんじゃないでしょうか。
そういう意味で、できる/できない。できるならどの程度までできる、というのが見えてくるわけです。
多くの場合は他の作品と自作を比較して、実感することが多いと思います。
まずは、何がどれくらいできているのかを、自己チェックしてみるところから始めましょう。
ここでの注意点は、人間は悪い点を見つけやすいバイアスがあることを理解すること。過剰な自己批判に偏らないこと。
小説は掛け算ではありません。何か一つの要素が全くできていないからといって、すなわち作品全体が0点にはなりません。
会話文の一切ない小説は、「カギ括弧を使った会話文が書ける」という点を満たさないので、作品全体は0点ですか、というとそれは違うわけで。
とりあえず、悪いところを見つけたら「まぁ、いっか」を口癖にしてみてください。
手直しできるなら手直しすれば良いですが、現状どうにもならない問題は「まぁ、いっか」するしかありません。
悪い点が死ぬほど沢山見つかった、そんなときも全てに一つずつ「まぁ、いっか」って独り言のように後付けしてみてください。一度の「まぁ、いっか」で消化しきれないものには、複数発ぶつけましょう。
「やっちゃったものは仕方ないし」や「自分はこれがいいと思ったし」なども適宜混ぜると、なおよろしです。
趣味でやる創作なんです。笑いながらやるくらいでちょうど良いのです。
100点を目指すのは学教教育の話で、創作に100点はないのです。
本気でお仕事にしたい方は……うん。
お仕事にしていない人のヒントノートが参考にならないのは、道理だよね。
◆失敗するのが普通
創作に限らず、なにかに失敗するのは当たり前の話です。赤子は二足歩行に挑戦して失敗するし、幼子は靴の左右の判別ができなくてあべこべに履いてしまう。
そういう存在から育った私達は、基本的に失敗する生き物です。
自分の周りや社会を見渡すと「当然、失敗しないこと」なんて空気感が漂っていますけど。あれは単なる周囲の期待の具象化・言語化であって、真理ではありません。
私達はいくつになっても、つまずいて転ぶのです。
他方ご存じの通り、世の中には失敗すると本気でヤバいものもたくさんありますから、全てにおいて失敗が許される世界でもないんですけどね。
人の命がかかってるやつとか。世界存亡の危機になるやつとか。
私が中高生の頃、ある1つの連載小説を数十話くらい書いていたのですが、破綻して書けなくなってしまって連載停止。削除したことがあります。
私がなろうで小説を削除したのは、2025年7月時点で、そのとき1回だけです。
それで、2作目の連載でSFを書き始めることにしました。
1つめは失敗したので、自分の実力と限界を知って、失敗を繰り返さないためにはどうすればよいかを考えたわけです。
そのSFが、のちに15年経った現在も続く連載小説になるんですけど。
このヒント集が生まれたのは、元々その再発防止策の一環でした。
そのSF小説をうまく作るため。2作目を殺さないため。
なんだったら、その2作目自体、再発防止のための練習作でした。
2010年。ネットの片隅でPDCA(※)を回す高校生がいたのです。
ちなみに、2作目は量子コンピュータとAI、仮想現実をテーマにした作品です。
現代科学ベースの学園コメディ/ファンタジーみたいな。
※PDCA:Plan Do Check Actの頭文字。計画、実行、評価、改善を順に繰り返すことで、継続的な改善を行う手法。主にビジネスの文脈で使われる。
誰でも失敗する。常時満点はありえない世界です。
どんな簡単な失敗でも、自分を責めないでください。
上達は「やっちゃった」から始まるのです。
なにを当たり前な。
しかしそれを聖域なく適用する覚悟があるか。行動に移せるか。
自分のこだわりで「それはそれ、これはこれ」をしてしまわないか。
「当たり前のことを当たり前にやる」というのは、存外難しいものです。
「自分を律する」の御旗の下で自分の首を絞めても何にもなりませんから、律し方は考える必要があります。
◆無理に頑張らない
私が中高生の頃、小説を書き始めてしばらく経って慣れてから「自分にはまだこれができないから、新しくチャレンジしてみよう」を繰り返し続けてきました。
キャラクターの心情描写がまだ甘いから、ちゃんと描けるように頑張ろう、みたいな。
当時は自然とそうやって始めたのですが、結果的には良かったんじゃないかなって思っています。
今でもそれは続けていて、光や音の描写といった情景描写や、動きの描写が私の不慣れな、苦手分野だという自覚があるので、そこを重点的にチャレンジしています。
ここで大事なのは、全てを一気に、無理にレベル上げしないことです。
つまり自分の容量を超える、自分の手に余るチャレンジをしないこと。
一部を除く、多くのPCゲームとかコンシューマーゲームの構成はそうなんですが、多くはレベル1から始まります。
できることも最低限で、その「できること」も最弱の装備でうまくできない不便なことも多くて――おっと、創作も一緒です。
つまり、何かに挑戦して、疲れ果てて、ようやっとできたかな、という状態で「一応書けたんだから新しいチャレンジを追加!」みたいなことは、やめとこうよっていう話です。
小説を最初に書き始めた時は、ものすごく苦労して疲れたと思います。書くってことは苦労するし。私も今でも疲れるんですけどね。
何かにチャレンジして、気を遣いながらできるようになったことは、定着するまで続けつつ、次のチャレンジは少し待つべきじゃないかと、私は思います。
人間の脳の慣れや習慣というシステムによって、負担を布団圧縮袋のように小さくしてくれるのをある程度待って、自分の容量に空きが出たら、新しいものに挑戦するのです。
容量オーバーは一時的にはこなせても、中長期では反動で燃え尽きてしまい、経験上、続きません。
結局、初めから最強クラスなんてのは、非実在青少年、創作の上での話であって、それを創作する作者側がそうである訳がないんですね。当たり前の話ですけど。
「疲れたけど、まあ楽しかったよ」
これが言えるくらいで、頑張りは留めおくのがよいと思います。しかし、確かに創作はときに苦痛を伴います。
「もう二度とやらねぇ」と思うほどに頑張る力は、ここぞというときのために残しておくのです。
◆昨日より今日、統計的に少しだけ良ければいい
美しくてスゴい物語を描きたい、と思っても、自分にその実力がまだなくて――ということは多々あると思います。
私も「ああ、すごいなこれ」って思うような文章に出会うたびに、力の差を感じます。
そういう筆致を、自分も手に入れてみたいと思うのです。
「昨日、100の力を出し切ったのなら、今日は101の力を、明日は102の力を出すのだ」
――そんな表現に人生のどこかで出会ったことがあるかもしれません。
結局上達するってことは「過去より現在の方がより良い結果を出せる」ってことなので、言っていることは間違いありません。
しかしですね。人には上手くいくとき、いかないときの波があります。
昨日より今日の方が劣化する、なんてことはザラにあって、何日か連続で劣化することもある。まるで株価みたいです。
そこで、私は「統計的に」という都合の良い概念を付け加えることにしました。
"昨日より今日、統計的に少しだけ良ければいい"
日々の目線で見ると、伸びるときも落ち込むこともあるけど、全体の傾向で見れば確かに改善している。そういう成長の仕方で良いと思うのです。
色々と甘い言葉を書いたなって、思ってるんですけど。
ここに来る人の属性をちょっと考えて、こんなことを書く必要、ないなって思った結果偏ったんですけど。
や、でもちょっとだけ書いておきます。
「次に手に入れたい力はこれ」とか「次に手に入れたい演出はこれ」とか、簡単でいいから、言語化できなくてもいいから、自分で目標を持って、自分の拠点エリアから一歩出て冒険してみましょう。
例えば「キャラクターの心情表現を強化したい」とか。「情景描写を強化したい」とか。あるいは「より人を惹きつけるアツい演出にしたい」とか。
そう思ってぼんやり考えたこと、ふらっと調べたこと、なんとなく見聞きしたものは、たとえすぐに文章に反映できずとも、記憶や感覚として地層を形成して、少しずつ実力に影響を与えていくはずです。
目標は方向を示すだけで、目的地には連れていってくれません。目的地へは、自分の力で進まないといけないのです。
歩かなければ、スキルマップの中の自分の勢力圏は何も変わらないでしょう。
私が伝えたかったのは、小説を書くというのは、思っているより難しいということ。
だから、自分にできることの範囲とレベルを、まずは良くも悪くも認めること。
次の目標を見つけて、失敗を前提にゆっくり進めていくこと。
決して「ストイックになりすぎないで」ということ。
それだけです。
時速90kmで3時間走って限界を迎えるより、時速30kmで10時間走り続ける方が、より遠くに行ける。続けやすい。そんな話です。
今日はいつもと違う道を歩いて帰る、それくらいの感覚の挑戦でいいのです。
いずれ直面する「苦しい正念場」に備えるための余力を残すともいえます。
シナリオ上避けて通れない苦手な分野の描写を頑張らないといけないとか、演出上複数話に分割せず、一話として駆け抜けたい山場のお話とか。単純な難産だってあります。
カツカツの挑戦を駆け抜けてきて、息も上がるような状態で目の前に立ちはだかる「正念場」。
一度や二度は耐えられても、そりゃそのうち心も折れますって。