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第11話 五千円の編集室

 小春さんから届いた見積もりは、一度読み直す必要があった。

 項目はちゃんとしている。一本の動画、字幕、簡単な図の配置、確認後の直しは一回。完成までの日数も書いてある。

 最後の金額だけが、小さすぎた。


「これ、桁を間違えてませんか」


 通話の向こうで、椅子の動く音がした。


『いえ。最初なので、少し安く』

「少し、ですか」

『素材は短いですし。三枝さんには、その』


 俺は机の契約書を見た。


「俺が別の人でも、その値段ですか」


 小春さんはすぐには答えなかった。


『……もう少し、いただくかもしれません』

「その値段で、お願いします。自分で自分の仕事の値段を消さないでください」


 言ってから、妙に胸に刺さった。

 数日前の面談で日当を下げると言いかけた人間の、立派な発言だった。

 小春さんが、考えるように息をつく。


『三枝さんも、そういうところ、ありますよね』

「はい。だから、二人でやると赤字が増えます」


 彼女が吹き出した。

 俺も少し笑い、あらためて条件を話した。

 一本五千円。追加の素材撮影は俺が担当し、大幅な作り直しが必要になったら、勝手に増やさず相談する。足を休める時間を削るほど急がない。

 条件を書いたメッセージを、お互いに確認した。


『では、最初に。説明の前半、ほとんど切ってもいいですか』

「契約した途端、思い切りますね」

『最後まで聞きました。二回』

「ありがとうございます」

『それで、切っていいですか』


 俺は、どうぞ、と答えた。

 聞いてから切る人には、逆らいにくい。


◆


 作業中の画面を見せてもらうと、俺の声は細かな塊に分けられていた。

 小春さんがその一つを短くする。映像の中で俺が口を開き、次の瞬間には看板の寄りの画面になった。


『ここで、説明図に替えます』


 単純化した道の図が出る。人の位置と矢印だけだ。

 それから、もう一度遠くの看板へ戻る。

 俺が一分かけた説明が、二十秒もせずに伝わった。


「俺、こんなに要らなかったんですね」

『全部要らないわけではないです。声があると、どこを見ればいいかわかるので』

「慰めが、具体的だ」


 小春さんはまた笑ったが、次の箇所では手を止めた。


『ここは、短くすると違う意味になりませんか』


 俺が『通れた道でも』と言ったあとに、看板が出てくる。続く言葉を聞くと、過去に歩いた道ならいつでも帰還できるように取れなくもない。

 元の長い説明では、今回の進入に限ると言っていた。


「そこは残してください。前に来たことがあるだけじゃ、戻れないので」

『じゃあ、別に撮った声を入れましょう。ほかは伸ばさず、ここだけ』


 俺は携帯電話を口から離して、文を録り直した。

 今、歩いてきた道へ戻る。知らない先へは飛べない。

 言い終わると、部屋の外を車が通った。


『もう一度、お願いします。車も一緒に戻ってきそうなので』


 窓を閉めた。

 録音をやり直し、確認する。小春さんの足の話は、こちらから何度も聞かなかった。休みたくなったら止める、と先に決めてある。

 しばらくして彼女から、十分休憩したいです、と言われた。


「はい。俺も、水を取ってきます」


 通話をいったん切った。

 俺の部屋の冷蔵庫は相変わらずよく唸っていた。次の録音では、こいつとも相談が必要だった。


 再開すると、画面に砂袋が現れた。

 初配信の、自分の録画だった。公開に使えると伝えた素材の中に入れてあった。

 俺は袋へ固定帯を回し、短く呟いている。


『ちょっと、こっち向いてくれ』


 袋は動かない。

 俺が自分で回す。そこだけ、妙に長い沈黙があった。


「それ、切らなくていいんですか」

『残したいです』

「看板の説明より?」

『はい』


 即答だった。

 小春さんはそのあと、袋を保持した姿勢が見える画面へつないだ。さっきの沈黙があるせいか、道具の重さまで少しわかる。

 うまくいったところだけを続けた動画より、俺がそこにいる感じがした。


『でも、わざと失敗したような音は入れません。普通に、今のままで』

「砂袋の名誉のために、お願いします」


 彼女は画面を止めて、ここが最初のつかみで、そのあとは道の見え方へ、と全体を説明した。


 仕上がった動画を、今度は音を消して見た。

 看板へ寄る画面で、字幕を読み終わる前に次へ切り替わる。止めようとしたら、小春さんのカーソルも同じ場所で止まっていた。


『ここ、もう少し長くします』


 説明は短くなったのに、見る人を急がせなくなった。

 図面は公開用の範囲に収まり、通行人や非公開の業務情報も入っていない。最後に管理側の公式案内先を確かめ、俺は小春さんへ伝えた。


「これなら、俺も最後まで見られます」

『作った人が途中で帰らなくてよかったです』


 完成した動画を、もう一度最初から再生した。


◆


 公開後の短い案内配信を始めると、画面には十二人と表示された。

 途中で十四人になり、一人減った。

 俺はその数字を見続けるのをやめ、作った動画の話をした。編集を担当してもらったことは、名前を出してよいか先に確認してある。


「小春さんに、見やすくしてもらいました」


〈砂袋に話しかける人だ〉


 最初についたコメントがそれだった。

 俺は口を閉じ、それから仕方なくうなずいた。


「返事を待ったのは、俺の判断ミスです」


 小春さんの名前でも、笑った顔の印が一つ流れた。

 ほかには、矢印が見えなかったことや、背負い荷物があると振り返りにくいことへの感想があった。俺は答えられる範囲で返し、危険な現場の相談は正式な窓口へ、と案内した。

 誰も大金を投げ込まない。画面に派手な光も出ない。

 終了すると部屋は元の静けさに戻り、机の上には五千円の請求と、洗い忘れたコップが残った。


 俺は支払いを済ませ、受け取れたかだけ連絡した。

 小春さんから、確認しました、ありがとうございます、と返ってくる。


 夕方、公開している仕事用の連絡先に問い合わせが届いた。

 退路を確認する仕事について、どこまで依頼できるか知りたいという。人手が必要な時期と、予定する場所だけが短く書かれていた。

 文末には、動画を見たと添えられていた。


 俺はまず、返答に必要な作業範囲を尋ねた。何でもできますとは書かず、現地の条件を確認してから見積もると伝える。

 送信したあとで、小春さんにも一言知らせた。


『動画から、仕事の問い合わせが一件ありました』


 返事は少し遅れて届いた。


『砂袋にも、よろしくお伝えください』


 俺は机の下を見た。借りた袋は、もう返している。

 次に会ったとき、勤務実績が増えたことを教えてやろう。そんな馬鹿なことを考えてから、窓を開けた。

 部屋に入ってきた風は、地下のどの通路よりも乾いていた。

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