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第1話 討伐数は、今日もゼロでいい

 退職理由の欄に、魔物を一匹も倒せなかったため、と書かれた。


「三枝。帰り道を確保してくれたことは、感謝してる」


 攻略クラン『蒼天』の事務所で、班長の辰巳征司は俺の実績表を伏せた。伏せる前に見えた数字は、入団した一年前から変わらない。

 討伐数、ゼロ。


「ただ、来期は討伐報酬に絞る。全員分の『帰還札』を会社で用意することになった」

「札は本人が発動するものです。意識を失った人を、ほかの誰かが連れて帰ることはできません」

「わかってる。そのために治癒役は残す。お前まで雇う余裕がない」


 向かいの席から、経理担当が目をそらした。

 経営が苦しいのは知っている。先月の遠征費も、まだ半分しか入っていない。

 だから、金の話をされると返す言葉がなかった。

 けれど、札を買えば俺はいらない、と頷いたら、次に倒れた仲間はどうなる。もう一度口を開きかけて、やめた。給料を惜しんで食い下がっているように聞こえるのが嫌だった。


 先週、足を折った槍使いを背負って戻ったときも、討伐数は増えなかった。

 その前は毒。その前は、転落。

 帰ってきた連中の顔なら覚えているのに、実績表に書ける数字がない。


「装備の返却は?」

「貸与の剣と配信端末。救助袋は私物だろ」


 俺は壁際の剣を差し出した。

 受け取った班長が、刃を確かめて苦笑する。


「新品みたいだな」

「砥石代がかからないのは、長所だったんですが」


 笑うつもりはなかったらしい。それでも少しだけ、班長の口元が緩んだ。

 最後に握手をして、俺は事務所を出た。

 貸与品を返したぶん、荷物は軽い。来月の家賃まで軽くなってくれればよかった。


◆


 駅前のベンチで、二割引きのパンを食べた。

 午後四時。背後の大型画面では、人気配信者が巨大な竜を倒している。炎の向こうで勝利の数字が跳ねた。

 俺のスマホには、救助協力員の更新通知が届いていた。

 クランを辞めても、現場から助けを求められれば動ける。俺個人の登録だった。


 登録を維持するには、来月までに講習を受けなければならない。

 費用を見て、パンをかじる手が止まる。


 その通知に重なって、赤い帯が出た。


〈東都七号ダンジョン・第三層。地盤崩落。周辺協力員への情報提供依頼〉


 ここから入口まで、徒歩で十分。

 開いた先に、現場の配信リンクがあった。


 視聴者、十一人。

 画面の半分を、泥のついた手袋がふさいでいる。


『……聞こえますか。三層の、西側の採掘通路です。足場が、下まで落ちて』


 若い女の声だった。

 カメラが持ち上がる。天井の亀裂。折れた誘導灯。その下で、黄色いヘルメットの女性が唇をかんでいる。

 配信名は『小春の採集日記』。プロフィールには二十二歳、薬草と鉱石の採集記録、とあった。

 ダンジョンへ入るのは、魔物を倒す連中だけではない。この人は採ったものを持って、地上へ帰る途中だったのだろう。


『足は挟まってないです。左の足首が……動かすと、ちょっと』


 コメントに、救助受付を示す認証マークが出た。


〈位置を確認中です。無理に立たず、保温してください〉

〈先行隊が第三層へ向かっています〉


『はい。ライト、壁に向けたほうがいいですか』


 彼女が灯りを動かすと、岩の側面に白い線が見えた。

 俺はパンを袋に戻した。


 あれは鉱脈じゃない。古い測量塗料だ。

 半年前、帰還経路の調査で潜ったとき、同じ線を見た。


 協力員用の通話を開いて、登録番号と名前を告げる。


「三枝(さえぐさ)朔(さく)、帰還術師です。映像の場所に心当たりがあります。第三層じゃなく、その下の旧第四層の空洞です。足場ごと落ちたんだと思います」

『旧採掘区ですか。確認します』

「北側の測量坑から、空洞の上へ回れます。今、入口へ向かいます」


 走りながら救助袋を背負い直した。

 電話の向こうで短い応答が交わされ、担当者が戻ってくる。


『先行隊は崩落地点の手前です。進路の安全確認に時間が必要です。三枝さんの経路情報を共有します。単独での進入は強制しません』

「わかっています。入口で装備と経路を伝えます」


 切る前に、配信から硬い音がした。

 画面の端で、小石が跳ねる。


『さっきから、水が来てて』


 ライトの下を、黒い水が細く流れていた。

 そこは、雨水を逃がすための空洞だったはずだ。


◆


 北側の管理口で、職員に協力員証を見せた。

 机の上に地図を広げると、相手は俺の指した坑道を赤鉛筆でなぞった。


「ここまで通信中継が生きています。救助隊にも位置を送ります。通れなければ引き返してください」

「その判断だけは得意です」


 ヘルメットの顎ひもを締める。

 予備灯、保温シート、簡易固定具、ロープ。救助袋の中身を指で確かめてから、貸し出された小型カメラを胸に留めた。


 職員が映像を確認する。


「現場共有のみです。一般公開はしていません」

「助かります。初配信が転倒動画になるのは避けたいので」


 管理口の先は、湿ったコンクリートの階段だった。

 下り始めると、地上の車の音が消えた。


 階段の終わりで足を止めた。

 胸の奥に、いま下りてきた入口までの道が、細くつながっている。『帰還』を使えば、そこへ戻れる。途中を岩がふさいでも、歩いた道は失われない。

 ただし、今回入ってから進んできた道を逆にたどるだけで、先へは飛べない。半年前の調査で歩いた道も、今の俺には使えない。

 映像の彼女は、まだその先にいる。迎えに行く術ではないのだから、まずは自分の足で、あの水のところまでたどり着くしかなかった。


 左へ二十歩。配管の下をくぐり、錆びた作業台を越える。

 半年前には腰の高さだった土砂が、今は肩まで積もっていた。

 地図より、目の前の岩を信じる。手をかける前に叩き、靴先を置く前に重さを試す。


『三枝さん、声、届いてますか』


 受付がつないでくれた通話から、小春の声がした。


「届いてる。そっちの水は?」

『靴の底が、隠れました』

「なるべく高い場所へ。足は無理に使わなくていい。両手で体をずらせるか」

『やってみます。……あの、配信、切ったほうが。電池が二十パーセントで』


 俺は狭い岩の隙間で足を止めた。

 画面越しの灯りが、頼りなく揺れている。


「受付が映像を見てる。画面の明るさを落として、まだつないでおこう」

『こんなときまで、撮ってるって思われないですか』

「その映像があったから、場所がわかった」


 返事まで、少し間があった。


『……よかった』


 かすれた一言に、俺は息を整えた。


「小春さん。今から少し、大きな音を出す。天井のほうを見てくれ」


 坑道の突き当たり。床の亀裂へライトを向けると、五メートルほど下で、水面が光った。

 壁際に、黄色いヘルメットが見える。

 俺が工具で配管を三度叩くと、彼女が顔を上げた。


『見えます! そこ、光が!』


 すぐに飛び降りたくなる。

 だが、濁った水の下が床とは限らない。

 配管の支柱にロープを回し、荷重をかけた。動かない。もう一度確かめ、亀裂へ体を滑らせる。


 足先で壁を探りながら下りると、頭上で嫌な音がした。

 支柱ではない。亀裂の縁が、ロープに削られて崩れ始めていた。

 拳ほどの石が肩をかすめる。


 ロープが跳ねた。


「『帰還』」


 胸の奥で、道が引かれる。

 落ちる感覚が消え、膝が硬い床を打った。亀裂から一歩離れた、ついさっき自分で立った場所だ。

 遅れて、下から石の落ちる音が届いた。


『今、消え……上に?』

「戻っただけだ。そっちに石は来てないか」

『大丈夫、です』


 震えていた自分の指を、一本ずつ開く。

 戻れるからといって、落ちるのが平気になるわけじゃない。


 亀裂から離れた岩柱までロープを掛け直した。縁に保護布を挟み、崩れた箇所を避けて、今度はゆっくり下りる。

 靴底が、水の底の岩を踏んだ。


 小春が泣きそうな顔で、こちらへ手を伸ばした。


「本当に、来てくれた……」

「三枝です。地上まで運びます」


 しゃがんだところで、彼女の背後にもう一人いるのが見えた。

 岩陰で、作業着の男が横たわっている。

 水から頭を守るように、その後頭部には彼女のリュックが敷かれていた。


「落ちたあと、奥で見つけて。受付には伝えたんですけど、途中で声が切れちゃって」


 男の胸は、かすかに動いていた。

 俺は通信機に要救助者二名と告げ、首筋に指を当てた。


 自分の体を除いて、持ち帰れる重さは百キロ。

 二人を一度には、運べない。


「この人も、帰れますよね」


 小春の手が、俺の袖をつかんだ。

 濁った水が、今度は俺の足首を越えた。


 俺は二人の顔と、下りてきた壁を順に見た。

 まず一人を水の届かない足場へ。そこから、もう一度ここへ下りる道を作る。


「二人とも運ぶ。そのために、少し手を貸してほしい」


 討伐数は、今日もゼロでいい。

 俺は救助袋から、二人分の固定帯を取り出した。

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