第一話 義兄弟
連載のほうで、書き始めたら
終わるまでに何年もかかりそうなので、
短編で出すことにしました。3話でおわります。
カンの国は、弱かった。弱かったので、よく戦争に負けた。負けるたびに、外国に金を払った。土地も、たくさん取られた。
国に金がなくなったので、また税を取った。税を取る先は農村しかなかった。
だが、そのころの農村は、まだ静かだった。
貧しかった。それでも、朝になれば畑へ行き、昼になれば飯を食い、夕方になれば家へ帰った。子供は走り回り、大人は働いた。
村の水場では、女たちが洗い物をしていた。
タクには、好きな場所だった。
ランが、よくそこにいたからだ。
ランは、タクの従姉妹だ。
九つ年上なので、タクは姉ちゃんと呼んだ。
ある朝も、ランは水場でしゃがんで洗い物をしていた。
タクは少し離れたところから、その後ろ姿を見ていた。
耳の上の両側で髪を丸めて、赤い紐で結んでいる。
今朝も、用もないのに水場へ行った。
「ラン姉ちゃん! おはよう!」
ランが振り返った。
「タクちゃん、おはよう」
タクは、そのままランの背中に乗った。
真ん中で分けた髪の、白い分け目が見えた。
二つの団子のあいだを、まっすぐ後ろまで通っている。
白い首が、すぐ目の前にあった。
後れ毛が何本か、首のあたりで小さく渦を巻いている。
仕事をしているから、少し汗をかいていた。
髪から、いつもの匂いがした。
タクは、その匂いが好きだった。
「重いよう」
ランが笑った。
「もう大きいんだから、乗らないで」
「まだ乗れるよ」
「乗れないよ」
ランは水場の石に手をついて、よいしょと立ち上がった。
「ほら」
タクは背中から降ろされた。
「もう子供じゃないんだから」
「姉ちゃんだって、そんなに大きくないじゃん」
「私は大人なの」
「俺も大人になる」
「なったら背中に乗らないでね」
「なんで?」
「重いから」
ランが笑った。
タクは、その笑った顔を見るのが好きだった。
笑うと、目の下の小さなほくろが、くしゃっと動く。
タクは、それを見るといつもうれしくなった。
姉ちゃん、大好き。
そんなことを、タクは何も考えずに思っていた。
その年も、徴税の男たちが村へ来た。
国には、税を取る役人を増やす金がなかった。そこで、税を集める仕事を民間に任せることにした。
手間賃は払えなかった。
そもそも、そのための金がないから民間に任せたのだった。
集めた先で、自分で取れということだ。
それ以外に、うまくできる方法がなかった。
仕事を請け負った男たちは、刀を持っていた。
役人は一人だった。
男たちは、十人いた。
男たちが米を量った。
役人は、横で見ていた。
「その入れ方、おかしいだろう」
若い男が言った。
男たちは、手を止めなかった。
「その桝は、官の桝だ」
役人は、それだけ言った。
「でも、山盛りにしてるじゃないか」
若い男が言った。
役人は答えなかった。
男たちは、腰に刀を差していた。
若い男は、その刀を見た。
役人も見た。
村には、役人が一人。
男たちは、十人いた。
「名は?」
年寄りが口を開いた。
「わしが――」
だが、その前に若い男が答えた。
「……サクだ」
役人は帳面に名前を書いた。
「下がっとれ」
サクは黙った。
少し離れたところで、タクが見ていた。
サクの手が、震えていた。
怒っているのか、怖いのか、タクには分からなかった。
ただ、自分は何も言えなかった。
米は、荷車に山のように積まれていた。
村の者が、それを見ていた。
村に残ったのは、これだけだった。
次の秋まで、まだ長い。
その間、何を食べるのか。
草を食う。木の皮を剥ぐ。それでも足りなければ、何かを売る。
役人は、それを知っていた。
だが、男たちの腰には刀がある。
役人は一人だった。
「……まあ、いい」
こうして、役所の仕事は順調に進んだ。
農村では、順調ではなかった。
米を売った。麦も売った。鍋も売った。着物も売った。
牛は売らなかった。
牛を売ったら、来年、畑を耕せない。
だから、牛だけは残した。
その次に、何を売るか。
決まっている。
人間だった。
「誰だ」
「この子だ」
男が、少女を指した。
少女は黙っていた。
泣いてはいなかった。
泣いても、値段が上がるわけではない。
男たちの中に、一人だけ子供が混じっていた。
カイといった。
顔は怖い。
そして、髪が少ない。
後ろ髪を伸ばして結んではいるが、どう見ても立派な辮髪にはならない。
「名は」
年嵩の男が言った。
「ラン」
「年は」
「十七」
男は帳面に書いた。
それから、金を数えて渡した。
「行くぞ」
少し離れたところで、タクが足を止めた。
姉ちゃんが、知らない男たちと立っている。
タクは走り出した。
「姉ちゃん!」
ランが振り返った。
「タク」
それから、笑った。
目の下の、小さなほくろ。
「どこ行くの?」
ランは答えなかった。
答えられなかった。
カイが、ランの前に立った。
何も言わなかった。
ただ、手まねきをした。
米を積んだ車の後ろについて、二人は歩き出した。
タクは、その後ろ姿を見ていた。
見えなくなるまで。
その日の夜。
タクは母親に聞いた。
「姉ちゃん、どこに行ったの?」
母親は少し黙った。
「川下の港のある、シャンの街だよ」
「シャンの街?」
「ああ。金持ちの家に行ったんだ」
「お嫁さん?」
「そうだよ」
「金持ち?」
「そう」
「じゃあ、もう貧乏じゃない?」
「そうだね」
「よかった」
タクは寝た。
ランが売られたことを、知らなかった。
ランの家は、その金で冬を越した。
春には、また畑に出た。
それから、何年かが過ぎた。
毎年、同じ季節に男たちが来た。
毎年、荷車に米が積まれた。
ある年、北から学者が来た。
村を回っている人だった。
夜、大人たちが集まって、その学者の話を聞いた。
「弱いから、取られるんじゃ」
「みんなでまとまれば、強くなれるんじゃ」
「強ければ、不正を直せる。」
そういう話だった。
紙が回された。
みんな、指に墨をつけて押した。
まだ一三だったタクは、それを見ていた。
次の朝、その学者はもういなかった。
しばらくして、官から触れが出た。
「他の村で、紙が見つかった」
「何人も捕らえられた」
「捕らえるのにかかった金は、その村が払うことになった」
「自ら名乗り出れば、罪に問わない。」
村は静かだった。大人たちは青い顔をして黙っていた。
誰も、その話をしなかった。
その年の徴税の日は、いつもと違った。
役人が、いままでとは違う顔だった。
持っている帳面は、同じものだった。
長老が、先に前へ出た。
懐から紙を出して、役人に渡した。
役人は、それを広げて読んだ。
時間はかからなかった。
「サク」
役人が名を呼んだ。
数年前、量り方に意見をした男の名が、帳面にあった。
長老が出した紙にも、同じ名があった。
それだけの理由だった。
近くの村で出た紙にも、同じ(学者の)名前が並んでいた。
だが、そちらを追って捕まえられるかは分からない。
それより、この男を捕らえるほうが速い。
役人には、首謀者が一人必要だった。
一人捕らえれば、済む話だった。
サクは、動かなかった。
計量の男たちがサクの腕を取った。
誰も、何も言わなかった。
長老も、サクの家の者も、声を上げなかった。
タクには、何が起きたのか分からなかった。
分かったのは、みんなが知っていたということだけだった。
あのときは、何もできなかった。
今度は、誰も、何もしなかった。
ここにいても、誰も弱い者を守らない。
守れないのではない。守らないのだった。
学者が、言っていた。
知らないから、弱い。
弱いから、取られる。
だから、学ぶのだ、と。
七日後の朝、タクは村を出た。
誰にも言わなかった。
言う相手が、いなかった。
北へ行った。
ランが買われていった先の家は、大きかった。
確かに、金持ちだった。
だが、そこには女がたくさんいた。
客も、たくさん来た。
ランは、そこで働いた。
客の前では、笑わなければならなかった。
酒を注いだ。
話を聞いた。
客が笑えば、一緒に笑った。
嫌なことを言われても、顔には出さなかった。
それが、仕事だった。
最初の頃は、よく泣いた。
だが、泣いても帰れない。
帰っても、村に食べるものはない。
やがて、泣かなくなった。
それから、十年ほど経った。
カイは、シャンの街にある組織で仕事をしていた。
組織の交渉は、いつも店で行った。店の奥の席に男たちが座る。その横には、店の女が付いた。
カイの側にはよくランが付いた。
ランは客の話をよく聞いた。
誰が何を欲しがっているのか。
誰がどこで迷っているのか。
いつ話を進めればいいのか。
客は、女には気を許した。
他の客相手には言わないことを、酒の席では喋った。
ランは、それを覚えていた。
どちらの側にも付かない顔で、酒を注いだ。
カイが困ったときには、注ぐついでに一言だけ言った。
その一言で、話がまとまった。
ランのおかげだった。
カイも、それは分かっていた。
だから、ランを横に置いた。
他の女が付いたときは、そうはいかないことが多かった。
だから、カイの席には、いつもランが付くようになった。
ランは、カイの隣に座るようになった。
カイも、それを当たり前のように受け入れた。
カイは、組織の中で上に行きたかった。だから、仕事を覚えた。人を集めた。金を集めた。人を動かした。戦うことも覚えた。
戦うと強かった。商売をすると儲かった。人を使うと上手かった。カイは、何をやってもだいたい上手くできた。
上に行くためなら、何でも覚えた。
興味のないことは、覚えなかった。
食べ物にも興味がなかった。服にも興味がなかった。酒も飲まなかった。
「旦那様、お酒はいかがです?」
「いらん」
「少しくらい」
「仕事中だ」
「でも皆さん飲んでますよ」
「俺は飲まない」
「お酒、お嫌いなんですか?」
「好き嫌いじゃない」
「じゃあ、何で?」
「仕事だから」
ランは笑った。
「旦那様、今日は何を食べます?」
「なんでもいい」
「魚と肉、どちらがいいです?」
「どっちでもいい」
「昨日もそう言いました」
「そうだったか?」
「そうです」
「じゃあ昨日と同じでいい」
ランは笑った。
「旦那様って、食べ物に興味ないですよね」
「食べられればいい」
「髪にも興味ない」
「ない」
「服にも?」
「ない」
「女にも?」
「ない」
「……それは嘘ですね」
「なんでだ」
「旦那様、女の人にはずいぶん人気がありますよ」
「そうか?」
「そうですよ」
「知らん」
「知らないんですか?」
「仕事をしてるだけだ」
「それが格好いいんですよ」
「そういうものか?」
「そういうものです」
「私がいるじゃないですか」
カイは黙った。
「……そうだな」
ランは笑った。
そのころ、タクは十八になっていた。
北の、学者のいる街にいた。
小柄で、顔は子供のままだった。
髪だけが、やたらと多かった。
辮髪が、首の太さほどあった。
朝は学校で子供に字を教えた。学校といっても、部屋が一つあるだけの場所だった。午後は人夫に出た。荷を担ぎ、土を運び、日が暮れるまで働いた。
学者の家で本を読ませてもらえるのが、給金の代わりのようなものだった。
タクは、よく学んだ。
字を覚えると、いろいろなことが分かった。
なぜ税が上がるのか。
なぜ村から人がいなくなるのか。
誰が悪いのか。
調べていくと、誰も悪くなかった。
みんな、自分の仕事をしているだけだった。
仕組みがそのようになっているとわかった。
それが、いちばん嫌だった。
何を、どうすればいいのか。
タクには、分からなかった。
一人だった。
村を出てから、村の人間には一度も会っていない。
そのころ、タクはよくランの夢を見た。
子供のころの夢ではなかった。
夢の中のランは、大人だった。
長い髪をほどいていた。
月明かりの下で、髪が肩から背中へ流れている。
「タクちゃん」
振り向いて、笑う。
昔と同じ笑い方だった。
それなのに、息が浅くなる。
ランが近づいてくる。
一歩。
また一歩。
タクは動けない。
逃げようとしているのか、待っているのか、自分でも分からない。
いつも、そこで目が覚めた。
朝だった。
顔が熱い。体も熱い。
何の夢だったのか、よく覚えていない。
ただ、髪の匂いだけが、妙にはっきり残っている。
「……姉ちゃん」
タクはしばらく天井を見ていた。
自分が何を考えていたのか、考えたくなかった。
布団を頭までかぶった。
ある日。
学者の用事で、タクはシャンの街へ出た。
人混みの中を歩いていると、後ろから声がした。
「タクちゃん!」
タクは振り返らなかった。
聞き慣れた声だった。
そんなはずはない。
もう十年も経っている。
最近は夢の中で何度も聞いているから、とうとう昼間まで聞こえるようになったのかもしれない。
「タクちゃんてば!」
今度は、すぐ後ろから聞こえた。
タクが振り返った。
女が立っていた。
ものすごくきれいだった。
艶のある髪。
きれいにまとめられた髪。
着物の着こなし。
立ち方。
笑い方。
何をしても、男の目を引く。
女は、ためらいもなくタクに近づいてきた。
「タクちゃん」
両手を握られた。
タクの体が固まった。
近い。
いい匂いがした。
髪の匂いがした。
それだけではない。
女の笑顔が近すぎる。
タクは、手を振りほどくこともできず、真っ赤になった。
女は、そんなタクを見て楽しそうに笑った。
「どうしたの?」
タクは、初めてまともに女の顔を見た。
きれいな目だった。
その目の下に――
小さなほくろがあった。
タクの頭の中で、十年前の水場がよみがえった。
白い首。
後れ毛。
汗の匂い。
髪の匂い。
そして、笑ったときにくしゃっと動く、あのほくろ。
「……姉ちゃん?」
女は笑った。
「やっと分かった?」
「姉ちゃん……なの?」
「そうだよ。ランだよ」
タクは、しばらく何も言えなかった。
夢の中で何度も見た女が、目の前にいる。
しかも、夢よりずっときれいだった。
ランは、タクの顔を両手で挟んだ。
「大きくなったねえ」
「姉ちゃんも!」
タクは少し考えてから言った。
「きれいになったから、分からなかった」
ランは少し膨れた。
「昔は可愛かったでしょ」
「うん」
「じゃあ、よし」
「ずっと探してた」
「そうだったの?」
「うん」
ランは少し黙った。
「元気だった?」
「元気」
「よかった」
それから、ランはタクの髪を見た。
「まあ……」
「何?」
「髪」
「髪?」
ランは、タクの髪を両手でつかんだ。
「相変わらず多いねえ」
「そうかな」
「昔から多かったけど、もっと増えたんじゃない?」
「そうかな」
「そうだよ」
ランは笑った。
「こんなに多い人、見たことないよ」
タクは照れた。
「姉ちゃんだって、昔よく言ってたじゃん」
「言ってたねえ」
ランは、懐かしそうにタクの髪を撫でた。
「タクちゃんの髪、すごく多かったもんね」
その手の感触に、タクはまた固まった。
「……姉ちゃん」
「なあに?」
「近い」
「昔は背中に乗ってきたくせに」
「それは子供のころだよ」
「今も子供みたいな顔してるけど」
「……」
ランは楽しそうに笑った。
「タクちゃんも、いろいろあったんだね」
「うん」
「私はね、元気だったよ」
「そうなの?」
「うん」
ランは少し得意そうな顔をした。
「旦那様がいるから」
「旦那様?」
「そう」
ランは嬉しそうに話し始めた。
「強いんだよ」
「へえ」
「仕事もできるし、お金持ちだし。みんな旦那様を頼りにしてるの」
「へえ……」
「ただね」
「ただ?」
「髪が少ないの」
タクは少し黙った。
「でも、それ以外は本当に格好いいんだよ」
ランは、そこだけは念を押した。
そう言ったときの顔を、タクは見ていた。
「……そっか」
「うん」
「ねえ。今日はもう用事ないの?」
「うん」
「じゃあ、ご飯食べていこうよ」
「いいの?」
「もちろん」
「どこで?」
「うち」
「旦那様もいるけど」
「大丈夫だよ」
ランはタクを連れて歩き出した。
店に戻ると、カイがいた。
「旦那様、お帰りなさい」
「ああ」
カイはタクを見た。
「……誰だ?」
タクが止まった。
「俺です」
「誰だ?」
「タクです」
「……」
カイは少し考えた。
思い出せない。
タクは、昔のことを知っている。
カイは、昔のことに興味がない。
だから覚えていなかった。
「昔、村からラン姉ちゃんを連れて帰った人ですよね」
カイはランを見た。
ランは、少し笑った。
「そうですよ」
タクは嬉しそうに言った。
言いながら、涙が出てきた。
村を出てから、一度も出たことのなかった涙だった。
「ラン姉ちゃんをずっと守ってくれたんだね」
「……」
カイは何も答えなかった。
タクは勝手に納得した。
この人が姉ちゃんを守ってくれたんだ。
「兄さん」
「なんだ」
カイがタクを見た。
「兄さんって呼ぶのか?」
「うん」
「そうか」
三人で飯を食った。
カイは黙って食べていた。
タクはよく喋った。
ランは二人の話を聞いていた。
「兄さん、これ食べる?」
「いらん」
「じゃあ私がもらう」
「ああ」
「兄さん、明日はどこに行くの?」
「分からん」
「じゃあ、旦那様」
「なんだ」
「つけ辮髪の店があるんだけど」
「そうか」
「行ってみない?」
「好きにしろ」
ランは笑った。
タクは二人を見ていた。
なんだか、甘い。
見ているだけで、口の中が甘くなる。
タクは苦笑した。
後日、三人でその店へ行った。
「いらっしゃいませ」
店主が頭を下げた。
「つけ辮髪をお願いしたいんだけど」
ランが言った。
「はい。どなたのですか?」
「この人」
ランがカイを指した。
店主はカイの後ろ頭を見た。
「ああ……」
少し考えた。
「今日は申し訳ありません」
「なんだ?」
「材料がないんです」
「材料?」
「はい。ちょうど切らしてしまいまして」
タクが言った。
「じゃあ、ぼくの髪を使ってよ」
「タクちゃん?」
「兄さんのだもん」
タクは、もう髪をほどきはじめていた。
「切っていいよ。どこでも」
「・・・そんな」
「いいから」
タクは生え際を指した。
「ここ、少し剃るから」
店主は嬉しそうに、タクの頭を見た。
「十人前は取れますよ。」
それから、剃刀を取った。
剃ったのは、生え際のほんの少し。
爪の先ほどの幅だった。
店主は、取れた髪を束ねた。
束ねて、驚いた。
それから、もう一度束ね直した。
「……お客さん」
「なに?」
「これで、足ります」
「よかった」
「というより」
店主は、束を持ち上げてみせた。
太さは、親指と人差し指で作った輪ほどもあった。
「立派すぎませんか」
タクは自分の頭を触った。
「そう?」
どこを剃ったのか、見ても分からなかった。
店主は、その髪でカイのつけ辮髪を作った。
出来上がった辮髪を、カイが後ろから見た。
ランは目を輝かせた。
「まあ!」
カイの後ろ姿を、ぐるりと回って見る。
「すごい!」
「そんなにか?」
「すごいよ。旦那様、立派になったねえ」
ランは嬉しそうだった。
「ほら、タクちゃん。見て」
「うん」
タクも笑った。
「兄さん、格好いい」
カイは鏡を見た。
確かに、以前より立派だった。
「……悪くない」
ランは嬉しそうに笑った。
「でしょう?」
「ああ」
ランは懐から赤い紐を出した。
「これ、つけてもいい?」
「好きにしろ」
ランは辮髪の先に、赤い紐を結んだ。
「ほら」
赤い紐が、辮髪の先で揺れた。
「かわいい」
「俺の頭だぞ」
「いいじゃないですか」
ランは満足そうに笑った。
タクは、その二人を見ていた。
昔、水場で見た姉ちゃんの髪にも、赤い紐が結んであった。
あの頃は、こんな日が来るなんて思わなかった。
「……姉ちゃん」
「なあに?」
「いや」
タクは笑った。
「なんでもない」
次に会ったとき、カイはもうつけていなかった。
「兄さん、辮髪は?」
「外した」
「なんで?」
「邪魔だ」
「ええ?」
ランが口を挟んだ。
「せっかく似合ってたのに」
「仕事にならん」
「もう一度つけてくださいよ」
「つけん」
ランは膨れた。
タクが笑った。
その少しあと、カイの仕事が一つ止まった。
荷が来なかった。
次の日も来なかった。
「どうなってる」
「北で、止められたようです」
「誰にだ」
「分かりません」
カイは帳面を閉じた。
「調べろ」
「はい」
カイは、それ以上何も言わなかった。
興味がなかったからではない。
まだ、小さな話だったからだ。
タクは、その横で茶を飲んでいた。
何も言わなかった。




