Loop96. 5話 タイムレポート1999.2
「とま!とま!」
脳髄を直接凍らせるような不快な声。
速度計の針は既に振り切れかけているが、異形はなおも背後にへばりついている。
ジュリは片手でセンターコンソールを開け、鈍い銀色の塊――45口径の拳銃を引っ掴むと、それをシガーソケットの横の暗号スロットへ叩き込んだ。
「偽装解除。支援機構【クリスト】――起動」
彼女の声を認識した瞬間、コンソールの液晶が青く輝き、赤い車体が生き物のように変形を始めた。
ハンドルが戦闘用ステアリングへと組み替わり、背面の排熱機構から美しい銀色の反物質粒子が吹き荒れる。
強烈な推進力に、シートへ身体が沈み込んだ。
【おはようございます、マイスター】
「やあ、おはようクリスト! 早速で悪いんだけど、運転を任せていいかいッ?!」
【了解。自動回避シーケンスを開始します】
車載スピーカーから響く男声の低音と同時に、ジュリはソケットから拳銃を引き抜き、激しい風圧の中で座席の上に立ち上がった。
銃口を背後へ向け、ノーエイムのまま引き金を連打する。
ズドン、ズドンと重い銃声が荒野にこだまし、月明かりの闇の中に閃光が明滅した。
「だい!だい!ととろ!」
しかし、弾丸はすべて異形の外皮に弾かれ、火花を散らすだけにとどまる。
「うわ、硬っ。妖魔ってこんなに硬いの?」
【計測。構成する外皮に2038年代の重装甲車両と同等の分子硬度を確認。現地の通常兵器での打突効果は薄いと推測されます】
「ええい、面倒な!」
【『抹消機構』の使用を推奨。ただしエネルギー残量を考慮し、一発のみに留めてください】
未来のオーバーテクノロジーを現代で維持するのは容易ではない。
この手の超兵器の稼働には、2121年にしか存在しない特殊エネルギー源【灰素】が必要となる。
補給の利かない今、残弾はこれからの戦いすべてを含めても『7発』が限界だ。
だからこそ、今までの周回では一度も使わずに隠し持っていた。
「でも、サキに会いに行くって約束しちゃったしね」
これに絡まれたままでは街へ入れない。
騒ぎになれば死にはせずとも、日本行きのフライトを逃してしまう。
ジュリは怒りに狂う単眼の異形を鋭く見据えた。
外皮が硬いのなら、狙うべきはただ一つ。
――――開かれた口腔の内側だ。
「まずは通るか確かめる。クリスト、ひと当てして離脱。後方支援を」
【了解。遠隔支援に移行します】
――キキィィィッ!
とタイヤが悲鳴を上げ、車体が猛烈な慣性でスリップする。
相対的に、追ってきていた妖魔が目の前まで肉薄した。
接触のその瞬間、ジュリは座席から跳躍し、左足を妖魔の顔面へと鋭く叩きつけた。
激しい金属音が炸裂し、強烈な火花が散る。
地表に凄まじい質量が叩きつけられ、派手な土煙が上がった。
その衝撃を利用してバックフリップで空中に逃れたジュリは、しなやかに荒野へ着地し、手首を軽く振る。
「左脚部生体偽装、限定解除。地表より構成元素の抽出を開始。疑似外装構築――」
彼女の呪文に応じるように、スウェットから覗く左足のナノマシンが変形を開始する。
地面から吸い上げられた微細な鉱物粒子が脚部へ集束する。そして、蒼い雷光を伴いながら淡く光を放った。
次の瞬間には鈍色に輝く鋼鉄の足鎧へと姿を変えた。
【対象、再起動。熱量の急激な変動を感知】
耳元のインカムからクリストの警告。
それと同時に、ジュリは妖魔の側面へと地を滑るように回り込んだ。
「るあ!るあ!るあ!」
土煙を裂いて、妖魔の口から赤熱した光線が照射される。
真っ直ぐに荒野を切り裂く熱線。
それはジュリが先程までいた地面をドロドロに融解させ、遥か後方で爆発した。
「わお。あんまりバカスカ撃たせたくないね――っと!」
間髪入れずに二発目。風船のように膨らんだ異形の口腔の奥で、次の破滅の光が瞬く。
ジュリはそれを見逃さず、極限まで身を低くして突進した。わずかに軸を右にずらし、滑るように地を駆ける。
――じゅっ、という髪の毛が焦げるような音を残し、熱線が左耳のすぐ横を通過した。
恐怖を置き去りにして、一気に間合いを詰める。
地面を蹴り砕きながら、左足による超低空の跳躍。
ほぼ寝そべるような格好のまま、未だ口を開けたままの妖魔の懐へと一瞬で潜り込んだ。
腕と肩で荒野の砂を滑りながら、相手の真下へ。
そしてその勢いのまま、鋼鉄の左足を妖魔の下顎へと跳ね上げた。
ドゴォッ!という重苦しい衝撃音とともに、巨体が宙へ打ち上がる。
「クリスト!!!」
【了解。衝撃弾支援――作動】
愛車からの遠隔射撃。
妖魔の身体がさらに上空へと弾き飛ばされ、遅れて複数の重低音が荒野に響く。
それを見届け、寝そべった体勢のまま、ジュリは銀の拳銃を上空の巨体へとまっすぐに突き出した。
右腕を肘と肩で完全に固定し、照準を固定する。
「制限解除」
【解除申請――了】
「抹消申請」
【抹消対象照会――脅威認定。特務規定に基づく強制権を行使――了】
【システムオールクリア。これより、因果律抹消機構を展開します】
重力に従い、妖魔がゆっくりと降下してくる。
こちらを食い殺さんと、その大きな口を開けながら。
ジュリの構える銃身が、パチパチと青白いプラズマの光を放ち始めた。
アーク放電の電弧が蛇のように地面を這う。
極限まで加速した思考の中で、世界が引き延ばされ、すべてがスローモーションに変わっていく。
じわり、と額から汗が流れるのを感じる。
まさに、乾坤一擲。
妖魔が彼女を押しつぶし、その顎が届く、まさにその刹那――。
カチリ、と引き金が落ちた。
「――【ロストバレット】」
一筋の、極大の蒼光が天を穿った。
一瞬の目眩むような閃光。
直後、終末を予感させるような、世界を震わせる重低音が空へ響き渡る。
【――脅威の消失を確認。前後時間軸の全データから、対象を完全にロスト(抹消)しました】
「ふーっ……。相変わらず、とんでもない威力だよこれ」
ゆっくりと上体を起こし、ジュリは額の汗を拭った。
先程までそこにいた妖魔は、肉片どころか、塵一つ残さず時間の因果から消滅している。
この先の周回でも、この個体には“二度と”出会うことはない。
【これよりマイスターをお迎えに上がります。その場でお待ちください】
「りょーかい。あーーーー、つかれた!」
戻ってくる愛車――クリストを待つ間にジュリはもう一度、荒野の地面へと背中を預けた。
読んでいただきましてありがとうございます!
次回は 7月5日 更新でございます!
次のお話はあかりが主役です!
どうぞお楽しみにお待ちいただけましたら嬉しいです!




