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アシムは少し落ち着いた気分で、再び『引弦』に構える。
剣を貸してくれた少女のほか、敵だらけの道場かともったが、ケープ書記長だけは、少なくとも中立のようだ。
それにアシムは太子のうち最年少の少年だけが、特にアシムに対して嫌悪の感情を抱くことなく、興味深そうに成り行きを眺めていることに気が付いた。その側近の男は、興味なさそうにあくびをかみ殺しているだけ。
近衛になる目は、まだ死んでいないのかもしれない。
そう考えてから、いったんアシムはすべての邪念を捨てて目の前のヨシンに集中した。
相手の構えは、やや上に振りかぶった星目。それが、ヨシンの得意の構えなのだろう。
互いに、じりじりと間合いを詰める。そして間合いに入ると、二人の歩みは止まった。
ヨシンははじめの二戦のように、仕掛けてこない。
本気だ、ということなのだろう。正統剣術は本来、受け身の剣術だ。
正統剣術ではその基本として、常に自分を『静』のなかに置く。徹底的に『静』を極め、相手の『動』に隙を見つけ、そこを撃つ。それが正統剣術の考え方だ。
対して、「外法」の刀術。
アシムはヨシンに対して振り上げた剣先を、微細に振動させている。
蛇舌、と呼ばれるこの細かな動きを、正統剣術は未熟のあかしだとしている。自らを鎮めることのできない、『静』の境地から離れた、落ち着きのないあかしだと。
しかし刀術ではこの蛇舌こそが極意だと考える。じじいは昔、アシムに言った。
『街中のひょろ坊たちの剣術ってのはなぁ、ありゃあ怠けもんの技だよ。『自らを静に置き、相手の動を撃つ』なんて偉そうに言うけどなぁ、要は怠けて動きたがらないだけだぁ。』
――ヨシンはますます静かになり、道場には鉄のような沈黙が落ちた。
ヨシンも若くして師範代を務める男だ。その沈黙は、気迫は、道場の空気を支配している。
判事はその様子を見て、勝てる、と思った。
少しでもアシムが動いたならば、その刹那、師である判事ですら受け流すことの難しいヨシンの剣がアシムの頭蓋を砕くだろう。
アシムもその空気を察して、仕掛けない。しかしこの沈黙は、ヨシンの放つ『静』は、いつか相手を隙だらけの『動』に駆り立てる。
そのときが、貴様の終わりだ――
そう考えながら判事の見るアシムの剣先は、微細な動きを続けていた。
その動きは、相手の呼吸を図る動き。
『動かないとなぁ、確かに相手の動きはよく見えるんだが、知らず知らずのうちに呼吸が死んじまうんだぁ。一瞬でも呼吸が死んだら、戦場では命取りだぁ。』
いっとき、沈黙が続いた。道場のだれも、ケープですらも、咳払いすらできないような沈黙。その沈黙のもとは練り上げたヨシンの剣術だ。誰もがこの場を支配しているのはヨシンであり、アシムにはなすすべがないように見えた。
押されている。そう思いながらも、アシムは剣先を震わせながら自分の呼吸を保ち、同時にヨシンの呼吸を探っていた。ヨシンの呼吸は安定しているようで、しかしその剣術の性質上、緩やかに小さくなっていった。
そして、一瞬。本人も気づかぬ針先のようなわずかな空白。
ヨシンの呼吸が、死んだ。
アシムの剣は、蛇の舌先のようにその獲物の空白を捕らえる。
「――」
このときも、アシムは無言。刀術は、盗術だとじじいは言った。相手の呼吸を盗む技。盗みのときに声を上げる馬鹿はいない。
勝敗が決したことに、アシムのほか、はじめに気が付いたのは、アシムが剣を借り受けた少女のルクスだった。
ヨシンの沈黙に誰もが気おされている中、彼女だけがアシムの動きを追っていて、
「あ、」
と少女が声を上げたときには、アシムが右手に振り上げていた剣の切っ先が動き、その切っ先がぴたりとヨシンののど元に突き付けられていた。
ヨシンの沈黙に支配され、その呼吸に同調していた道場の人々は、その本人と同じくヨシンの呼吸の空白を衝いたアシムの動きに、気が付くのに時間がかかった。
最後に気が付き、驚いたのはヨシンだった。かれは、かれの『静』の中でアシムの動きすべてを、感覚していたはずだった。
しかし、ヨシンは自らの呼吸を忘れていた。その呼吸が死んだ隙を突かれ、いわばかれの意識のはざまでアシムは動いた。
ヨシンにとってみればまるで刻が消し飛び、その消し飛んだ刻のさなかに、アシムが動き、気が付けば剣を突きつけられている、というふうだった。
判事も気が付き、そして悔しそうな顔をしたが、すべてが遅い。ヨシンが指一本でも動かせば、アシムの突き付けた剣先はその喉元を潰してしまうだろう。
うめくような声で、判事は言った。
「勝ち、アシム、負け、ヨシン。二勝先取につき、アシム、合格……ヨシンは二回戦を待て……」
そうやってアシムの近衛試験の第一部の合格が決まった。
土日はお休みします。
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