3 私の場合
兄と姉の事例を元に考えてみよう。
彼らの問題点は何だったのか。いくら私でも、これだけグダグダな恋愛模様を二件も見せられればその欠点などお見通しだ。
それはズバリ! コミュニケーションである。
とりあえず、相手に何か思うところが出来た時点で当人同士でじっくり話し合ってしまえばこれらの問題は全く起こらなかったに違いない。
相手への信頼も愛情も大切である。情報はもちろん重要である。それ以上に、相手が何を考えているのかということを相手の口から聞くことが必要なのである。
こんなこと言うまでもなく分かっている、と兄も姉も思っていただろう。しかしそれが実行できなかった。それが「恋」の力である。こわい。
さて、これらのことを前提に、私がとるべき行動とは何か。
1.恋をした相手と両想いになる。
2.恋をした相手の周辺の情報収集をかかさない。
3.問題があれば相手と直接コミュニケーションをとり、信頼関係の持続を図る。
うむ、これだ。
これさえ遂行できれば、後に待っているのはらぶらぶいちゃいちゃで心穏やかな結婚生活だ。
問題は、1の任務が中々遂行できないということである。
それでも、我が国の後継夫婦に問題はないし私もまだ焦るような年でもない。暇な時に見合いでもしていればそのうち好きですと言ってくる男が現れるだろう。
なんてのんびりと構えていた私に転機が訪れたのは、姉の子供を見るため隣国に滞在していた時だった。
隣国隣国と簡単に表記しているが、実際は大陸を東西に分けるように縦断している大河を渡った先にあり、行くのに結構手間がかかる。この大河、渡るのに船で一週間はかかり、しかも今回は姉の出産ということで国からの大量の祝い品を積んでの移動だったから、とても大変だった。
初孫にハッスルした両親がはりきって用意したものなので質も量も明らかに普通ではなく、それを見て呆れたような怒ったような顔をした姉も、最後には嬉しそうに笑っていたからよしとしよう。ちなみに初甥にハッスルした私と兄が新しく船を造り甥の名前をつけて東西の大陸を結ぶ巡航船に加えさせたというのには流石に親を差し置いて勝手なことをと怒られた。義兄からはその手があったか!みたいな顔で見られた。勝手をした自覚はあるので殊勝に謝っておいたが、私達にお祝い以外の変な気持ちがないことは分かっているし、何より先を越されたのが悔しかったらしい。姉夫婦も息子にメロメロということである。
あと甥はとてもとてもとても可愛かったです。姉の子供ってだけで可愛いのに赤ちゃんというものの破壊力を舐めていた。これは兄夫婦にも早く生んでもらおう。
この世界で一番大きい大陸を南北へと裂くようにして走る河、それを境にしてそれぞれ東西の地域を東大陸・西大陸と呼んでいる。
東大陸は西大陸よりも小さくほとんどが樹海で覆われ、国は一つしかない。これが我が国である。そしてその対岸、西大陸の川岸にはいくつかの小国が散らばっており、これらは広大な西大陸の内陸の方から開拓に来た者達がそのまま開国したという歴史から、ほとんど同じ時期に建国したと言われている。
そのためこの辺りの建国祭は周辺の複数の国家が合同で行うこととなっており、姉が子供を出産したということもあって今年は隣国が祭の会場となったらしい。
つまり、現在隣国ではお祭り中なのであり、私はその祭りを心行くまで楽しもうと城下へと繰り出していた。屋台巡りである。複数の国が参加しているだけあって本当に多種多様な品物が集まっており実に見応えがあるのだ。
そんな屋台の一つで、私は一人の少年と出会った。
少年というには少し齢がいっていたかもしれない、けれど祭りを楽しむその屈託のない笑顔は男を幼く見せた。
隣国に滞在している間にすべての食べ物屋台を制覇しようと朝から夜まで精力的に活動していた私は、同じように行動していたらしい少年とほとんどの屋台でかち合い、最終的には意気投合して共に屋台を巡る仲となっていた。穏やかな性格のくせに以外と大食漢で、物言いに遠慮がない少年とは不思議なほど馬があった。
当然のことながら護衛として常に従者が二人ほどついていたのだが、それを見ても少年は平然としていたのでぼんやりと平民ではないのだろうと思っていたが、不思議と少年の身分を知りたいとは思わなかった。何より、彼と一緒にいるのがとても楽しかったので、私自身余計なことを考えたくなかったのかもしれない。
建国祭の間隣国に滞在していた私は、祭りが終わると同時に帰国することとなった。
姉と甥と別れるのはとても寂しく、実はこれでも滞在期間をだいぶ引き延ばしていたのだけどいい加減城の者達の視線が痛くなってきており、特に義兄の嫉妬の目がうざったくて滞在延長を言い出せない雰囲気だったのだ。奴が仕事してる間にずっと姉と甥に張り付いていたのと、甥が私にすこぶる懐いていたのが気に食わなかったらしい。器の小さい男め。
それにしても憂鬱であった。
別段、この国が特別好きというわけではなかったのに、帰国の日が近づくにつれて気分が沈んでくるのは何故なのだろう。散々姉充したのだから、単純に姉と離れがたいだけとは言いにくい。
今までに感じたことのない、未練がましい気持ちを不思議に思いながら屋台や祭りの飾りが片づけられていく街を歩いていると、旅支度をした少年に出会い、そこで私は初めて気付いた。
この少年ともう会えないのが嫌なのだと。
自分の気持ちに内心衝撃を受けつつも納得していた私は、少年の旅に出るという言葉に思わず食いついていた。
旅! 旅ね。そう、旅。うん、兄も言っていました旅は良いものだと。可愛い子には旅をさせよと。そもそも兄が旅に出るのはよくて、私が駄目だというのは筋が通らない。いくら剣では兄に勝てないとはいえ魔法はそこそこの腕なのだ。いや姉には敵わないが、そこら辺の魔法使いよりは使える。だから問題はない。そうだそうだ。
少年に城門で待つよう告げて、私は急いで城へと戻った。ばたばたと姉家族に別れの挨拶を済ませると従者達全員に土産物を国へ持って帰るように言いつけ、私はこのまま旅に出るので文句は兄に宜しくと全て兄に押し付けて、最低限の荷物を引っ掴んで城門へと急いだ。
そして素直に城門で待っていた少年を捕まえると、正気に返った従者達が追ってくる前にさっさと隣国を後にした。自分で言うのはなんだけど、私の行動力って凄いんじゃないだろうか。もっと褒めてくれてもいい。いやあそれほどでも。
ちなみに少年にはついて行って良いかと(事後)確認したら、何故かしきりに従者達に同情するだけで私が来ることには特に不満はなさそうだったので問題はないだろう。むしろちょっと嬉しそうだったので彼も一人旅が寂しかったのだろう、結果オーライというやつだ。
国を出た後船に乗るとのことだったので、せっかくだから甥の名前の船に乗ってみた。なんかニヤニヤした。
一週間の船旅を楽しみながら、何故一緒に来たのか? と問われたので改めて何故かと考えてみた。
旅に出たかった、これもある。
少年と別れるのが嫌だった、これもある。
何故別れがたかったのか? それは――――
せっかくできた友達ともう会えなくなるのは寂しいから。
精一杯の親愛を込めて答えたら、ちょっとがっかりした顔をさせてしまった。
何か間違っていたのだろうか。
どうも友達というものは初めてなので、どう友情を表現したら良いのかさっぱりだ。
さて、この無理やり始まった旅であるが、この少年の目的地はなんと我が国らしい。
うん、旅、出れてない。
どう見てもただの帰国(徒歩)です、どうもありがとうございました。
最初は初めての友人と、初めて見る景色と、初めて体験することばかりで楽しくてたまらなかったのだが、だんだんとこれはマズイ事態なのではないかと思い始めてきた。
少年がやたらと 魔 王 と口にするのだ。
曰く、僕は魔王を倒すための旅をしている。
曰く、目的地は魔王城だから、着いたら君と別れなくてはならない。
曰く、魔王は危険な相手だから、もし僕が帰ってこなかったらどうか僕のことは忘れて欲しい。
そして、何故たった一人で一国の王を倒そうとしているのか? と恐る恐る尋ねた所、少年は僕が勇者だから、と答えた。
涙が止まらなかった。
勇者(笑)って……
なんでも、少年は西大陸のずっと内陸――聖王国と呼ばれる大国の王子らしい。王子と言っても何十人もいるうちの一人で、母ももう亡く継承権などかすりもしない位置にいたらしい。その中で少年は聖王国にて特別視される精霊との契約を成功させ、そのせいで少年の台頭を恐れた兄王子達に魔王討伐の任をなし崩し的に押し付けられなんやかんやで旅に出たらしい。一人で。ぶわっ。
ま、まあ百歩譲って今現在まったく! 何も! 問題が起きていないというのに、いきなり魔王討伐という話が出てきたことにはまあ納得しよう。昔から、魔王が悪だという概念は世界中で信じられているのだからまだ分かる。それでもって、精霊と呼ばれる特別な存在と契りを交わした者を少年の母国では「勇者」と呼ぶのだということも、まあめったにいない特別な存在らしいしそういう国の慣習であるというなら理解できる。
でも、明らかに少年が討伐に成功することを期待していない聖王国とやらの態度には大人しく頷けそうにない。
まず装備が普通。一国の主を落とすというのに普通。聞けば準備金などほとんどなかったので全財産を旅費に充てたところ装備は無理だったらしい。もう……ぶわっ。
そして仲間。一国の主を落とすというのになんで一人? 王子なんでしょ? 精霊はいるうちに入りません、見えないし。まあ理由としては準備金と同じだったぶわっ。聖王国つぶれろ!
話を聞きながら涙をぼたぼた垂らす私におろおろしていた少年は、私が少年の母国への呪詛を吐いたところで少し照れくさそうに呟いた。
でも、国を追い出されたおかげで君と出会えたから、ちょっと感謝してる。
追い出されたって、言っちゃってるよ……
誤魔化すように突っ込んでみても、変化は劇的だった。
少年の言葉を聞いた途端不思議と体がぽかぽかし、はにかんだ笑顔に鼓動が早くなって、なんとなく顔も熱い気がする。熱でも出たのだろうか。
頭の中では花畑が広がっていた。この感情はなんだろう、嬉しい? そうか……考えてみれば、私も少年と出会えたことは嬉しい。大切な友人なのだから。胸糞悪い国だが、確かにその点に関しては感謝してやってもいい。
何故か私の顔をガン見してくる少年から視線を逸らしつつ、ほてった頬に手を当てる。落ち着け、素数を数えて落ち着くんだ。
私はちょっと冷静になった。少年の視線は私の顔に張り付いて離れないけど、冷静になったのだ。ここで、前述したマズイ事態という話に戻る。そう、だいぶ脱線したがこの少年の話の中で何が問題かというと――
私の父が 魔 王 と呼ばれている事ですね。
oh……
これは、なんというか……めんどうなことになった気がする。
少年は好きだし友人として協力したい、けれど父を殺されるのは真っ平である。
こんな複雑な胸中を抱えたまま、結局少年には何一つ打ち明けることができずついに私達は魔王の国へ――つまり我が母国へと到着した。
着いて早々に変装した私は、不思議そうな少年の目を避けるようにして情報収集をしてくるという建前で一人になった。仮にも生まれ育った国である、私の顔を知っている者がそこらじゅうにうようよしているのだ。少年も聖王国で育った分「魔王」を悪として捉えている。私がその血縁だと知られるのが、なんとなく……なんとなく、怖かったのだ。きっと、魔王の実子ということよりも、それを隠していたことの方が少年にとっては裏切りに感じるだろう。でも、どうしようもなく怖かったのだ。だから結局言えなかった。
自分でも何故かは、わからない。
一人になった私はとりあえず急いで、そしてこっそりと城へと戻った。
聖王国のこととか勇者のこととかいろいろと父に話したいことがあったのだが、実際に父と対面するとその言葉はしゅるしゅると喉の奥へと引っ込んでいった。
あの聖王国が精霊の勇者を送り込んできたらしい。あの国は本当にろくなことをしない。
私に牙を剥くというなら、とことん 思 い 知 ら せ て やろう。
oh……
これは、なんというか……チクったらころされてしまいますね。
遠い目をしてきゅっと口を引き結んだ娘をどう思ったのか、勇者を見つけたら私の所まで連れてこい、とかけられた言葉を背に私は王座の間からのろのろと退室した。
右の頬をつつかれたら相手の鼻っ柱に拳をぶちこむ父だ、私のとりなしがあってやっと命があるかなーくらいだろう。ぼろぼろになった少年を想像してぞっとした。
父が殺されるのも嫌だし、少年が傷つくのも嫌だ。ならば、少年が城に乗り込み父と対峙する前に、なんとか解決するよう算段をつけなければならない。
やることを決めた私は、少年と同じ宿に戻ると勇者が一人で突っ走らないよう牽制しつつ、変装して本当に情報収集に奔走した。
幸いなことにずっとぼっち旅だったおかげか、勇者は一人パーティーの男という風に広まっているらしく、ここの所私と一緒に行動していた少年なら目立ったことさえしなければすぐにバレることはないだろう。
私と一緒に特攻するつもりはないらしく、暗い顔で別れを切り出そうとする少年を無理やり遮りながら、たまに縋り付き、最後は泣き落とし、そうして押さえた時間を使ってこの国の民達が勇者のことをどう考えているのか探っていった。
情報を集めに、日銭を稼ぎに、侵入経路を探りに、日々様々な言い訳を駆使して出かける私に、ついてこようとする少年に心を鬼にして厳しい言葉を投げかけ、悲しそうな悔しそうな顔で引き下るのを確認しては王都を駆け回った。
正直少年のそんな顔を向けられるたびに死ぬほど心が痛んだが、でもこれは全て彼のためなのだ。本当のことは言ってないけど、でも、私は少年のために動いているのだから、許してほしい。結局はそのことが一番心に引っかかっていた。
もうどれくらい彼の笑顔を見ていないだろうか。
少年との心の痛む攻防を繰り広げながら、そうしてわかったことは、民や城に仕えている者達はそれほど勇者を邪険にしていないということだった。というか、だいたいが「勇者(笑)」という反応だった。聖王国……
となると、問題は勇者と相対するのをワクワクして待っているのが魔王だけということだ。勇者の方から来なければ、いくら王の命令があるといっても国の外まで探しに行ったりはしない。というか最悪王都にいるのがバレても、無差別に暴れまわったりしなければ魔王にさえ見つからない限り見逃してくれるだろう。城の補修をするのにはお金も手間もかかるのだ。勇者がぼっち旅、の時点で舐められまくっている。
これで、私にも解決策が見えてきた。
つまりは魔王に戦いを挑まなければよいのだ。
そして少年が聖王国へ帰れないというのなら、大人しく暮らすことを条件に王都に家と職を用意することだってできる。むしろ勇者であることを隠して城に勤めるのもいい。少年は剣の腕は確かだし、魔法も使える。ただこれは、少年が国へ帰れなくてもいい、という前提での話であって、そこはきちんと話し合わないといけない。私だったらあんな国帰りたくないけど。
そこでふと思った。そういえば少年からは、あまり魔王を倒すという意気込みが見えてこないな、と。もし早く国に帰りたいのなら、隣国でも祭りが終わるまで未練たらしく屋台に居座るような時間の使い方はしないだろう。
なんだか、この考えが上手くいきそうな気がしてきて私は気分が良くなった。何より、この考えの良いところは少年が王都に住むということだ。そうしたらいつでも会えるではないか!
今朝、少年に無視されて落ち込んでいた気分がたちまち晴れ渡った。よし、そうしたら今すぐ宿へ戻って、少年にこの話をしなければ、ああでもこの時間に部屋にいるだろうか、出かけていないだろうか。
そうしてソワソワした気持ちで宿に駆け込んだ私が見たのは、荷物をまとめた少年の姿だった。
出かかった言葉さえ固まったかのように立ちすくむ私。
気まずそうに顔をそらし、辛そうに言葉を吐く少年。
今までありがとう、僕はここを出ていく。耳を素通りした。
すぐに城へ行ったりはしないよ、自殺行為だからね。私の体は動かない。
でも、君とはここでさよならだ。
言いながら、やっと顔を上げて私を見た少年の表情がたちまち歪む。
泣かないでよ。
彼は間違ったことなんて言っていないのに、なんでこんなに、こんなに心が痛いのかわからなかった。
私が勝手にしてきたことが全て白紙になっただけで、それは彼のせいじゃない。彼は正しい。
間違っているのは――――私か。
咄嗟に延ばされた手と制止の声を振り切るように宿を飛び出した。かろうじて絞り出せた、ごめんなさいの言葉は彼に聞こえただろうか。
頬を濡らす雫には、走りだしてから気付いた。
とにかく走った、走って、走って、ぼろぼろと馬鹿みたいに目から水をこぼしながら駆け込んだのは、義姉の部屋だった。
隣国に嫁いでいった姉の代わりというわけではないが、私は義姉によく懐いていた。
彼女は他世界のものも含めとても豊かな知識を持ち、それ以上に考え方がひどく柔軟だった。彼女の話は楽しく、ためになり、いつだって思いもよらないところから答えを取り出してみせた。姉がおらず、友人さえたった今なくしてしまった私は、彼女を無意識に頼っていたのだ。
驚く義姉に飛びつき、しゃくりあげながらも少年のことを全て、自分のこの胸の痛みも含めて全て話してしまった私は、背中を撫でる義姉のあやすような手に遠慮なく泣いた。
そして話し終わり、涙も出し切ってスッキリした後、新品のハンカチを三枚使って顔を整えた私はあれと首をかしげた。
なんか、この話聞いたことあるな。
義姉は顔を手で覆って呻いていた。
しばらくして、意を決したように顔を上げた義姉は、私が少年のためという身勝手な思い込みで動き、そのくせ当人には何も知らせず情報を規制して自分の都合のよいように押し込めていたことは、兄が義姉にとった行動と同じであると言った。
今度は私が顔を手で覆って呻く番だった。なんてことだ、顔が熱い。
そして義姉は、少年に大事なことを告げることができず、故意に隠し事をしたまま心と裏腹な態度を取り続けていたことは、義兄が姉にとった行動を同じであると言った。
私はソファに突っ伏した。もう枯れたと思ったのに、しつこく目が潤んできた。
あの愚か者どもと同じ轍は踏むまいと固く、固く心に決めていたというのに、なんということだ。間違っている、どころではなかった。私には兄達に物申す権利などない。
私は、私は、愚か者どころか、大大大愚か者だ!
とても語呂が悪い。
もうすでに自己嫌悪の極致で瞑想でも始めようかとしていた私に、義姉は容赦しなかった。
あれだけ反面教師だのなんだの言っていたのに、前に考えてた完璧な行動指針とやらはどうしたの?
もうやめて! 羞恥で人は殺せる。私はその実例にはなりたくない。
義姉の覗き込んでくるような視線に耐えきれず、後悔と羞恥でごろんごろんしながら、私は唸るように答えた。
あれは、あれは違うんです……あれの対象は恋した相手なので、今回は友達だったから……違うの……
自己嫌悪でのたうち回る私に、義姉の視線ははっきりと憐憫の色を宿した。
やめて、そんなかわいそうなモノを見るような目はやめて……
そこでやっと、やっと、私は無意識に否定し続けてきた己の心の動きを自覚し、受け入れた。
そして自分の愚かさに自殺したくなりながら、例の行動指針に一つ項目を付け足す。
0.恋をしたことを自覚する。
これが一番重要でした。
ろくに友人も恋人もできたことのないぼっちが反面教師とか偉そうなこと言って申し訳ありませんでした。
さて、この気持ちを自覚してしまえば泣いている暇などない。次は両想い、と行きたいところだがこれは一人ではできないし、何より私は今少年に拒絶されている。まずは仲直りが先だろう。
となると例の行動指針2.情報収集からの、3.コミュニケーションだ。少年に隠していたことを暴露、からのごめんなさいだ。
そう決意と恋心と共に新たな目的を決めた私は少年がどこにいるのかを調べるよう指示を出すと、この日は久しぶりの自室に戻り泥のように眠った。
そして、城を揺るがすような轟音で目を覚ました。
慌てて飛び起きた私が身支度もそこそこに駆けつけた王座の間で目撃したのは、腹が立つほど楽しそうな魔王と、それを睨み付ける不思議なほどやる気満々の勇者。
乗 り 込 ん で 来 ちゃっ た !
咄嗟に見つからないよう扉の影に隠れ、頭を抱える。今すぐ死ね、みたいな一触即発な空気でないのが救いだが、父だっていつまでもニヤニヤと眺めてばかりではいまい。どうしたものか、と扉の影でおろおろしていると、兄と共に父の傍に控えていた義姉が、私の姿に気付いたらしくぐっと拳を握って見せた。いやいや、え?
今だ、バラせ! と義姉の目が言っている。え、ここで?
バ ラ セ と義姉の口がぱくぱく動く。え、今?
確かに少年とはきちんと話をして謝罪しなければいけないと思っていたが、今は、そういうタイミングじゃないよね?
唯でさえピリピリしてるのに、だんだんと人が集まってきて注目されまくってるのに、え? 今言うの?
責めるような義姉の目に耐えきれず、広間に乗り込もうと汗びっしょりで一歩足を踏み出した瞬間、勇者がキリッとした顔で高らかに私の名前を呼んだ。
あの子を 返 し て も ら お う !
――――この時の家族、そして使用人達の顔は一生忘れないだろう。
勇者以外の、この場にいる全ての者の視線を一身に集めた私は、踏み出しかけた足に力を込めるとそのまま広間の中央へと走った。全力で走った。
そして私を見て顔を輝かせる勇者の腕を掴み、そのまま広間を走り抜ける。行き先は私の部屋で、道を塞ぐ人垣は流れるように割れていく。
うわあああああああああああああああ!!
大声を上げ、真っ赤な顔で半泣きになりながら走る私を止めようとする者は誰もいなかった。
何もかもを薙ぎ払う勢いで部屋に駆け込んだ私は、私に会えて嬉しいでもどういうことなのか分からない、といったニコニコキョトンとした顔の少年にとりあえず土下座した。
なんでも、少年は契約した精霊を使って私の行方を捜していたらしい。心配かけてごめんなさい。
それで、精霊が見つけた時には私は魔王城の中でどれだけ話しかけても気付かないくらい深く意識を失っていたらしい。寝汚くてごめんなさい。
よく見ると涙のあともあるし、それを聞いた少年はいてもたってもいられなくなり、朝も早くから城に特攻をかけたらしい。生きていてごめんなさい。
無事でよかった、と微笑む少年に、想いを自覚したばかりの私は感極まってぶわぶわ泣きながら土下座した。
止めさせようとする少年を振り切って安定して土下座できる位置に落ち着くと、ソファに腰掛けた少年に向かって私は重い口を開いた。
私が魔王の娘であること、それを隠していた理由、私が少年のためにしていたこと、それを黙っていた理由、それを全部説明した。
そして土下座した。
この時の私は精神的にとても不安定になっていて、昨夜決めたはずの覚悟が少年の顔をちょっと見ただけでもうガタガタになっていた。だから、感情に飲まれた私は泣きながら謝り、謝りながら告白した。自分でも何言ってるかちょっと……という感じだが、泣きすぎて聞き取り辛い「ごめんなさい」の合間にアホのように「好きです」を挟んだ。どさくさに紛れて「国に帰らないで」「一緒にいて」も言った。
これで少年に言えなかったことは全部言って、スッキリした私は安心して土下座した。
私の土下座を受けた少年は顔を真っ赤にした後、ちょっと怒って、それからまた赤い顔で嬉しそうに笑った。
少年は、許す、と言った。
その言葉にまた感極まった私はまた泣きながら土下座しようとして、それを無理やり止められた。頑なに頭を下げようとする私を、割と容赦のない力で引っ張り上げた少年はそのまま私の体を腕の中に収めた。
少年は、僕も、と言った。
抱きしめられた腕の中で少年の笑顔に見惚れていた私は、この三日後にやっと行動指針の1を達成したことに気付いた。
私は今回の一件で、恥ずかしさの限界まで行ったと思っていたが、そんなことはなかった。羞恥心には更に上があった。限界突破だ。
私は常日頃から兄や姉のような大騒ぎは起こさず、普通にらぶらぶでいちゃいちゃした恋愛をするのだと豪語していた。それはもういろんな所で豪語していた。後で悔いると書いて後悔。あの頃の自分を消してしまいたい。
全く殺る気のなくなった少年をつれて父の前に出た私に注がれるのは、嘲笑ではなく暖かい視線だった。う、うわあああああああ!!
全然大騒ぎなんかじゃなかったですよぉ、ちょーっと王座の間の入口が壊れちゃったくらいでぇ、全然大騒ぎなんかじゃなかったですよぉ。
父親の前で愛を叫ぶなんて、この上なく普通にらぶらぶでいちゃいちゃな二人ではないか。剣つきつけられた気がするが、それもらぶらぶでいちゃいちゃの一環なのだろう。
羞恥心の限界突破だ。
つまり私を殺せえええええええ! うわああああああああ!!
勇者への仕置きよりも、娘をからかう方を選んだ魔王は少年がこの国に住むというのをあっさりと許可した。
むしろこの祝福ムードに一番困惑していたのは当の勇者だった。薄々感じていたらしいが、自分が国で教えられてきた魔王と本物は違うらしい、ということをここで確信したようだ。
私の長年の研究、つまり身近な観察対象の失敗例を元に完璧な恋愛フローを作り上げるという試みは、見事に失敗した。
というか、恋とかいう複雑怪奇な感情を相手に1パターンしか想定していなかったのが間違っていたのだ。いや、違うな、パターンに当てはめるのが間違っているのか。
人の数だけ恋の形があるのだから、それを枠に当てはめようとしても綻びが出るのは必然だ。
なにこの感情こわい。
けれど、この結果は「失敗」なんかではない。
残念ながら、兄や姉と同じくらいの迷惑を方々にかける結果となってしまったが、私は今幸せだ。
そう、幸せなのだ。
私の隣に立って、一緒に生きてくれる人を面映ゆく見つめる。見つめ返してくれる。
怖いけれど、なんて暖かい感情だろう。
今回の失敗で懲りたかと思ったが、逆にこの感情の魅力に取りつかれてしまった私はフロー作成を諦める気はなかった。
そもそも恋した二人に試練がないなんてことはないのだ。だったら、最初からこじれることを想定すれば良い。どれだけこじれたって、最悪の事態に至るまでに解決できれば、後はらぶらぶでいちゃいちゃだ!
そうして、私が書き上げた研究結果「らぶらぶでいちゃいちゃするためのあらゆるパターンにおける行動指針」はこの世界で初めての恋愛指南本として発行された。
そして、同時期に発行された「魔王の子供たちの恋の顛末」という三人の兄妹の恋愛事情を綴った恋愛小説と共に後世まで親しまれることになる。
う、うわあああああああああああああ!! 誰か、私を殺せ!!