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第2話 見知らぬ波打ち際へ

 いつの間にやら救急車が来たらしい。医療従事者と思しき人がしきりに私の肩を叩いている。だが、当の私はまったく他人事のようにぼんやりしていた。というのも、もはや私にはほとんど何も感じなかったからである。ただはっきり感じるのは、タイヤの下につぶれた脚のほうから、なにやら冷たい感覚が迫ってきて、骨盤、お腹、そして胸へと伝わってくるということのみだった。やがてこの冷たさが脳まで達したとき、ついにこと切れるのだろうとなんとなく察した。そして静かにその時を待った。


 ……しかしながら、幸運にもその時が来ることはなかった。冷たさは心臓のあたりを通り過ぎようとすると、今なお動いている心臓に引き留められるがごとく、それ以上進むのを止めた。それどころか、冷たさは引き返してきて、お腹のあたりを行ったり来たりするようになった。私はこの小さな変化に気づいていたが、気づいたことをぼんやり認識するだけで、あまり深く考えることはできなかった。今はそれ以上に、ただひたすら眠たかった。



◇◇◇


 どれくらい時間が経ったろうか。私はうたた寝をしていた。徐々に耳が音を拾い始め、波の音が聞こえ始めても、まだうとうと眠っていた。

「待て、波の音?」

不意に、私の大学からは聞こえるはずもないその音が聞こえていることへの強烈な違和感が襲ってきて、それから一気に感覚が戻り始めた。夢を見ているときに目覚まし時計が鳴って、はじめのうちは弁解でもするように夢の中に騒音源があらわれるのだが、やがてそれは現実の音であると突然自覚する。今の私はまさにこのような感覚だった。


 私は困惑のままに目を開いた。まず驚いたのは、周りの景色が一切合切変わっていたことだった。一面の曇り空と、それをさらに濃くしたような色の海。砂利交じりの黒っぽい砂浜と、それを囲むようにそびえる崖。出不精の私には来たこともない波打ち際だった。とりあえず立ち上がろうとしてまた驚いた。私の脚が、トラックに轢かれてつぶれたはずの脚が、まったく元通りになっているのである。そういえば、いつの間にか麻痺がとれていたにもかかわらず脚に痛みはなかった。が、冷たい感覚はそのまま残っており、これは失血から海水でずぶぬれになったからへと、理由の方だけが変わっていた。


 私は呆然としながら、ひとまず濡れたズボンを脱いで、雑巾絞りの要領で水気を切り始めた。足先から絞っていくと、途中でポケットに入っていたスマホが零れ落ちた。はっとしてスマホを拾い上げると、画面はすでに割れていた。それまで一度も割ったことが無かったので少し堪えたが、そんなことは今はどうでもいいことだった。13:28、圏外。それらの文字は一度頭の中を通り過ぎて、そしてまた戻ってきた。13時28分。……いま29分になったそれは、目に映るすべてが現実であることを物語っていた。圏外という二文字は、まったく知らない周りの景色が、ほんとうにまるで知らない場所であることを保証していた。


 冷や汗が出てきて、喉の奥が粘っこくなった。明らかに動揺していることを自覚した私は、とりあえずズボンを穿こうと思った。水気を絞り切ってまた穿いてみると、幾分か心は落ち着いて、ズボン同様軽くなった。

「まずは人を探して、ここがどこなのかきいてみるか。」

そう口に出してみると不思議なもので、好奇心や冒険心といった類のものがだんだん湧いてきて、不安よりも優勢になっていった。スロープ状になって続いている道の方へ歩きだしながら、私の異世界の冒険が今まさに始まったことを、ひしひしと感じた。

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