10-2
「朧?」
そんなはずはないと、みなが口にしなかった名前を、入が呼んだ。
「朧!」
膝を抱えた女性が顔を上げた。頬がこけ、顔色は悪いが、朧で間違いないようだ。
しかし、朧は憑き物にはじきとばされ、死んだはずだ。
朧は、不安そうに、右手で左腕を擦る。
句朗はやっと気づいた。蒼羽隊は、憑き物やワロドンと同じく、時間をかけて怪我が治るのだ。
朧はあの時、誰の目にも絶命していることが明らかだったため、置いて行かれてしまったが、時間をかけて再生し、助かったということなのだろう。
どうしてもっと早く気づかなかったのだと悔やんだが、もし気づいたとしても、ここにいることは分からなかっただろう。
彼女の様子を見るに、ハカゼに罹っているようだ。朧が死んだように思えたあの時に罹ったのか、ここに捕まってから罹ったのかは分からないが、今まで生きていたということは、軽度のハカゼなのだろう。
「鼓童、じっちゃん」と、自分の目に映るものが現実だと確かめるように、朧は名前を呼んだ。
「ここ、開けられないか」
鼓童は癇癪を起したように、檻をがちゃがちゃと鳴らした。史紋がこれまでのことを各所に報告する間、四人は手分けして、鍵を探すことにした。
鍵は隣の部屋の机の上で、すぐに見つかった。檻の中の人物が開けられなければそれでよかったのだろう。ここまで誰かが侵入することは想定していなかったようだ。
檻が開くと、ヘドリアがすぐに治療を始めた。
「朧、悪かったなあ、悪かった。すぐに助けられなくて」
鼓童はヘドリアの隣にかがむと、喉の奥を絞ったような声で何度も謝った。
史紋は朧の肩と鼓童の肩に手を置き、朧が生きていた現実を噛みしめるように目を閉じる。
治療が終わり、少しの水を取らせると、朧が檻の外に出たがったため、外へ連れ出した。
朧は通路の地面に横たわると、史紋に上着を掛けられ、この世の懸念が全て取り払われたような、幸福なほほえみを浮かべた。
「四蛇たちが、庵霊院の方からここへつながると思われる道を見つけたらしい。庵霊院から来る方が早いから、エノキたちはそちらを目指すそうだ」
史紋が報告する。
「四蛇?」
朧が言う。
「四蛇は無事なの?そうだ、蒼羽隊のことは、どうなったの」
朧は宿題を思い出した子供のように、暗い顔をして身体を起こした。史紋がその肩を抑え、また寝かせた。
「四蛇からいろいろと聞いたよ。潜入のことも、お前がナツメと言う名だということも聞いた。でも、今全てを話す時間はない。休むんだ」
「でも……」
「そうだな、安心して眠れるようにおおまかに説明しよう。ノウマも、憑き物も、蒼羽隊の総督も、副総督も、みんな話がついた。今では味方についてくれている者もいる。皇帝や九頭竜国の執政官にも話は届いている。あとはことの首謀者と話をするだけだ。だから、もう大丈夫だ」
朧は史紋の瞳を覗き込むようにじっと見つめ、何も言わない。
「俺はここに残る」鼓童が言うと、「だめだ」史紋は予測していたかのように、すぐに答えた。
「分かった分かった、じゃあ四蛇たちが到着するまでの間だけ、俺がここに残る」
まるで譲歩したような言い方だが、主張していることは別に変わっていない。
「あたしなら大丈夫」と朧が口を挟む。
結局、彼女は一人で鍵が開いたままの檻に戻った。鼓童の浮文紙を渡し、連絡を取れるようにしておいた。
庵或留との決着がついたら、すぐに戻ることを約束し、六人はそこを離れた。
歩きながら、入が句朗に語った。
「そういえば、最近竜胆に返してもらった記憶なんだけど、古井と屋敷に忍び込んだ時、朧が私を逃がしてくれたんだ。
朧はあの時、一人で屋敷の中まで入ってきて、句朗を見て白紙に返っているのを確かめると、私だけを抱えて外まで連れ出してくれた。そして、部屋に一緒にいたと、嘘までついてくれたんだ。
そのおかげで、私は罰を受けたり、ヨアによって白紙に返されたりせずに済んだんだ」
深部を目指す一行だが、白い通路には特徴がなく、どの通路を行くべきなのか、見当がつかなかった。ただし、誰かがここを訪れることはよくあるのか、明かりは整備されていた。電気はどうやって繋いでいるんだろう、と句朗は疑問に思ったが、電気ではなく呪術か何かを使った仕掛けがあるのかもしれない。
六人は離れ離れにならないよう気を付けながら、通路を進んでいった。ただし、後から辿れるように、壁を削って目印をつけておいた。生き物の気配はまるでない。
地下を彷徨いしばらく経った頃、急に、目の前が開けた。天井は低いものの、随分と広い空間だ。明かりは所々にしか灯っておらず、向こう側の壁が見えない。
暗闇に目を凝らしながらその空間を進んで行くと、下へ降りる螺旋階段を見つけた。覗き込むと、下の方が少し明るい。




