70.
え、と今度はカルシィが困る番だ。
想像とは違った。迫力があった。
声が低い。
言葉がきつい。
なんだか、怖い。
どのあたりまで言っていいだろう。悪口にならないのはどこまでだろう。
悩んでいるとセランダータがにっと笑って言った。
「怖かったでしょう!?」
否定するのも変で、うんと素直に頷いたカルシィに、大丈夫と言った。
「私だって結構、怖いんだから。みんな怖がっている。けど好きなんだ。メルヴィアの魅力ね、癖になるから、その刺激がーーー」
あははっと明るいセランダータと一緒になって小さく苦笑を浮かべたカルシィとロゼンにとって疑問だったけれど。
そんな刺激が、癖になるものだろうかーーー。
そして、前提があのメルヴィアなので、カルシィがやたら可愛いと言われてしまうんだと思った。
メルヴィアの前では口が開けない分、伝えられているんだとも。
午後になって、メルヴィアにお茶を誘われることになった。
カルシィとロゼン、二人とも誘われて緊張しながら足を向けたのは、地下の暗い部屋ではなく館の地上部分の応接間だった。
客間にはメルヴィアの他にも、レネドもいた。
メルヴィアがお茶の支度をするわけでもなく、頬杖をついて部屋の隅の肘掛け椅子に座ったきりで、レネドがお膳立てするメルヴィアのお茶に誘われたことがわかった。
カルシィがこれまで見てきたのは、白いぶかりとした夜着を一枚着ただけの姿だったけれど、今はきっちりした上衣に薄い衣類を何枚か重ね、さらに丈の長い上着に身体を覆っている。長い髪も背中で一つにまとめて堅い雰囲気が漂っている。
白い肌は透けるようで、眠る横顔に見取れた美貌もそのままだというのに、目の前にいる人は男以外の何ものでもないと感じさせるのが不思議だった。長い睫に縁取られる両眼の静かで、でも強い目差しが、出で立ちや外見では判断できない性別を印象づけることを知った。
メルヴィアはあまり自分から喋る質ではないからと、セランダータに事前に教えられていなければ嫌われているのだろうかと落ち込みそうになる無言な空気をカルシィが勇気を出して破る。
「メルヴィアさん、あのお身体のお加減はいかがですか?」
「・・・ああ。少しだるいが、・・・これはおまえのように若くない歳のせいだから仕方がないのだろう」
無視されているわけではない。むしろ頬杖の中からずっと見つめられていた。
静かに、でもひたりと見据えられて注目されている。挨拶をして部屋に入って、茶器の用意がされたテーブルに着いてからもメルヴィアの視線が外れることがなく、カルシィがメルヴィアを見るたびに何度も目が合った。ただしその際、にこりと温かい笑みが浮かぶことはなく、観察されているような居心地の悪さを感じた。
でもそれ以上に、メルヴィアの視線にどきどきと動悸が激しくなり、顔が火照ってくる方が問題だった。
会話も上手く答えられなかったので途切れさせてしまったカルシィが椅子の上で俯いて縮こまっている状況に見かねたセランダータが取りなしてくれた。
「メルヴィア・・・もう少し、なんとかしてくれないとカルシィが怯えるよ・・・」
カルシィは、そんなこと、本当でも言わないで慌てたけれど、このおかげでまともな会話が成り立つようになった。
「五月蠅いよりいいと思うがーーー」
低く言ったメルヴィアが肘掛け椅子を立って、テーブルに移動して席に座った。
二人の正面だった。
壁際で立って黙った様子を見守っていたレネドもテーブルにやってくる。
メルヴィアが自分でブレンドした愛飲のお茶がセランダータによってカップに注がれた芳しいお茶の香りが広がった。
穏やかな時間。でもひどく緊張する。
そんなカルシィの様子をロゼンは黙って見ている。あまりメルヴィアの方に目を向けられないということもある。自分は場違いで、レネドなどは仕方がなく同席を許したんだろうなと想像したが、これはロゼンの被害妄想、まったくの考えすぎだった。
ロゼンはレネドを嫌っていたが、レネドの方はそういった雰囲気はまるでないのだがロゼンがレネドを冷静に見つめられるようになるのはもっとずっとあとの話だ。
「正直、戸惑っている。こんな日が来ることを想像していなかったからーーー」
メルヴィアが静かに言葉を紡ぐ。
「わたしが最後の生き残りだと思っていた。ちりぢりなったあと生き延びた者がいて再びまみえることがあるとは・・・夢を見ているようで、申し訳ないことだ・・・」
自嘲的気味ではあったけど、メルヴィアが柔らかな笑みを浮かべ、カルシィは「そんなことありません」と小さく答えた。
カルシィだって、夢見心地だ。
「おまえも、ここで暮らすことになる、暮らしているんだな」
「はい」
頷いたカルシィに、メルヴィアは笑みを深めた。
でもその表情はとても複雑で、いろいろな感情が入っているような気がした。
「自分のことを知りたいのだと聞いた。本当に聞きたいか?」
レネドが血相を変え、何かしゃべろうとしたが口を開く前にメルヴィアの一瞥が封じてしまった。
「滅びようとしている種族の話など、耳に心地よい話になるとも思えない。果たして、おまえが得る必要があるのかーーー」
それは戸惑っていると言ったメルヴィアの優しさ、心遣いなのだと思った。
問われたカルシィは、そんなことを言われるとは思ってもいなかったので驚きながら、ゆっくりと口を開いた。
考え、考えだった。
「悲しいから聞かないのは、違うと思うから・・・。きっと目を背けて知らないで生きていったら、最後にはきっと後悔しながら死ぬことになると思う。自分のことだから。聞いて後悔して、聞かないで後悔するなら、聞いて後悔する方がいいかなって・・・」
それが本当なのか、きれい事なのかよくわからなかったけれど、今のカルシィはこう考えるのだ。
メルヴィアが目覚め、知るチャンスだった。
それも唯一の相手で、メルヴィア以外には聞くことはできないのだから、教えてもらわないといけないと思っている。
でもメルヴィアの方は、話すことが少し嫌なのかもしれない。少し不安になったけれど、「わかった」とメルヴィアは首肯した。
「教えるよ。私が知っていることをおまえにーーーすべて」
静かに宣言して、そのあとメルヴィアは顔を横に向けてレネドを見た。
「おまえも、それを望んでいる。でもその先は、おまえが何かを強いることは許さない。他者に強制されることではない」
「ああ、勿論だ、メルヴィア」
厳しい声は、自分に向けられたものではなくてもカルシィの心が萎縮するほどだった。
けれど当のレネドは平然としていた。穏やかな笑みさえも口元に浮かべていた。
「約束する、俺は誰にも強制をしない。俺はただ、知って欲しいだけだ。知ったあとは彼の考え方次第だ」
レネドがメルヴィアの目を見ながら真面目に答えたが、果たしてそれはどういう意味なのだろう。
カルシィの知らない事柄を話す二人の言葉はひどく意味深で、不穏なものだった。
驚き不安に包まれたカルシィがロゼンを見ると、ロゼンも警戒した顔でレネドを睨んでいて自分が感じる危険な空気は気のせいではないのだとわかった。
セランダータはカルシィの視線に気が付き安心させるように笑みを浮かべてくれたが、とても辛そうな顔だった。
いったい、何があるのだろう。
カルシィがまだ知らないことが確かにあるのだ。
想像もつかないけれど、メルヴィアに教えられることには、ためになるだけのことではなさそうだった。
でもここまできたら、もうきっと聞くしかない。
テーブルの下でカルシィはそっと片手をロゼンの方に伸ばしていた。すると、すぐに気が付いたロゼンがカルシィの手を握ってくれた。
温かく力強いロゼンの掌に包まれていると、カルシィの気持ちも次第に落ち着いていった。
ロゼンがいるなら大丈夫。ロゼンが一緒にいてくれるならきっと平気。
同種族のメルヴィアと比べることなどできないけれど、ある意味ではメルヴィア以上だった。いつの間にかカルシィにとってロゼンは、丸ごと心を預けられるかけがえのない大切な存在になっていた。




