44.
「っていうか、ずっるい、長〜、自分ばっかり触って〜〜」
「あたしも触りたい〜〜」
男たちは、さすがに照れがあるのか露骨な要求を言い出さなかったが、女たち、若い娘たちが弾けるような笑顔で、カルシィに手を伸ばそうとするので余計に困るのだ。
カルシィにだって照れがある。男装といってもかまわないぐらいのセランダータでも無理なのに、セランダータより砕けた女らしい格好をしている彼女たちに囲まれたり、抱きしめられたりするのは鼓動がおかしくなりそうだった。
ひしっとレネドの頭にしがみついて、降ろされないようにして、再び歓声が上がった。
「こらこらこらーーー」
どちらに言ったのか、たぶん両方だ。レネドは髪に絡んだカルシィの指を剥がして腕に抱き直すと「ロゼン、こっちに来い」と呼んだ。
今はじめて気がついたというばかりに視線がロゼンに移って、ざわりの空気が揺れた。ロゼンを見ながら、ぼそぼそと話がされる。
里からいなくなったロゼンのことを、ちゃんと覚えている者が多いからだろう。
ぎくしゃくとした空気の中で、ロゼンは負けるものかと胸を張ってレネドの所まで歩いた。
「で、こっちはロゼン。記憶にある顔だろう、ちょっと前までいたが、出て行ってしまっていた。が、これを機に戻ってくることになった」
ざわざわと揺れている。胡散臭そうに、不愉快げに。先ほどまで歓迎色に染まっていた者たちとは別人だった。
「おい、いじめるなよ」
ぴしゃりとレネドが言う。
「居心地が悪くて出て行った。なら原因は、本人と受け入れる側両方にあるはずだよな。そして今回、こいつは覚悟を決め、一層居心地の悪くなっている場所に戻ることをあえて決めて戻ったんだ。そんな懸命になって生きている奴をみんなして、いびるなよ、そんなことをする奴は恥ずかしいぞ〜」
不満そうな沈黙が生まれたが、文句を言い出す者はいなかった。
「若長、承知いたしました」
レネドより年嵩のありそうな男が低い声で答えると、それに引っ張られたようにあちこちで、「承知」の合唱となった。
「よせよ。こんなところに、若長もないだろうよ」
当の本人は気さくな調子で笑っている。そのあと、にやりとした。
「もっと重要なことを言うから心して聞くように」
レネドは抱えていたカルシィを、ロゼンに手渡しながら。
「カルシィくんは、ロゼンくんと大の仲良しだ。ロゼンがいなかったら、彼はここにはやって来なかっただろう。ロゼンが去るなら彼も一緒に去ってゆく。———いいか、よく聞け!もし、ロゼンをいじめたなら、いじめた奴はカルシィくんに口も聞いてもらえなくなる!———」
カルシィには、どこまで本気で言っているのかよくわからないレネドの言葉に、「ひぃ、それは厳しいっーーー」とやっぱりよくわからない合いの手が入った。
けれど、それが緊張を解くよい切っ掛けになったようだ。
「おいおい、セットかよ〜、それじゃあ後ろから殴ることもできやしねえっ」
「カルシィくんったら、趣味悪いねえ〜、そういう駄目男が好きなのか〜」
「でも、まあ、駄目な男ほど可愛いって言うじゃない〜〜」
「今度は絶対に里から逃がさないように、こいつを見張らなくちゃならんわけだな」
「そうそう、逃げそうになったらその辺にかんかんに縛り付けなくちゃ、ね」
ロゼンは仏頂面ままで、さんざんな言葉を浴びせられるままに聞くことになった。
「ねえ、採りたての野苺があるのよ。紅桃の実もあるわ、食べる?」
「・・・あの、朝食をいただいたばかりなので・・・」
「じゃあ、街で買ったお菓子はどう?」
「蜂蜜たっぷりのパンケーキもあるわよ」
「・・・あの朝食いただいたばかりで・・・」
「あら、そんな遠慮なんかいらないわ」
「そうそう、遠慮なんか必要ないわ。それにちゃんと美味しいもの食べさせてもらってる?」
「あ、それ心配ね〜、男って味覚乏しくて嫌になっちゃう、お腹ふくれればいいと思っているからね」
自分も男ですーーーと言うなら、きゃらきゃらっと笑い飛ばされてしまいそうで、笑い飛ばされたならとても傷つくので、カルシィは黙って笑顔を浮かべながら困っている。
ともかくも、カルシィとロゼンは話の中心になって盛り上がった。
まあ、こんなものか。
それがレネドの思いだった。もうしばらく場は続いたが、二人を残しもう見守る必要はないと感じたレネドの姿はそっとその場から消えた。
「ねえ、ミネイラダ、あの子どうなるのかしら・・・」
ミネイラダと呼ばれた女が手を止めて、妹分のアニエを見る。
男たちが狩ってきた動物を捌いて、調理している最中だった。
まとまった大きな塊は保存に利く燻製にして、残りは夕食に回す。剥いだ皮は乾かして、まとまったら余分な燻製ともども町で売る。
町で自分たちが作る燻製はちょっとした人気で、固定客だって付いている。
もちろん、ただの人間の彼らはこちらのことは知らなかったけれど、美味しいものをいつもありがとう、と感謝してくれる良いお客だった。
人間とは違うところがあり、鋭い爪と牙を持つ一族だろうと、心に余裕さえあれば、うまく人間とつき合うこともできるのだ。
実際、獣の一族の者が、人間を襲ったりして問題を起こすことは少なかった。
己を知っている者たちなら、もしもやるときは問題となる跡を残さずちゃんとやるはずだった。
不用意な事件になるのは、自分の素性と本質を知らない野良や、人間混じりで、代を置いて先祖返りした者だった。人間に怯え、自分に怯え、中途半端に暴れてしまい、その結果圧倒的に数に負ける人間に狩られたり、囚われたりして悲惨なことになる。
だから、一族は自分たちを守るためにも、無知な野良たちを集めて教育する必要がある。今現在だって、一族の者たちは交代で野良探しに送られて、あちこちを回っている。
そうした中で、見つけ出されて里にやってきた一人が、ロゼンだった。
ミネイラダもアニエも、ロゼンのことを覚えている。
里に連れてこられる野良たちは、体か心か、傷ついて弱っていることが多いなかで、ロゼンは心身ともに元気そうだった。
敵愾心は剥き出しだったが、それはいつものことだった。野良が人間混じりであることもいつものことだった。
人間混じりは、人間の臭いがして嫌だったが、彼らが化け物と呼ばれ自分たちの代表のように騒がれるのも嫌なので、教育することは仕方ないことだと割り切っている。
それに教育役は、若長たちを中心に男たちが取り仕切っていることなので、ミネイラダもアニエもあまり関係がなく、興味もなかったのだけれど。
でも今回は、少々わけが違ってくる。
羽風のあの可愛い子は、ロゼンが大好きらしい。
可愛い子なのに勿体ない。趣味が悪いのだ。
それとも、あの人間混じりには好ましく思われるような良いところがあるのだろうか。
ぼんやり、そんなことを考えたミネイラダにアニエは、もっと深刻な表情をして訴える。
「聞いてよ、ミネイ。わたし、怖いわ。あの子、カルシィってっ子、どうなるの?可哀想なことになって欲しくないの、すごく心配で、怖いの・・・」
ミネイラダは黙っている。
「ミネイは、そう思わないの?平気なの?」
「私は・・・必要なら仕方ないと思う・・・」
「そんなっ」
アニエが血相を変えた。
「そんなことひどすぎる、可哀想よ・・・」
「・・・それは違うと思う、可哀想かどうかは、考え方だと思う・・・」
ミネイラダの固い声に、アニエは目を大きく見開いた。
「ねえ、待って、聞いて。必要かどうかの判断とか、こういうこと考えるのは私たちの役目じゃないわ。私たちは若長さまのお考えに従うだけ。そうでしょ?」
「でも・・・」
「気持ちはよくわかるよ」
ミネイラダとアニエが驚いて、二人の前に立ったセランダータを見上げた。
「でもね」
セランダータも地面に膝を付いて刃物を持ってまだ手つかずの肉の作業を始める。
「最終的に若長が決めるけれど、議論することはいいことのはずだね。でも今はそれを考えて心痛める前に、まだ別にすることがあるよ」
セランダータが一番の姉貴分だった。
「まずはメルヴィアが目を覚ますように、祈って欲しいよ。あのひとが目を覚ますことの方が重要だよ。ずっとこのまま目を覚まさず、私たちとお別れすることになってもいいの?」
「そんなの、いや!」
アニエに続き、ミネイラダもこれにははっきりと答えた。
「私だって絶対、嫌です!」
「だからまず、メルヴィアを想って、あなたたちーーー」
二人はセランダータの言葉にこっくりと頷いた。
セランダータは穏やかに微笑んで見せた。
それからは、三人で作業をさっさと終わらすべく無言で働いた。
アニエの不安はもっともなものだった。自分も同じようにとても不安を感じている。恐怖感ほど強いものだった。
でもだったら、どうしたらいいのだろうか。
わからなかった。悲しいけれど、最良の方法なら取るべきではなかろうか。
本当に?
でもその最良と、誰が判断をする?誰にとってを最良とする?
考えても自分でもわからないなら、不安がる娘たちを、問題を先送りにするだけのきれい事を言って慰めるしか、セランダータは思いつかなかった。
おつきあいいただき、
ありがとうございます。




