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夜の果てに  作者:
第三章
32/85

32.

力を入れて引き寄せると、カルシィはロゼンの頭を腕に抱いた。

「お願い、ロゼンを苦しめてる痛み、消えて、消えて。お願い、今すぐ消えて。ロゼンを苦しめないで・・・」

ぎゅっと抱きしめながら、カルシィは真剣だった。祈りだった。告げる相手は痛みへであり、ロゼンであり、ロゼンを苦しめているという自分にもだった。

しばらく黙って、されるがままになっていたロゼンが、突然、ぽつんと言った。

「・・・消えた・・・」

「なに?」

カルシィが首を傾げる。

「だから、痛みだよ。嘘みたいだけど、消えた・・・」

カルシィもロゼンも腑に落ちない言った顔になっていたが、レネドだけは予定通りだと笑っている。

「そういうことだよ。カルシィくんはまだあまり力を知らず、使いこなせていないようだけどね。彼の一族の力は、侮れない。下手すると、血反吐吐きながらのたうち回されるから」

言葉をなくすカルシィに、レネドは肩を竦めて、おっかない力だよと、付け足した。

カルシィとロゼンは顔を見合わせていたが、今回の頭痛だけでは偶然の可能性もありえないだろうか。

「信じられないと言いたそうだね。でも本当、真実だ。カルシィくん、きみは何も知らないようだね。自分のことなのに、誰よりも知るべきことなのに。きみはこのままでいいの、知りたいとは思わないか?」

カルシィの心に浮かんだ答えは、是だった。

知りたい。

自分のことなのに、このレネドの方が良く知っている。いろいろなことをいっぱい知っているのが、なんだか悔しくて、恥ずかしかった。

「おまえもだ、ロゼン。知りたくないのか、自分のこと。そして、彼のことを」

「どうしろって言うんだよ!」

「知識を得ろ、って言っているんだよ。知識はおまえを助けるぜ、おまえの人生、おまえの選択、生きてくなかでより良い道を選び抜いてゆくために」

ロゼンにカルシィはしがみつくように立っていた。

ロゼンはカルシィに支えられるように立っていた。

二人は寄り添って、一つの決断を突きつけられていた。

「里に行く。ロゼンとカルシィ、俺はきみたちを連れてゆくつもりだ。どうしても不満があるなら、言ってくれ。聞こう」

それは威厳のある王の言葉だった。

そして王の言葉はまぎれもなく正しい言葉だった。

「・・・ロゼンといっしょにいられる?」

「引き離すつもりはないよ。でも学ぶものが違う。学ぶ場所は違う。なら眠る部屋は一緒にしてもらうといい。そうすれば、夜は一緒にいられる」

「・・・俺は、人間混じりで・・・それに聞いたぞ、俺。おまえはこいつを花嫁にするんだってっ」

カルシィが目をまん丸にして驚いたが、それよりもレネドだった。整端な男前がポカンと口を開けた。

「・・・なんだそれは。・・・おまえ、そんな話を信じて・・・俺をずっと睨み続けていたのか?・・・睨み続けていたんだな・・・」

最後の方は確信で、呻いたレネドは頭を抱え込んでいたが、大きな溜息一つで気を取り直して、ロゼンをまっすぐに見つめた。そして、はっきりと否定した。

「誰に聞いたか知らんが、そんなのは俺に対する悪口だ。皮肉か悪意に満ちた冗談の類だ」

信じていいのか相手の腹を探ろうと、食い入るように凝視してくるロゼンに、苦笑しながら

「こういえば安心するか?俺にはれっきとした許嫁がいる。次の春には式を挙げる。一族純血の花嫁だ。一族を率いる未来の王を生み出すのが現王としての重要な役目だ。俺は責任をないがしろにするつもりはない。俺が一族以外の者を花嫁にしようなら、老人たちから大反対、大問題になる」

まだ睨み続けるのをやめないロゼンにレネドは、カカッと笑った。

「じゃあ、もっとはっきり言おう。カルシィくんに手を出すなんて気は、俺には一切無い、天と大地に誓って、ね」

晴れやかな宣言を耳にして、ロゼンはズルズルと崩れるように座り込んだ。彼を苦しめてきた苦悩が二つとも消えて、いっきに気が抜けてしまったのだ。

その横では、カルシィがくっついてかいがいしく世話を焼く。

「ほんと、今のなんかすっごい話だったけど、誤解だったんだからね。じゃあもう安心!」

「おう・・・そうだ、もう、なんも心配ないんだ・・・」

キャラキャラと嬉しそうにじゃれている二人に、レネドはそっと背を向けた。

今までの陽気な笑顔は消えたレネドの表情は、とても疲れたものだった。




「善は急げ、だな」

にっこりと笑顔で言ったレネドのために、その後の約十日間はロゼンにとって、信じられない時間を過ごすことになった。

うだうだ歩いていてもしようがない。カルシィと二人だけならまだしも、レネドがいる。会話が弾むものになるわけがなく道中が楽しくなりようがないなら、目的地に早く着いた方がマシだと思った。

里だった。

レネドたち暮らす場所だ。レネドが率いる古の獣の一族が集まって形成する集落というべきか。

一度は里に連れて行かれて暮らしていたことがあるロゼンにとって、逆戻りとなる場所だった。

訳のわからない奴らがいっぱいいて、そして野良に教育を与えるのだという彼らとの集団生活を強いられた結果がどうなったか。

窮屈さに鬱積するなか、長が探している花嫁を自分が奪ってやろうと早々に飛びだしてきたことも、記憶に新しかった。

長、と爺たちは言っていた。長、王、つまりレネドだ。彼が求める、ロゼンたちの獣の一族と対になるもう一つの古い一族・羽風という生き物ーーーそれがカルシィだった。

自分が無我夢中に突っ走ってきたことは認めていた。

特に、獣の一族だという男たちに捕まえられて里に連れて行かれたあたりからだ。

それまでは、まだ適当に生きていた。自分は人間ではない化け物であることは小さな子供のころか知っていたのだ。そして、人間は自分の見方ではないことも。見方であって欲しいという期待も一筋だって持てずに生きてきたのだ。

自分は一人きり。孤独に殺されるときまで生きる、それだけだったのに、ある日、仲間だという者たちが現れて、しかも屈強な大人の男たち、もっと簡単に言ったら、自分よりも遙かにガラの悪い奴らで、子供扱いに簡単に捕まえられた。もちろん、力一杯歯向かったのだが通じなかったのだが、その後は、てっきり殺されるか、もっとひどい目にあわされることも想像したが、まったく違って・・・。

おっかない女が暴れたときにできた怪我の手当をしてくれた。

おっかないが少しだけ優しい女だったが、でもすぐにロゼンは駄目だと気がついた。

駄目なのだと気づかされたのだ。

獣の奴らが、自分を冷たく蔑んだ目で見ていることを。

低い声で交わされる言葉の中に、『人間混じり』というものが多く、それは直に、ロゼンが混血だという話だとわかった。

ロゼンは両親を知らなかったが、里の奴らはロゼンの知らなかったことまでわかっていたのだ。

ただし情報ではなく、臭いと感覚で、だった。

正しいのか間違っているのか不確かな情報よりももっと絶対的で断定的なものだった。

冷ややかな視線にすぐに、ここにもロゼンの居場所はないのだと思ったから、自棄になって、飛びだして、カルシィを探して、見つけてーーー。

大事なものを見つけた。自分にとってとても大切だと感じている。

でも。

見つけたけど、いろいろ、まったく上手くいかずに困っていた。

慣れないこと、慣れない相手。

それだけではない、ロゼンにとって誰かと行動を共にすることだって慣れないのだ。不慣ればかりですべてが四苦八苦だった。

自分はカルシィの面倒をみないといけないと気を張っていたが、今、主導権を持っているのはレネドだった。

太刀打ちできないレネドだったが、カルシィを取り上げられることはなさそうだった。彼はカルシィを丁寧に扱っている。

そうそう自分の思い通りに事が運ぶことなどないことは知っているけれど、でも当面の大きな危機感が失せた今、ロゼンは体中の力が抜けたような気分だった。

張り詰めていたものが消えたような、そしてもう一つ。頑強な首輪を首に巻かれて外せない絶望にも似た諦観がぐるぐると心に渦巻いたがそれもしばらくすると、考えるのも面倒くさくなった。

だからとりあえず、カルシィがのほほんと自分の横にいることで、いいかという心境に至ったのだ。


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