33.
だから、ロゼンは比較的平静で、落ち着いた精神状態であれるはずだったが、すぐにぶちキレることになる。
レネドだ。
獣一族の長だという男、レネド。
クソったれなレネドのせいだ。
善は急げ。
急いで里に帰ろう、とにこやかに言い出したレネドに、ロゼンもカルシィも反対はしなかった。
「カルシィくんはロゼンの背中に乗ってくれる?」
「ロゼンの背中?」
「そう。俺でもいいけど、きみも嫉妬深いロゼンの方がいいでしょ?」
さりげなく皮肉を織り交ぜるレネドにロゼンは睨みつけたが、全然平気だった。
逆に、レネドが自分の背中にと言い出さなかったことに安堵していた。
恥ずかしいと渋るカルシィに、レネドはどこまでも穏やかだ。
「里にーーー里と呼んでいるんだけどね、俺たちの隠れ里の空気は、きみにとって心地よいもののはずだ。環境のよい場所だよ。そこできみを待つものは、とても意味のある有意義なものだと思う。こんなところで無駄に時間を使っているのは賢いことじゃないと感じないかい?」
「・・・うん、・・・わかった・・・」
反論できずにカルシィが頷いて素直にロゼンに手を伸ばして、話はまとまった。
「ちょっと急ぐけれど、身体がきつかったら言ってね」
レネドはカルシィに優しい笑顔で言った後、ロゼンには素っ気なく
「なるべく彼を揺らさいように走れよ、わかっているな。無理になったら言え、代わってやる」
「余計なお世話だ!」
「じゃあ付いてこい」
そうして、レネドは走り出した。
皮袋一つの荷物を背に担いで、にっと、ロゼンに笑って見せた後だ。
ロゼンが呆然とレネドの後ろ姿を見ていたのも一瞬だ。すぐに自分も背を追って走り出した。ぐずぐずしていたら見失ってしまいそうだったからだ。
それほどの走りだった。
人間の普通の走り方とは違った。ロゼンも急ぐときに使う走り方だ。前傾姿勢になり低く走る。ときには、手も使う。斜面など必要なときには四つ足になっていることもある。それが楽で、走りやすい走り方だった。
ただし普通の人間には怪しく映るはずだ。
だから、レネドは道を無視した。整備された街道を辿ることはしなかった。
草原を駆け抜け、林を横断し、森だろうと躊躇しなかった。走り続ける。
いつまでも、休むことをしない。
目茶苦茶だと、腹を立てたのは最初だけだ。怒りなど維持できなかった。考え事していたら遅れてしまうのだ。
ひたすら、ひたすら追いかけて走った。
ただ必死に追いかけるロゼンだったが、次第に遅れだして息が上がり、足がもつれだしたころ、前を走っていたロゼンが止まっていた。
振り返って言う。
「今日はここまでにするか」
肩で荒い息をつくロゼンの前で、レネドは平然としていた。
日が暮れてなかったらまだ走り続けたのだろうという風情だった。
あたりは日も陰った薄暗い森の中だった。倒木も藪も関係なく進んできたが、三人がいる場所は少し拓けて、柔らかな下草のうえに横になれそうな広さがあり、一晩の野営地に決まった。
その場にへたり込んだロゼンの背中から、カルシィが降りて心配そうに顔色を窺っている。
「大丈夫、ロゼン・・・あまり、大丈夫そうじゃない・・・」
「だ、大丈夫だ。ちょっと疲れただけだ。休めばすぐによくなる・・・。おまえは、大丈夫なのかよ・・・」
「うん・・・。背中にいるだけだけど少し疲れた。・・・でも大丈夫。予想より平気なの・・・」
「そうか、そりゃ、よかった・・・」
「一番、平気じゃないのはおまえのようだな」
「うるせぇ・・・」
「野営と食事の支度は俺がやるから、おまえは転がってろ」
これにはロゼンは素直に従って、ずるずると寝そべって目を閉じた。そのまますぐに動かなくなった。
カルシィが荷物から毛布を取りだしてロゼンに掛けてやる。
「きみも横になって休むといい。食事ができたら起こすから」
「ううん、大丈夫。・・・大丈夫なの。気分がいい、不思議なくらい」
走る背で揺すられていたから疲れていると思った。落とされないように必死に捕まっていて、緊張もずっとしていた。それなのに、信じられないくらいに身体は楽だったのだ。
「どうしてだろう・・・?」
レネドは理由を知っていると思った。そしてその通りだった。
作業の手を止めたレネドが
「そうだね。それは、俺がいること、と人間のいない古の息吹が残る場所を選んで移動していることに関係があるはずだね」
返事に困っていると、レネドはすぐに助け船をくれた。
「きみは、ロゼンと一緒に行動してどう?あいつが他の人間とは違うと感じたろう。あいつの性格はともかく、一緒にいて気分が良いと感じたことはあるだろ?」
「うん、ある・・・」
「きみはあいつの発する気、というか、空気感に心地よさを感じている」
「うん・・・」
「それが、あいつだけでなく俺も加わっているから余計に調子がいい。そして、俺たちに合った土地を移動経路に使っているから、さらに、だね」
「あの、・・・ありがとうございます・・・わたしのために・・・。でもロゼンが・・・ーーー」
ロゼンに負担が大きすぎるようだからと言おうとしていたけれど、遮られて最後まで言うことはできなかった。
「礼には及ばないよ。それに、ロゼンも心配することはないよ。あいつは体が鈍っている。若いのに恥ずかしい奴だ。少しは鍛えないとあとで苦労するのは彼だからね」
ほとんど一日中を異常な速度で走っていたことが、少しは鍛えるになるのかカルシィにはよくわからなかったが、笑顔に言うレネドに反論ができなくて、ロゼンの元に戻ってすぐ横に腰を下ろした。




