エピソード01 『Welcome to this messy Time.』
三年前。江戸川の土手からダンジョンの一層に足を踏み入れたばかりの二人は、まだ自分たちの「音」を制御できていなかった。
「いくよ、りっちゃん! 記念すべき初探索、景気よくガツーンとやっちゃって!」
十五歳の陽葵は、今の武骨なハンマーよりも一回り小柄な『ひまわり零号』を担ぎ、キラキラと目を輝かせていた。対する十五歳の律も、転生者の落ち着きを装ってはいたが、内心ではこの未知の冒険に、前世の少年時代のような高揚感を感じていた。
「ああ……。とびきり熱いのをいくぞ。ついてこれるか陽葵」
「あたりまえじゃん! 私を誰だと思ってるの!」
律の指が、まだ新品同様だったプレーヤーの再生ボタンを叩く。
選んだテープは、世紀末を駆け抜けた伝説の男たちの旋律。
――『RUGGED・BOY』。
激しいドラムロールが鳴り響いた瞬間、律の脳内に「前世の情熱」がオーバーフローとなって流れ込んだ。
「……Welcome to this messy Time.ここは、軟弱な現代が止まった世界だッ! 荒野に燻る野望の火を、今こそ点火せッ!」
「えっ、りっちゃん!? 急に顔つきが劇画風に……っていうか、その喋り方なんなのーっ!?」
律の精神が「黄金時代」の基準に書き換えられる。
磁気テープから放たれた過剰な魔素が、音圧となって陽葵の魔力回路を強引にこじ開けた。
「あ、アハハハハ! 力が、力が溢れてくるぅうううッ!!」
陽葵の『零号』がブースターから見たこともない紅蓮の火柱を吐く。
目の前にいたスクラップ・ギルマンの群れに向かって、陽葵がまさに「光弾」となって突っ込んだ。
「陽葵ッ! 構造限界の秘孔をぶち抜くのだぁぁッ!」
「無茶苦茶だよ、りっちゃーーーん!!」
陽葵の身体能力は推定ランクを三つは飛び越えていた。だが、あまりの過剰供給に、彼女の制御は完全に「あっち側」へ振り切れていた。重力無視の加速で、ハンマーを振るというより、巨大な質量に振り回される「弾丸」と化していた。
「だ、ダメ! 止まらな……ッ!?」
その時だった。
陽葵が敵のど真ん中でフルスイングしようとした瞬間、律が「世紀末」に没入しすぎて足元の段差を失念。 盛大に躓き、プレーヤーを岩角にぶつけた。
――ガガッ、ギギギギッ!
衝撃で魔導ヘッドの制御回路が狂い、磁気テープが一箇所で激しく往復を始める。
生魔素をアナログの波形でダイレクトに同期させていた代償が、ここで最悪の形で牙を剥いた。デジタルなら安全装置が働いて強制終了で済むはずのシステムが、バグったままの波形を陽葵の肉体へと出力し続けたのだ。
「あ、あれ……っ!? 身体が勝手、に――っ」
サビの「We are fightin」のところで、再生ヘッドが狂ったように同じ溝を刻み、最悪の無限ループが始まりを告げる。
重厚なはずのロックビートが、壊れたサンプラーのように「We are…We are…」とコンマ数秒の超高速で連打された。
それに合わせるように、陽葵はハンマーを振り上げたポーズのまま、コマ送りのブリキ人形のように全身を「ガガガガガ!」と超高速で微振動させ始めた。
「う、う、う、We are……We are……We are……ッ!」
「りっ、りっ、りっ、りっちゃん……たす、たす、たす……ッ!」
脳内は世紀末の闘志で満ち満ちているのに、肉体がコンマ数秒のループに囚われて一歩も動けない。
マヌケな痙攣を続ける陽葵の背後から、スクラップ・ギルマンの棍棒が迫る――。
「ぎゃあああああああああッ!?」
一気にバフが解け、普通の十五歳の少女に戻った陽葵が、尻を押さえながら放物線を描いて吹っ飛ぶ。
律もまた、音飛びの衝撃で脳が揺れ、劇画調の面影をどこへやら、泥だらけの地面に顔面から突っ込んだ。
◆
一時間後。
ほうほうの体でダンジョンを抜け出した二人は、江戸川の土手で泥だらけになって座り込んでいた。
陽葵の尻は腫れ、律のプレーヤーには生々しい傷跡がついている。
「……ねえ、りっちゃん」
「……なんだ」
「……今の無し。無かったことにして。絶対、誰にも言わないで」
陽葵が顔を真っ赤にしながら、半泣きで訴える。律もまた、自分が口にした「秘孔」やら「軟弱な現代」やらの恥ずかしいセリフを思い出し、耳まで真っ赤にしていた。
「……当然だ。このテープは、もう少し俺たちの実力が上がるまで封印する」
律は傷ついたプレーヤーを愛おしそうに見つめ、泥を拭った。
「……それと、次は絶対に音飛びしない特製のホルダーを作る。お前がどれだけ暴れても、俺がどんなに躓いても、絶対に『音』を止めない頑丈なやつをな」
「うん、そうして。……でも」
陽葵が、泥を拭って少しだけ笑った。
「一瞬だけ、本当に自分が『勇者』になったみたいだった。あんな熱い魔法、私、りっちゃん以外には知らないよ」
中身は大人のはずの律だったが、この時ばかりは前世の経験値など何の役にも立たなかった。
江戸川の川面を真っ赤に焼き尽くしていく、下町の夕焼け。その暴力的なまでの赤さのせいにして、律は泥だらけの顔を膝に伏せながら、「……そうか」とだけ、掠れた声で答えた。
隣に座る陽葵の耳たぶが、夕日の光よりもずっと赤く染まっていることには、お互いに気づかない振りをしながら。
これが、後に『江戸川の掃除屋』と呼ばれる二人が初めて経験した、最高に格好悪くて、最高に熱い「大失敗」の記憶。
今の洗練された彼らなら絶対にしない致命的なミス。だが、あの日の泥の味と、歪んでループした「音飛び」の熱量がなければ、今の完璧なシンクロもまた、決して存在しなかったのである。




