第14話 『地下の宝箱に詰まっていたのは、夢と希望と鋭い牙だった話』
地下通路特有の、カビと湿気が入り混じった空気が淀んでいる。
『旧王都地下水道』。かつての下水路だが、今は魔物と汚泥の巣窟だ。
そこを歩く三つの影があった。
「……あと五十歩で突き当たりだ。そこを右に折れて、本日の測量は終了となる」
先頭を行く小柄な影――ドワーフのゴドが、手元の地図とコンパスを確認しながら呟いた。
彼らの今日の仕事は、ギルドから依頼された地図作成の再調査。魔物を狩るわけでも、お姫様を救うわけでもない、実に地味な仕事だ。
「ったく、しけた仕事だぜ。筋肉が鈍っちまう」
最後尾で巨大な戦士、ガンツが欠伸を噛み殺す。
その時だった。
角を曲がった先の小部屋に、不自然なほどぽつんと置かれた物体が、ランタンの光を反射して輝いた。
装飾の施された、重厚な木箱。
いわゆる、宝箱である。
「おっ! あるじゃねえか、ボーナスがよ!」
ガンツの色めき立った声が響く。
彼は大股で駆け寄ろうとしたが、その太い足をゴドの杖が遮った。
「待たれよ、筋肉殿。君の目は節穴ですか? こんな分かりやすい場所に、これ見よがしに置かれた宝箱。罠の確率は九割九分です」
「残り一分は?」
「誰かの忘れ物か、罠が作動した後の空箱でしょうな」
ゴドは冷ややかに言い放つ。
しかし、ガンツはニヤリと笑って斧を下ろした。
「馬鹿言え。残り一分に『ロマン』が詰まってるかもしれねえだろ? 古代の魔剣とか、王家の秘宝とかよ」
「やれやれ。……フィス君、君からも言ってやりたまえ」
中立を求めて振り返ったゴドだったが、エルフの魔法使いは壁に寄りかかり、興味なさそうに爪を眺めていた。
「どっちでもいいけど、早くしてくれないかな。ここ、湿気で髪が痛むんだ」
「ほら見ろ! 多数決で俺の勝ちだ!」
ガンツはゴドの制止を振り切り、宝箱の前で両手を擦り合わせた。
「へへっ、開けるぜ? 億万長者になって引退だ!」
彼は豪快に蓋へ手をかけ、勢いよく開け放った。
ガバッ!
箱の蓋が開くと同時に、中から金銀財宝の輝き――ではなく、何条もの長い舌と、凶悪な牙が飛び出した。
「うおっ!?」
ガブゥッ!!
「いぎゃあああああ!」
宝箱が、ガンツの太い腕に食らいついた。
『ミミック』。擬態魔獣の代表格である。
「だから言わんこっちゃない!」
ゴドが叫ぶ。
狭い地下通路で、巨体の戦士と宝箱の怪物が取っ組み合いを始めたせいで、もはやカオスだ。
「離せ! この野郎、俺の腕は骨付き肉じゃねえぞ!」
「ギシャアアア!」
「ちょ、ガンツ! 暴れるな、僕に当たる!」
フィスが杖を構えようとするが、通路の幅が狭すぎて狙いが定まらない。
下手に攻撃魔法を放てば、暴れまわるガンツごと吹き飛ばしてしまう。
「くそっ、これだから狭い場所は嫌いなんだ! ええい、少しは頭を冷やせ!」
フィスは舌打ちと共に、とっさに杖を振りかざした。
<冷却>。
パキンッ、と空気が凍りつく音がした。
しかし、狙いは逸れ、ミミックではなくガンツの足元の水たまりが凍結しただけだった。
「うおっ!?」
ツルッ!
氷に足を取られたガンツが、腕にミミックをぶら下げたまま派手に転倒する。
その巨体が、後方にいたゴドへ向かって雪崩れ込んできた。
「ぬおおお!? 来るな、馬鹿者!」
ゴドは反射的に腰のベルトから瓶を抜き、投げつけた。
中身は『特製潤滑油』。本来は錆びついた扉を開けるためのものだが、今はこれしかない。
パリーン!
割れた瓶から油が撒き散らされる。
ミミックの足(?)が油で滑り、ガンツの腕から外れた。
だが同時に、起き上がろうとしたガンツも、避けようとしたゴドも、全員が油まみれの床でステーンと転がった。
「痛ってぇ……!」
「ヌルヌルする……最悪だ……」
「ギッ、ギシャ……?」
ミミックもまた、油に足を取られてひっくり返り、亀のようにジタバタしている。
全員が泥と油まみれで転がっている、泥仕合ならぬ油仕合。
一瞬の静寂の後、ゴドが叫んだ。
「今です! 逃げますよ!」
「お、おう! 覚えてやがれ!」
三人は這うようにして立ち上がり、ひっくり返ったまま唸る宝箱を置き去りにして、脱兎のごとく駆け出した。
背後で虚しく響く、箱が閉じる音を聞きながら。
◇
「……で、これか」
酒場「錆びた剣亭」。
いつもの席で、三人は死んだ魚のような目をしていた。
服はドロドロ、髪はボサボサ。ガンツの右腕にはくっきりと歯型が残り、包帯が巻かれている。
「ひどい匂いね。下水と油のミックス?」
看板娘のミナが、鼻をつまみながら一番安いエールを三つ、ドンと置いた。
「うるせえ……。ロマンの代償だよ」
ガンツが力なくジョッキを持ち上げる。
ゴドは泥を拭いきれていない眼鏡を磨きながら、深く溜息をついた。
「私の警告を聞いていれば、こんなことには……。まあ、命があっただけマシとしますか」
「僕のローブ、クリーニング代どうしてくれるのさ。……まったく、君たちといると退屈しなくて困るよ」
フィスは呆れ顔だが、その手にはしっかりとジョッキが握られている。
キラキラした財宝も、古代の魔剣も手に入らなかった。
手に入ったのは、筋肉痛と、擦り傷と、笑い話のネタが一つだけ。
「ま、地道に稼げってことだな」
ガンツが苦笑いし、仲間たちを見渡す。
泥だらけのグラスを合わせる音が、カチンと鳴った。
「今日の命と、中身が空っぽじゃなかった財布に乾杯!」




