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第13話 『偽造銀貨の出処を追って、悪党の財布と私の肝臓を痛めつけた話』

重苦しい空気なのです、今夜の酒場は。

雨上がりの湿気だけのせいではありません。

カウンターの奥、分厚い帳簿を前にしたおかみ、マーサ殿の背中から立ち昇る冷気が原因なのは明白でありまして。


「……ゴドさん」


名前を呼ばれただけで、背筋が凍りつく。

これはいけません。

かつて王都の暗部を捜査し、数多の修羅場を潜り抜けてきた私の勘が、全速力での戦術的撤退を推奨している。

しかし、逃げ足の速さには自負がある私ですが、彼女の放つ「ツケの請求」からは逃れられないと、これまでの経験則が告げています。


「はい、何でありましょうか、麗しのマーサ殿」

「これ、ご覧になって」


彼女がカウンターに鋭く弾いたのは、一枚の銀貨でした。

卓を叩く音は鈍い。本物の銀貨であれば、もっと澄んだ音色が響くはず。

私は懐から片眼鏡を取り出し、その硬貨を観察しました。表面の彫刻こそ精巧ですが、側面の摩耗具合、そして指先に伝わる重心の微妙な偏り。


「……鉛の芯に銀の薄膜で包持したメッキ加工。なかなかに練られた工作ですな」

「今日だけで三枚も見つかったわ。このまま流通を許せば、店の信頼という基盤が崩れちゃう」


マーサ殿は穏やかに微笑みましたが、その瞳の奥は笑っていません。


「元・衛兵隊長のあなたなら、こういう害虫の駆除はお得意でしょう?……成功の暁には、今月のツケを一割ほどまけてあげてもいいわ」

「一割……。評価がシビアですな、相変わらず」

「失敗したら、来月から利子がつくと思ってね」


やれやれ。

平和な隠居生活を愛好する私ですが、酒の供給を断たれては、冒険者としての活動が失われます。

私はグラスに残っていた蒸留酒を、喉の奥を消毒するかのように飲み干し、重い腰を上げたのです。


 ◇


情報の川を遡るには、ドブ川の泥をさらうのが最短経路というもの。

私が向かったのは、市場の裏通りに店を構える「二本髭商会」。かつて干し肉泥棒の自作自演で私に弱みを握られた小悪党、ボークの拠点です。


「ひっ、ゴ、ゴドの旦那!? か、勘弁してくださいよ、今日は真面目に商売を……」

「安心したまえ、ボーク君。今日は善良な顧客として来訪したのです。……極上の情報を買いたい」


私はカウンターに、例の偽造銀貨を提示しました。

ボークは脂汗を浮かべながらそれを鑑定し、小刻みに髭を震わせる。


「こ、これは……『北の廃坑』のアジトで作られてる品だ。最近、質の悪い連中が入り込んでるって噂で……」

「ほう。拠点は特定できているのかね?」

「へ、へい。でも、あそこには用心棒もいるって話ですぜ?」


危険、か。

私は懐から、なけなしの本物の金貨を取り出しました。

これは捜査上の必要経費。後ほど厳密な清算を行わねばなりません。


「案内料だ。それと……君の知っている『最も芳醇な酒が愉しめる店へ案内したまえ。機密情報は酒席の緩んだ空気の中で抽出するのが、本官の流儀ですのでな」


ボークの瞳が、金貨の純粋な輝きに眩みました。

この男、金と酒という名の誘惑には、極めて弱い。彼を酔わせて、偽造組織の構成、流通ルート、見張りの配置まで、全てを吐き出させました。

……まあ、その代償として、私の肝臓が悲鳴を上げるほどの高級ワインを数本、消費することになりましたが。


 ◇


深夜。雨に濡れた、静まり返った森。

情報の通り、指定された『北の廃坑』は、闇の中に潜んでいました。

私は正面突破などという、筋肉殿(ガンツ)が好む野蛮で非効率な手段は選択しません。隠密性の保持こそが、斥候の本質。


私は音もなく坑道に接近し、まずは内部の空気循環を司る通気口を特定しました。

中にいるのは五名。換気のために微かな対流が生じている。


「ふむ。風向きは良好」


私は懐から、ボークの店で……いや、捜査協力の一環として調達した『赤トウガラシの粉末』と『乾燥させたスカンク草』を、携帯用の火種にくべました。

そして、その刺激的な煙を、マントを扇のように使い、通気口へと送り込んだのです。


数分後。


「げほっ、ごほっ!? な、なんだ、この喉を灼く臭いは!」

「目が、鼻があああ!」


坑道内部から、苦痛に満ちた叫びが響き渡りました。

慌てて入り口の重量扉を蹴破り、外部へと飛び出してきた男たちの足元には、あらかじめ私が塗布しておいた、粘着性の高いとりもちと潤滑油の複合トラップ。


「うわっ、滑る!」

「あがが、足が抜けねえ!」


完全な無力化、制圧完了です。

涙と鼻水で顔面を汚し、地面に這いつくばる偽造犯たち。私は木陰から音もなく歩み出ると、かつて王都の罪人たちを震え上がらせた、尋問官の声色で宣告しました。


「諸君、深夜作業中に失礼。……衛兵隊への通報は既に完了している。彼らが到着するまでの間、私と少しばかり、お話ししようか?」


手元では、彼らが悪用していた彫金用のハンマーを弄び、心理的な圧迫を加えることも忘れません。

男たちは青ざめ、その場で戦意を完全に喪失しました。

暴力という名の無駄なコストを支払うことなく、知略のみで解決に至ったわけです。


 ◇


「いやあ、見事な手際だったわ、ゴドさん」


翌日の「錆びた剣亭」。

マーサ殿は、衛兵から届けられた感謝状を確認し、上機嫌に微笑んでいました。

偽造組織は壊滅し、街の経済的な淀みは一掃された。これにて任務完了……と言いたいところですが。


「それで、こちらが今回の捜査の経費報告書になります」


私が差し出した羊皮紙を一瞥した瞬間、マーサ殿の笑顔が氷のように固まりました。

ボークへの接待費、高級ワイン代、情報提供料。

総額、銀貨五十枚分。


「……ゴドさん?」

「捜査には金がかかるものです。必要経費ですよ、必要経費」

「偽造銀貨の被害額より、あなたの飲み代の方が高いのはどういう計算かしら?」


マーサ殿の背後に、黒いオーラが見えます。

隣の席で、ガンツとフィス君が、必死に笑いを堪えて肩を震わせているのが視界の端に入りました。


「偽りの輝きには、相応のコストがかかるものだね、隊長(たいちょー)。でも、おかげで街の空気は澄み切った。この酒みたいにね」


フィス君はそう言って、僕の前に置かれた安酒を指先で軽く叩きました。微かな魔力の振動が、グラスの中の淀みを消し去り、透明な輝きを与えます。


「……フィス君。今の私に必要なのは、魔力の洗浄ではなく、債務の免除なのですよ」

「却下よ、ゴドさん」


マーサ殿から、慈悲のない判決が下されました。


「この分は、来月までの皿洗いで清算してもらうから。……あ、もちろん延滞金も含めてね」


やれやれ。

悪党を罠に嵌めるのは造作もないことですが、この店の実権を握る絶対権力者には、いかなる知略も通用しません。

私は苦笑いを浮かべ、自らの債務の一部となった安酒を一気に飲み干しました。


「平和を取り戻した街と、空っぽになった私の懐に乾杯!」


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