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 吉良伸也は、パソコンで一本のレポートをまとめていた。この日、急に仕上げなければいけなくなったオカルト研究部の部会に提出するレポートだった。カタカタと素早く指を動かしながらも本音では嫌な気持ちでいっぱいだった。


 あれから二週間が過ぎた。大半が崩れ落ちた鬼救寺はもはや人が住めるような状況ではなく、鬼神紙都は現在、犬山蓮の家に招かれ、蓮、そして蓮の両親とともに生活を営んでいる。元々仲の良かった二人であったから、蓮の両親もすぐに受け入れてくれたらしいが、寺の後始末は少々厄介だった。


 特に問題となったのが、紙都の母親である鬼神御言の死体の状況である。当初は落ちてきた瓦礫の山に巻き込まれて死亡した、と思われたが、検死の結果、直接の死因は胸を切り裂いた鋭利な刃物による裂傷だということが判明し、紙都、およびオカルト研究部のメンバーそれぞれが長時間に及ぶ事情聴取をさせられた。結果としては、側に落ちていた刀(鬼面仏心)が真っ二つに割れていた点から、地震の振動によって刀が床へと落ち、そこへ運悪くバランスを崩した御言が転がり、刀が胸を貫き、その衝撃で刀が割れた。その上に瓦礫の山が落ちてきたという説明がなされた。


(……というのが、鬼救寺の経過として、次は南柳市全体の状況について)


 吉良は手を止めると、まだ包帯が取れない両の手の平を見つめた。吉良自身も警察の取り調べを受けたわけだが、そのときに手の平の傷の理由(わけ)を尋ねられた。咄嗟に逃げる最中に何か尖ったものを触ってしまったと嘘を吐いたが、御言のその身体を貫いたのは紛れもなく自分であり、平静を装うのに、おそらくもう一生訪れないであろう冷や汗とエネルギーを費やした。たとえあれはぬらりひょんという妖怪だったと自分を納得させようとも、その手の感触に、飛び散るまだ生暖かい血は、穢れとしてべっとりと手の平の傷口に付着しており、拭うことなどできなかった。


 それは今現在も同じで、出来うることならもうこの怪異だとかいうものから逃げてしまいたかった。記憶が定着しなければ良かったと何度思い返したことか。


 だが、それでもキーボードを打つ手は止まらない。知ってしまった以上、忘れられない以上、もう一度南柳市の封印を施さなければ、今までの安寧な生活はもう戻ってこない。その証拠に事件から二週間が過ぎ、妖怪の仕業と思われる行方不明事件が続発していた。


 世間はまだこの事態に本格的に気付き始めてはいない。ニュースで時折行方不明の事件を報道するはするが、それ以外は普段と変わらない日常の様子を映し出していた。芸能界の様子や新作映画、音楽の情報、政治のやり取りーーなどなどだ。本当に気づかれていないのか、意図的に隠しているのかは、吉良の目からはわからなかったが、少なくとも高校の生徒達や自分の家族は何事もないように日常を過ごしていた。


(だけど、怪異は起きているんだ……)


 沙夜子が主に情報収集に使っている『ニューオカルト掲示板』。以前あった『妖怪事件簿』から名称を変更し、南柳市から全国のオカルト現象が集まる掲示板へと変貌したそれには、日夜次々と書き込みが殺到している状況だった。妖怪の記憶は消える。残るのは、首を傾げたくなる不可思議な結果だけ。その現象に、今はもう誰も対処しきれていない。


 ドアをノックする音に、吉良は手を止めてその方を見た。遠慮なく開けられた先にはコンビニの袋を手に提げた犬山蓮の姿があった。蓮は黙っていればそれなりに見えるその顔を崩し、吉良に向けて袋の中からペットボトルを投げた。


「え、ちょ!」


 デスクチェアを引いて急いで立ち上がり手を伸ばすも、ペットボトルは吉良の手をすり抜けて後ろの本棚にぶつかりフローリングの上に落ちた。その衝撃で無理矢理積み重ねた十数冊の書籍がバラバラと落ちてくる。


「おいおい、それくらいちゃんとキャッチしろよ~」


「ご、ごめん」


 本を戻しながら吉良はふと思った。ーー今のは僕が悪いのか?


「さて、どうよ、吉良! 進んでる? 明日の部会までに絶対まとめてよって沙夜子さんに言われてたレポート!」


「うん、まあ、ぼちぼちかな」


 実際にはあまり進んでいなかった。大まかな変化は書き終えたが、さらにこの間の妖怪退治に、各地を回って調査していた鎌倉からの情報に、多発する怪異のなかでも最近特に目立っている行方不明事件についても纏めなければいけない。思わずため息が出てしまう。なんでこんなことを……部長だからか。


 それにしても、と吉良は座椅子に座って炭酸飲料を美味しそうに喉に流している蓮に視線を向けた。こんな事態になってもこいつだけは変わらず、おちゃらけている。鎌倉も紙都も、沙夜子ですら落ち着いていられず、常にピリピリしているのに。


 視線に気づいた蓮は苦虫を潰したような顔をする。


「やめやめ! 男に見つめられても全然来ないわ!」


「別に見つめてたわけじゃ……蓮君は、なんでそんなに落ち着いていられるの?」


 『妖怪辞典』と書かれた分厚い装丁の本を手に持ったまま吉良は、素直に質問を投げ掛けた。


「落ち着いてる? オレが?」


「うん。いつもと変わらないように見える。女の子が大好きなところとか?」


 蓮は飲もうとしたジュースを吹き出してしまった。


「おま、当たり前のこと聞くなよ! 出ちゃったじゃねえか!」


(いや、出ちゃった先は僕のテーブルなんだけど……)


「お前さ、女の子好きじゃねぇの?」


 黒色のミニテーブルに置かれたティッシュを2、3枚掴むと、自身の口と溢れたテーブルを拭く。


「好きかどうかとかは考えたことがないんだ」


 それは嘘ではなかった。いつからか陰気キャラになってしまった吉良にとって異性は未知の生き物だったから。特に相手が一般的に美人と言われる部類であれば、もはや怖いという思いしか抱かなかった。沙夜子がいい例だ。


「もったいないな」


 それだけポツリと述べると、蓮はまたペットボトルを傾ける。そうだ、こんなことしてる場合じゃない。レポートを完成させないと。


 吉良はデスクへ座り直すと、蓮からもらったお茶を一口、口に含む。喉を潤してくれるそれは、乾いていたことに気がつかせてくれた。


(ただレポートをまとめているだけなのに、こんなに緊張するなんて……)


 吉良は他の四人に比べると圧倒的に弱く脆い。紙都や鎌倉のような技を使えるわけでもないし、沙夜子や蓮のように度胸があるわけでもない。人間の中でも下の下の下の下くらいに位置する存在だと思っていた。だから。


(変わらず弱いな、僕は)


「なあ」


「うん?」


 キーボードを打ちながら相槌を打つ。珍しく気弱な言い方だなと思ったのは、そのすぐあと。


「お前、妖怪のことどう思う?」


 手を止めてくるりと椅子を蓮の方向へ回転させる。いつもは自分のことを風景の一部くらいにしか捉えていないような両の目は、今はしっかりと向けられていた。


 吉良は眉を潜ませた。


「どうって、普通に怖いよ? 僕には奴らに対峙する力が何もないんだから」


「だよな……いや、いいんだ。悪い、作業続けてくれ」


 なぜか安堵したような微笑みを浮かべた蓮に首を傾げるも、吉良は言われた通りデスクトップ画面と向き合うことにした。

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