第37節 伝書鳥と領主一族の秘密
「ノハヤ、貴方軍人よね?」
「はい、神法師団に属していますので」
「じゃぁ貴方の主は誰?」
「領主様です」
意図を計り兼ねたのか、困惑気味な表情でノハヤは答えた。
「貴方の主人は誰?」
もう一度同じ質問を繰り返す。
皆の視線を一身に受け、ノハヤは開きかけた口を閉じた。高揚が緊張に変わり、唇が青くなる。
「忠誠心の篤い部下を持つ領主は幸せね」
「私は……」
「貴方が私達をどう思おうと構わないけど、それを人に話すのは感心しないわ」
「神に背く様な事は……」
「では領主より私に付くと?」
念のために釘をさしておく。
信仰心の欠片もない私としては宗教など未知の世界だが、これだけ神に傾倒しているなら私や精霊達の存在や立場を吹聴したりはしないだろう。
問題はノハヤがどちらを優先するか、それだけだ。
領主に絶対の忠誠を捧げているなら、そちらに与するのは不思議ではない。
ただ、打算はあった。いつだったか冒険者達が職業は世襲だと言っていたからだ。
更にホノライやサダートの様に貴族がいる集団で平民のノハヤの地位は低く、中央都市から離れたこんな辺境の森の中で勤務となるとどう見てもこれは閑職。
器の大きさからも、神獣を任される要職に付いているとは考えにくい。
状況から判断して、そこまでの忠誠心が彼にはあるのか。領主と直接面識がある様子もない。
(でも敬虔な教徒って凄く誠実なイメージがあるのよねぇ)
絢爛豪華なシスターなど世の中にはいないと思っている節がある事は否めない。神に仕える牧師は慎ましやかで、質素で、その心は神と共に、その生活は貧しい民と共にある。
と言うとても美しい推測。
(いやいや、お坊さんはベンツ乗ってるじゃない)
カブで移動する僧侶がいないとは言わないが、最早そんな聖職者は想像上の生物かもしれない。
(……ってそれだと私が不利になるわ)
まぁノハヤは兵士で聖職者ではないのだが。
利権が絡む領主と、信仰の対象である神、の様な私。果たして軍配が上がるのはどちらなのか。
血の気の引いた顔で苦悩するノハヤ。そんなに領主を裏切るのが怖いのか。それともよもやこの状況で私に逆らうと言うのか。
(もしそうなら、ノハヤの心は完全に領主のものね。それはそれで萌えなくもないけど)
領主が女でない事を祈る。
「私はホノライを裏切れない」
「そう、残念だわ。やはり領主に付く…………ん?」
想像と違う単語が返って来た。
「ホノライ?領主じゃなくて?」
「領主様は確かに雇用主ですが、神と比べられる筈はありません。でもホノライは……孤児だった私を拾って育ててくれたのです」
重い過去が来た。それはそれで、ごちそうさまだが。
これで美青年と美少年なら完璧なのに、彼等は所詮兵士。マッチョである。やはり美しい方が萌え易い。
「私は彼のお陰で今ここにいる。だから彼だけは裏切れない。彼が領主様の配下である以上、私がそこから離れる事は出来ません」
額を地に着け土下座してしまったのでその表情は見えないが、はっきりとした意志がそこにはある。
(侮りがたしソウルメイト……)
「埒が明かないな」
「契約すれば良いのですわ」
「尋問なら僕出来るよ?」
「あら、それなら私にお任せを」
どうしてこう精霊は過激志向なのだろうか。真顔の蘇芳以外は皆爽やかな笑顔なのだが、言葉の裏側が見え隠れしてならない。
「これ以上話しても無駄なのでは?ここは力尽くでいきましょう」
「話し合いなど元より無用です。精霊契約で縛れば良いですわ」
「拷問なら僕得意だよ!」
「私なら彼を籠絡させられるわよ」
そう、さっきの台詞はきっとこんな感じだ。取り敢えず精霊に非難の目を向けておく。
確かにやろうと思えばどれも出来る気がする。でも。
「ホノライに恨まれるより、適度に囲って妄想のネタにした方が楽しい様な気がする」
心の声が零れてしまった。
「ではホノライを縛ればノハヤは付いて来るのでは?」
「必要か?」
「今のところ有用じゃありませんか」
「彼に手を出すのは止めて下さい!!」
ノハヤの目から涙が零れた。震える肩。
絶望に満ちたその姿にゾクゾクする。
「手なんか出さないわよ」
二人の邪魔はしない。
別にノハヤを手に入れたかった訳ではない。ただ神やら精霊やら、やたらと私を神聖視して存在を周りにアピールして欲しくなかっただけなのだが、これはこれで良い気がして来た。
「トーコ様がそうなさりたいなら直ぐホノライを連れてまいりますが」
「止めて!!」
私の言葉で直ぐにでも部屋を出て行こうとする蘇芳の足にしがみ付こうとノハヤが手を伸ばす。
しかし蘇芳が事も無げに避けるものだから、ノハヤは両腕を真っ直ぐ伸ばしたまま見事に絨毯にぼふっと倒れてしまった。
「仕方がないなぁ……ホノライを連れて来て」
お互いを思い自己を犠牲にする、美しいBL的な未来が見える。萌えだ。この萌えを譲るつもりも必要もない。
「畏まりました」
「そんな……」
泣き崩れるノハヤ。サダートと言いノハヤと言い、大の男が良くもまぁ泣くものだ。メルイドも精神的に弱そうだったし、往々にして女の方がドライに出来ていると思う。
(だから私が悪役って訳じゃないのよ)
床に伏すノハヤを見下ろしていると気分が高揚した。
(でもこれは私が生き残る為に仕方がない事なの。ごめんねノハヤ)
そう出来る力が今の私にはある。
上がりそうになる口角を引き結ぶが、自然ににやけてしまった。萌えとは偉大である。
「お待たせ致しました」
蘇芳の声と共に、ノハヤの横に一人の男が投げ出されて転がった。言わずと知れたホノライである。
ダメージを受けた様子もなく、兵士らしくさっと身を起こしたホノライは、床に突っ伏して泣いているノハヤを助け起こす。
「ホノさん……ごめん、なさい……」
腕にすがり付くノハヤの背中をポンポンと叩いて答えたホノライの、その微笑む瞳の優しい事。これは果たして友情なのか愛なのか。
(愛でしょ!)
「これは一体、どういう事でしょうか」
「本当に生意気だ事」
「瑠璃」
一応精霊達をけん制し、本題に入る。
「私はノハヤが欲しいんだけど、ノハヤはホノライを裏切れないんですって」
それだけで、ホノライは凡そ察したらしい。
「領主様を裏切れと?それでノハヤと私をどうするおつもりですか?」
「今とそう変わらないわね。ノハヤは浄化と睡眠を繰り返すだけよ。貴方はそうね……雑用でもする?」
「浄化と睡眠を繰り返す?そんな扱いを私に了承しろと?」
「トーコ様がいくら優しいからって勘違いしちゃ駄目だよ」
萌黄がホノライに殺気を飛ばす。
「別にお前の意見なんか聞いてないんだからね」
この天使は正に悪魔である。
「…………了承しない場合は、どうなるのでしょう」
「あら、光に還りたいの?」
「ヨモギのご飯はー?」
「庭が汚れるのは駄目だ」
「生け簀がありますわよ」
精霊達がナチュラルに脅しだした。私はここまで酷くないと思いたいが、確かに浄化と睡眠の繰り返しでは人として扱われているのか疑問かもしれない。そんな人形の様な人生を送らせる為にノハヤを拾った訳ではないのだろうし。
「ホノさんが無事なら、俺はそれで良い」
「そんなのは駄目だ」
「でも……」
これでは二人とも壊れてヤンデレルートに突入しそうな気がする。私は割と雑食なのでこれはこれで良いのだが。
「まぁ貴方達が世界を裏切ってでも私に付くなら、ノハヤには普通の生活をさせてあげる。どうする?」
私はそこまで鬼ではないので譲歩しよう。
「…………貴方様に心からの忠誠を」
祈る様に跪いたホノライに、ノハヤも続いた。
仲間になるなら仕方がない。二人の精霊を呼び出すとしよう。
言葉だけで信用するほど、私は優しくない。
青年が窓辺に座って本を読んでいた。線の細い美しい金髪に、薄い黄色の瞳、華奢な体。二十歳を過ぎた筈の青年はしかし、周りから幼く可愛らしいとの評価を受けて愛されていた。
青年の本に影が落ちた時、彼は顔を上げて窓の外を見た。そこには返した筈の伝書鳥が再び舞い戻って来ていた。
青年の束の間の読書タイムはこうして終わりを告げた。
「エルザーニス様、伝書鳥が書簡を持って参りました」
近衛の兵士から差し出された書簡を開いて中身を確認した青年は、それを元通り小さく折り畳むと胸の中に仕舞い込み、テーブルの上にあったピンク色のリンゴの様な実を一つ掴んで伝書鳥へ近づいて、優しく言葉をかけながら美しい手でその実を差し出した。
「流石は神の眷属だ。水を酒に変える神の果実を食しても平気とは。長生きの秘訣もその辺りにあるのかな?」
人が食せばたちまち光に還るその不思議な実をいとも容易く飲み込むこの伝書鳥は、青年の祖母、先々代のレザーヌ領領主の頃からこの家に使えていると言う。その生態や発祥は知られておらず、祖母がエルザーニスに語ったのは「神様の御使い」というよく分からない一言だけ。
「近衛、後は任せる」
「はっ!」
部屋を後にしたエルザーニスが向かったのは、引退した領主達とその関係者が住まう一角。大扉を幾つも潜り、後宮の様に出入りの制限があるその場所まで足を運ぶと、城の中だと言うのに景色は次第に装飾がなくなり、要塞を呈して来る。
従者も次第に減り、最後に一人になったエルザーニスは迷う事なく自ら扉を開けて中へ入る。
そこは貴族としては簡素な、平民からすればそれは豪華な応接室で、エルザーニスは漸く目的の人物を見つけた。
「ご機嫌麗しゅう」
中には同じ年頃に見える二人の女性がお茶の最中だった。
「おばあ様、お母様」
一人はエルザーニスの母、そしてもう一人はエルザーニスの祖母である。
「珍しい事もある」
「エルが連絡もなしに来るなんて何年ぶりかしらね。さぁ此方へ」
若くして光に還った先代領主である父の肖像画に一礼し、エルザーニスは勧められたソファーに腰御下ろす。
「今お茶を」
「そう悠長にもしていられないのです、お母様」
丁重に断って、エルザーニスは届いた書簡をテーブルの上に開いて見せた。
「グリーセントメリベの結界が壊れ、神獣の棲み処に魔女が現れました」
せめてお菓子をと息子に席を譲った母の手が止まり、エルザーニスに対峙した祖母が目を見張る。
「結界が壊れた?」
「はい。結界石が割れまして」
「それでお前は森へ侵入したと?」
「緊急事態でしたので」
「あの森に入ってはならないとお前は知っている筈ではなかったかしら」
「それは……申し訳ありません。事前におばあ様にご相談に上がるべきでした」
師団を派遣した事を責められたと思ったエルザーニスは素直に謝る。
代替わりしたばかりとは言え、現領主はエルザーニスである。隠居している祖母の顔を立てる必要はなかったかもしれないが、こういうところが愛される所以だろう。
そしてこの時エルザーニスが祖母に相談に来た事は英断だった。
にこやかな孫を見ても険しい表情の祖母に、母は少し困惑して席に着こうとした。
母から見た祖母は、普段あまりエルザーニスに、否、そもそもこのレザーヌにさえそれ程興味がある様には見えなかったからだ。
しかし母がテーブルの横に立った時、祖母は母がこの席に加わるのを許さなかった。
「お前は部屋へ戻りなさい。少しこれと話をします」
「ですが」
「領主にしか出来ない話です」
「…………畏まりました」
こう切られてしまっては、母が口を出す事は出来ない。彼女は先代領主の妻であって、領主ではなかった。
部屋を辞する母を視線で見送った祖母は、報告書を手に取りさっと目を通した。
「これを他に読んだものは?」
「城のものではまだ」
「そう、それは賢明ね」
祖母の言葉と共に報告書が舞い上がり、風に切り刻まれて香炉の中に吸い込まれて燃えた。
「おばあ様!?」
「静かになさい」
祖母に窘められエルザーニスは口を閉ざしたが、彼は祖母が風の神法を使うところを今まで一度たりとも見た事はなかった。
「おばあ様は風の属性もお持ちだったのですか?」
祖母の髪と瞳は黒。属性の色や位を表す原則からは外れている為、外見から判断する事は出来なかったのだが、公表されている祖母の属性は水だった筈だ。
祖母に問いただそうとしたエルザーニスだが、真っ直ぐに見つめ返されてその先の言葉を飲み込んだ。いつもの優しくも厳しい祖母ではない。それは元領主として、エルザーニスを見極める目だった。
「お前はあの森と神獣の事を何処まで知っていたかしら」
「グリーセントメリベは神獣の住まう森です。結界に守られ、人が立ち入る事は出来ない。神獣は巨大な獣の姿で風の属性を持ち、百匹の魚の様な外見の眷属を従え森を守っている。それ以上は……」
「そう。そうね、それしか知らないわね」
「おばあ様?」
祖母はそれには答えず、胸元からロザリオを取り出した。
徐にロザリオの先端に口を付けた祖母は、フッとそれに息を吹き込む。小さな筒で出来たロザリオからは笛の様に音が出るかと思われたが、その音はエルザーニスには聞こえなかった。
しかしその音は神法に乗って確実に外に飛んで行く。
「何を……」
ロザリオを服の中に仕舞った祖母は沈黙する。エルザーニスは仕方なく待った。
程なくして、バサバサと大きな音が近づいて来た。それはエルザーニスにも聞き覚えのある音だった。伝書鳥である。
祖母が窓に目を向けると窓はひとりでに開き、伝書鳥を迎え入れた。
「これから見る事は他言無用です」
エルザーニスが頷くのを待たずして祖母は立ち上がり、羽ばたく伝書鳥の前に歩いて行って手を翳した。
瞬く間に眩い光が現れ、伝書鳥を包む。
エルザーニスはあまりの眩しさに思わず目を閉じ、瞼の裏で光を見た。そしてその光が収まると同時に、直ぐ傍で人の気配がするのを感じた。
そっと目を開けるとそこには祖母と、美しい黄緑の髪をなびかせた裸の女性が立っていた。
「すっ、すみません!!」
慌てて下を向くエルザーニスに、聞いた事のない声が降って来る。
「漸く話が出来るわ、アカリ」
「お久しぶりね。それより貴方服は?」
「服?あぁ、暫く着てなかったから忘れてた」
アカリとは祖母の名前だ。では声は裸の女性のものだろう。少し怒っている気がする。一体彼女は何処から現れたのか。
しかしエルザーニスはそれよりも祖母アカリが彼女を「貴方」と呼んだ事が気になった。
このレザーヌ領に置いて、アカリとはその地位を退いてなお絶大な権力を誇る。領主であった父も、領主になったエルザーニスも、彼女に対等に扱われた事はない。
「エル?もう大丈夫よ?」
俯くエルザーニスを、件の女性が覗き込んでいた。
「…………お綺麗なドレスですね」
女性はレースをふんだんにあしらった、見た事もない豪華なドレスを纏っていた。髪の色と同じ、正に彼女の為のドレスだ。
「あら、褒めるのはドレスだけ?」
「お美しい貴方にお目に掛かれて光栄です。お名前を窺っても?」
「私はミドリ。この姿で合うのは初めてね、エル」
「貴方は……」
エルザーニスは言葉を閉ざした。そんな事がある筈がない。そう思うが、この状況がそれを許さない。
「ほんっと、鳥って窮屈だわ!」
「良いから座りなさい」
アカリの誘いでミドリがエルザーニスの隣に腰掛ける。白い手袋をした彼女の手が、いつの間にか膝の上に置かれていたエルザーニスの手に重なっている。
「ミドリ、貴方は此方に座りなさい」
「私はエルの隣が良いわ。だって初めてこの子とお話しするんですもの」
「それに手を出しては駄目よ」
「子供に手なんか出さないわよ」
重ねた手を優しく撫でられて、エルザーニスは微妙な気分になった。彼はまだ二十代前半。思春期はとうに過ぎたが、それでも男である。
「まぁいいわ。話を進めましょう。ミドリ、貴方が見た事を聞かせて頂戴」
「そうよ聞いてよ全く!私の大切に育てた鷹の子も森の子も、街の師団の子供達も、大勢あれに光に還されたのよ!?」
「魔女に?」
「魔女?あれって魔女なの?貴方と同じ人に見えたけど?でもあの森に閉じ込めた神獣も森の子供の幾人かも取り上げたのよ、この私から!腹立つったらないわ!!どれだけ苦労して育てたと思ってるのよ!!」
「落ち着きなさい。エルザーニスが驚いているわ」
言葉と共に強くなる手の力に、握られたエルザーニスは困惑しつつそれでも体裁を保って微笑んで見せた。
そして束の間、アカリと対等に会話する彼女に何と声を掛けて良いものか思案する。
「神獣を閉じ込めたとは、どういう事でしょうか、ミドリ様」
若く見られる事を侮られていると見る貴族は多いが、未婚の女性に夫人では失礼だ。彼女がこの概念に当てはまるのかそもそも疑問はあるが、アカリの例もある様に女性の年齢は見た目通りとは限らない。
領主として祖母と対等に話をする彼女の夫や父親の名前を知らない等とは口が裂けても言えず、エルザーニスは無難な敬称を付けて彼女の名前を呼んだ。
「本当にエルは良い子に育ったわね」
「私が育てたのだから当然ね」
気安く自分の頭を撫でる事からも、ミドリと言う女性は祖母に何らかの形で認められたところがあるのだろうとエルザーニスは推測した。
そして二人が自分の質問に答える気がないのだと確信したエルザーニスは、仕方がないので状況から判断すべく二人の会話に耳を傾ける。
「あの魔女、神獣どころか精霊を従えていたわよ?しかも三人も。あれは確実に私達側の人間ね。名前はトーコ」
「トーコ……桃子、桐子、瞳子……」
アカリの表情が歪んだ。額に手を当ててため息を吐く。
「考えても仕方がないわね。神様は本当に気まぐれだ事」
「どうするの?アカリ」
「…………朝木に連絡を。何か聞いているかもしれないわ」
「朝木ぃ?私は嫌よ!」
「ではアトリに行かせるわ」
「それなら良し!」
ミドリがパッと手を離して立ち上がる。
驚いたが取り敢えず様子を見守ろうとするエルザーニスに、アカリが口を開いた。
「お前はこれから多くの事を知る事になるわ」
アカリの傍に屈んで手を取ったミドリが、神力で二人を包む。
エルザーニスにはそれを感知する事は出来なかったが、確かに二人の間で神力が動き、光が溢れたかと思えば今度は精悍な男がアカリの隣に出現した。
エルザーニスは唖然とし、しかし領主らしく直ぐに我に返ってアカリの言葉を待った。
「アトリ、貴方朝木のところに行って来て頂戴」
「久々に呼び出しておいて、言う事はそれだけか?」
アトリと呼ばれた深紅の髪の青年は、そっとアカリの頬に手を添えてキスをする。
エルザーニスはまた複雑な気分になるかと思ったが、祖母があまりにも無表情でそれを流した為気にしない事にした。
「お前が行けばいいだろ」
「嫌よ、私朝木嫌いだもの」
「俺だってアカリの傍を離れたくない」
暫く睨み合っていた二人だったが、アカリが意見を変えないと知って諦めた様だ。
「折角言葉が交わせるのに寂しい」
そう言ってアカリを抱きしめるアトリ。
普通祖母が若い男と抱き合っている姿を見るのは微妙だと思うが、アカリが実年齢を詐称しているのではないかと言う美貌の持ち主で恐ろしく若く見える事を踏まえれば、気持ち悪いどころか妖しい関係に見えて来る。
しかしこのままでは祖母がソファーに押し倒されそうだ。流石にそれを見る趣味はエルザーニスにはない。
「失礼、私はお邪魔でしょうか」
どうやらこの人達は、自分の常識には当てはまらない人々だと悟り、この場を一時辞退しようとそう声を掛けるエルザーニス。
そんな彼に漸く気が付いたアトリは、無遠慮にエルザーニスを上から眺めて興味が湧かなかったのか顔を逸らし、アカリに苦言を呈した。
「こんなのに俺達の事を見せる必要があるのか?」
「人手が足りないの。これでも父親よりは良い器よ」
器で判断された事にエルザーニスは少し傷付いたが、元から祖母はこういう人なのであまり気にしてはいけないと思い直す。その分母親がたっぷり愛情を注いてくれたので、それ程辛い思いをした記憶もない。
「お前が決めたんなら良いけどよ」
アトリはエルザーニスより一回りも上ではない様な見た目だったが、とても澄んだ深紅の瞳はエルザーニスでは到底敵いそうもない情熱と力と、生きた年月を感じさせた。
「おいエルザーニス!俺がいない間アカリに手を出すなよ?お前はアカリの盾だ。何かあったらその身を賭してアカリを守れ」
流石にここまでストレートに蔑ろにされた事がなかったエルザーニスは少し怯む。
「あの、一応私はここの領主なのですが……」
「領主?馬鹿かお前。アカリの価値はお前なんかじゃ計れない。そんな事も分からないのか?」
「エルを虐めないでったら!エルは小さい器なりに頑張ってるのよ!?」
酷い言われようだが、庇う様に抱き付いて来たミドリの反論にエルザーニスは傷付くではなく驚いた。
彼等も祖母も、人の価値を神力の器で計っているのだとしたら、祖母は一体何者なのか。
神力の器の大きさは通常公表されない。特に領主一族のそれなど、秘匿中の機密事項だ。
今まで祖母がそれほど大きな器を持っていると感じた事はなかったが、しかし公表している以外の属性を持つ事から考えれば、エルザーニスの見て来た祖母はほんの一部だったと言わざるを得ない。
「アトリ、取り敢えず離れなさい」
アカリの言葉に名残惜しそうに身体を離すアトリ。
アトリをけん制しつつ再びミドリがエルザーニスの隣に座る。
「エルザーニス、お前はこれからグリーセントメリベへ行きなさい」
「はい」
アカリがそう決めたのなら、それはもう覆る事のない決定事項だ。エルザーニスは素直に頷いた。
「魔女に会い、話を聞いていらっしゃい。彼女が何者なのか、目的は何か。それから彼女が我々の脅威となるか」
「結界はいかが致しますか?」
「あっても無駄でしょう」
「では魔女の要求はいかが致しましょう」
「金銭で解決出来るならそれでよい」
真っ直ぐにエルザーニスの目を射るアカリの視線は、しかしエルザーニスを映している訳ではないと彼は思った。
アカリが覗いているのはエルザーニスの真意と、森にいる魔女トーコの姿。それから……。
「ミドリ、貴方は先に魔女のところへ行って領主が来る事を伝えなさい。その後はエルザーニスに従って」
「はーい」
間延びした返事だが満足はしたのか、ミドリがエルザーニスの腕に抱きつく。
「エルザーニス、彼女は兵士などより余程役に立ちます。上手く使って、必ず有益な情報を持ち帰りなさい」
「はい」
やはり祖母が自分など見てはいないのだと、エルザーニスは少し残念に思う。折角の家族なのだから、母の様に少しでも心を通わせられれば良いのにと。
いつかこの関係が変わる時が来るのだろうか。
「アトリ、貴方は朝木にトーコの事を聞いて来て」
「知らない場合は……朝木に連絡させるのか」
「そうよ。神様に…………青の神様にご連絡を。指示を仰がなくてはいけないわ」
今度こそエルザーニスは目を見開いて固まった。
この世界エルダーンを統べる全能の神、人々の、全ての生命の尊敬と信仰を集めて止まない神は白の神。
しかし祖母の口から出たのは違う神の名であった。
アカリの言葉と共に、光が溢れ部屋を包んだ。
光が消えた時そこには、アカリとエルザーニス、そしてアカリの肩に留まる燃える様な赤い鳥と、良く見知った大きな緑色の鳥、伝書鳥がいた。
「よく見ておきなさいエルザーニス。これからこの世界で起こる事を」




